建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

離婚の禁止  マタイ5:31~32

1996-13(1996/7/14)

離婚の禁止  マタイ5:31~32 

 第三の反対命題は「離婚」に関するもの、31~32節
 「『自分の妻を離縁する者は、彼女に離緑状を与えなけばならない』と言われた。しかし私はあなたがたに言う、不品行以外の理由で 自分の妻を離縁する者は誰でも彼女に姦淫へと追いやるのである。離縁された者と結婚する者は姦淫を犯すのである』」。
 31節の内容は申命24:1~4には離縁状について述べている。
 「人が妻をめとって結婚した後、その女に恥じるべきことのあるのを見て、好ましくなくなったならば、離縁状を書いて彼女に渡して家を去らせなければならない。その女が家を出ていって後、ほかの人にとつぎ…」。これは夫に妻を追い出す権利を認めたもので、妻の権利は全く存在しない。
 これは旧約聖書の規定であるが、ユダヤ教もこれを踏襲した。どの場合に「妻を追い出す」ことができたかについて申命記は「妻の恥じるべきこと」をあげたが、ユダヤ教のラビたち、ヒレルとシャンマイ(ともに前20年ころ)とその学派で論争があったという。シャンマイ派は「恥じるべきこと」を妻の不倫行為と解釈した。ヒレル派はもっとゆるやかで「不注意に夫の料理を焦がした」ことまで入ると解釈し、この立場が慣行とされた。妻に不利な解釈がまかり通っていた(エレミアス「イエスの宣教」)。
 ユダヤ教の離婚の考えはあくまでも、夫中心であった。例えば、妻が独身の男性、非ユダヤ人と性的な関係をもっことは「姦淫を犯すこと」となったが、同じことを夫がやっても姦淫とはされなかった。夫にとって姦淫となるのは相手がユダヤ人の人妻に限られていた(シュワイッアー)。
 32節の「不品行・ポルノス」は、許されない、妥当性のない結婚(近親婚、レビ18:6以下、偶像崇拝する異邦人との結婚)を示す場合と性的な不貞の解釈とがあるが、ここでは「性的な不貞、姦淫」(エレミアス、グニルカ)「継続的な姦淫」(シュワイッアー)の意味。「不品行以外の理由で」はイエスのものではなく、マタイの修正と解釈とされている。
 イエスは「自分の妻を追い出し他の女をめとる者はすべて姦淫を行なうのである。また夫から出された女をめとる者も、姦淫を行なうのである」(19:8~9)と語られて、一切の離緑・離婚に反対された。この箇所でも同じで「不品行以外の理由で」がマタイの付加したと解釈されている。すなわちイエスご自身は妻の不倫の場合でも、離縁を承認されなかったことになる。
 この第三の反対命題は、第一、第二の場合にあった律法の徹底化がみられないが、この離婚禁止においては、問題が複雑になる。一方で申命記24:1の「離縁状」について、あるいはユダヤ教の解釈については、イエスはこれらを「廃棄」された。「イエスは結婚を律法によって廃棄できない一致として理解された。同時にイエスは婦人を夫の所有物としての依存性から解放され、結婚の暫定的な関わりという現実(見解)を摘発された」(ルツの注解)。他方では、マタイ19:3~9(マルコ10:7~10)においては「『人はその父母を離れて、二人の者は一体となるべきである』。彼らはもはや二人でなく、一体である。だから、神が合わせられたものを人は離してはならない」とあって、イエスはご自分の見解の根拠に、創世2:24をあげた。マルコ10:12はマタイにない部分をしるしている「妻がその夫と別れて他の男にとつぐならば、姦淫を行なうのである」。これはユダヤ教的な環境でなく、女性が自分の財産も権利をもち男性に対する離婚を認めたローマ的な環境・背景をもつ主張である。マタイ19:10~12では独身性を擁護については省略。
 「ここではイエスは回避できない厳しさで結婚解消に否が宣言されている」(エレミアス)。
 これに対して、パウロは必ずしも、再婚を否定していない「妻は夫が生きている間は、その夫につながれている。しかし夫が永眠すれば、自分の欲する人と結婚するのも自由である。ただ主にあってそうすべきである。しかし私の考えでは、彼女がそのままでいればもっと幸いである。私も神の霊を受けていると思う」(第一コリント7:39~40、コンツルマン訳)。他にロマ7:1~3。
 展開としてイエスの要求、パウロの見解に対して、明治、大正期における特に無教会においてどのような対応がぁったかについて、少し取り上げたい。
 内村鑑三は最初に結婚した人とは離婚した(24才の時、タケ夫人、両親、弟妹との同居に耐えないで家を去った、タケ夫人はその後子を産んで復縁を願ったが内村は拒否したという)、再婚した加寿子夫人は不敬事件の最中に病死した(内村31才)。その後関西において静子夫人と結婚した(32才)。内村はこう語った「私は再婚不可論者ではありません。私自身が再婚を実行したのみならず、また他人が再婚する事に同意を表してきました」(1926年)。内村の著作「キリスト教徒の慰め」「余はいかにしてキリスト教徒なりしか」などは、この静子夫人の支えで完成したという(佐藤全弘「藤井武の結婚観」)。
 門下の藤井武(1888~1930)の結婚観は、無教会の中でもユニークである。藤井武東京帝国大学の法学部の出身で、高級官僚であったが、職を辞して内村の内弟子となった。24才の時、幼なじみの許嫁18才の喬子(きょうこ)と結婚した(1912・明治44年)。しかし11年後に喬子夫人が病死した(1922年)。妻を亡くした無教会の黒崎幸吉、矢内原忠雄、三谷隆正らが再婚したにもかかわらず、藤井武は師内村、後輩の矢内原忠雄とは違って、離婚再婚を拒否した。それ以前1920年には住友家の御曹司住友関一の女性問題をめぐって黒崎(教育係)から相談された藤井は、相手の女性との結婚を主張。それで内村、黒崎と意見を異にして、藤井は内村とたもとをわかった。また妻を失った親友石川鉄雄が既婚の夫人と結婚すると知つて、石川とも絶好した。
 藤井武は、恋愛全体は決して肯定せず「汝の恋愛を一たび聖き祭壇の火の上に曝せ」を語った(「愛とは何か」1923)。また「聖書の結婚観」(1925)では、離婚問題」について藤井はいう。結婚は神聖なることであり、夫婦は一体である。もはや二人でなく単一個人、複合的個人生活である。 したがって、自由意志も、制度も、生理上の出来事もこの絆を破ることはできない。藤井は結婚について依るべき聖典は創世記2章、エペソ5章であるといった。イエスもこれによって教えておられる。マタイ19:4~6、7~9。マラキ2:16も「私(神)は離縁する者を憎む」とあるという。 「私が再婚しない理由」ではその理由をあげた。第一に、死は生命の絶減ではなく、永遠の別離でもなくしばしの別れだけである。逝きし妻は今天にあって、よき場所を備えてくれている。失せたのは肉だけである。その存在は少しも変わらず、かえって地上で離れていた時にもまさって、親しい感応がある。心の距離は地上で別居の時よりもかえって近い。第二に、配偶者・妻は有用性のゆえに価値をもつのではなく、存在自身に価値がある。妻はこの世の生活を共にすることなく終っても永遠に妻である。妻の代わりはない。第三に、一夫一妻は天地の公道である。聖書は生命を唯一のものという。人の生命に代わりはない。重婚は誰でも禁止するが、再婚も時こそ異なれ二人の妻をめとることである。
 藤井は夫人の死後、長い詩一万二千七百九十五行「羔(こひっじ)の婚姻」において亡き夫人をうたった(1923~30)。
 「……しばし所を異にするとも 怪しむな、羔(キリスト)は天にありて おのが花嫁(地上の教会)を地にみちびく。 いやまさる輝きもてこののち ここより汝を助くる彼女(藤井夫人)を トスカナの貴女(ダンテの「神曲」のべアトリーチェ)も羡むであろう 起て、仰げ、目をここにそそげよ、破れし心臓の鼓動を歌に 嘆きを賛美にかえよ、かの日まで……さいわいなるかな、召されてみそばに 聖きよろこびを充たす彼女! 聖名のゆえにくびき負う私! ねがわくはそこに彼女をして ここに私をしてしばらくありて 合唱せしめよ、汝の栄光を」。
 師の内村、友らと対立しつつ藤井武は、特に再婚を拒否することで、イエスの教えに忠実であろうとした。