建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

イザヤの召命1 イザヤ6:1~5 付録=イザヤ書紹介付き

1998-23(1998/6/14)

イザヤの召命1  イザヤ6:1~5 付録=イザヤ書紹介付き

 イザヤの召命の時期は、6:1によれば「ウジア王の死んだ年」である 最近ではこれは前736年ころとされる、ラート、関根正雄「注解」。イザヤの召命の「内容」は他の預言者と比べても、特異なものである。召命体験がイザヤの《神を見た体験》《自分の罪が赦された体験》とかたく結びついているからだ。
 1~4節 「ウジヤ王が死んだ年、私は見た、主が高いみ座に座し、その衣の裾が神殿いっばいに広がっているのを。そのそばにはセラピムが見えた。それらはそれそれ六つの翼をもっていた。その中の二つもって顔をおおい、二つをもって足をおおい、二つをもって飛んでいた。彼らは互いに呼び交わして言った『聖なるかな聖なるかな聖なるかな、万軍のヤハウエ、その栄光は全地に満つ』。その呼び声のために、敷居の基は揺れ動き、神殿の中には煙が満ちた」カイザ一訳。
 イザヤが主(主の衣の裾)をみたのは、神殿内部の至聖所や聖所においてであったか(そこには高位の祭司しか入れないが)、それとも信徒も入れる神殿の前庭においてであったのか。さらに礼拝の最中のような共同の場においてか、それとも唯一人、個人での「見神」であったのか。イザヤが一人称「私」で語っていることばかりではなく、全体として「神殿の中」で唯一人だけでこの体験をしたと考えられる、「神殿」は原語では「宮殿」の意味。ここでは神ご自身の姿を具体的に描くことをイザヤは意図的に避けていて「神が、高いみ座に座す、すなわち神の支配なさっている現実をイザヤは見た」という。イザヤが神の姿を具象化しないのは「神を見た者は死ぬ」からである、出エジ33:20、カイザーの注解。
 2節の「セラピム」は蛇の体、鳥の翼(6つの翼)、人の顔、手、足をもつ複合的な形のいわば天使的存在で神に仕える存在、関根。14:29「翼ある蛇」=30:6と同じものとされる。セラフイムはケルビムと同じような存在と考えてよい。
 3節の「聖なるかな聖なるかな聖なるかな」の三唱はセラビムの発したものであるが、これは、ホセア11:9「私は神であってあなたのうちにある《聖なる者》である」を受け継いだもので、イザヤには「イスラエルの聖者」という表現が21回でてくる、10~20「残りの者はイスラエルの聖者ヤハウエに依り頼む」など。神の聖性、これがいわばイザヤの神観である。ここでの「聖なる」も、神の現臨と関連し、聖なるものは神ご自身が現存される所に存在するもの、とみなされている。この「聖なる」は神の存在自体を表現する、神の存在・現臨が「聖」であると。神が「聖」であるとは、一つの宗教的観念というのでなく《人間の接近をはばみ、人間に畏怖の念を起こさせ自己の存在の汚れ、罪を強く自覚させるものである》。神が聖であるとは、人間を打ちのめすヌーメン・畏怖すべきものであり、この畏怖の念・ヌミノーゼは「畏るべき神秘」と「人を魅する神秘」の結合したもの、という意味である、オットー、関根。「万軍のヤハウエ」とは、天と地のあらゆるものに対するヤハウエの無制限の力を意味する。「ヤハウエの栄光」は《この地上全体に満ちている》とある。神殿に満ちるのではなく、全地にである、神支配のグルーバル性、普遍性をいっている。「栄光」は、神がそこにおられること、現臨が雲に隠された輝きとみなされた、出エジ16:10。神の「聖」とはおおわれた栄光、「栄光」は現された聖である、関根。「煙が満ちた」は祭壇の香の煙ではなく(ロシア正教では礼拝で香の煙はよく使われている)セラフイムらのはく息と関連したもという(関根)が、どうであろう。「振動と煙」はシナイ山でのモーセへの神顕現を想起させる、出エジ19:18。「雲」19:9。カイザーは「煙」がシナイでの火山的な神顕現に由来するものか、祭儀的な祭壇の香によるものか論争されているといい、ここでは「煙」が神を人間の目から隠している点を指摘する。
 5節「そこで私は言った、『わざわいなるかな、この私。《私は沈黙するしかない》。私は汚れた唇の人間で、汚れた唇の民のただ中に住み、しかも私の眼は万軍のヤハウエなる王を見たのだから」。
 ここの「わざわいだ は聖なる神の臨在に遭遇したイザヤの「危機」絶対絶命の叫びである、関根。次の「私は減びるばかりだ」協会訳、「私は滅ぼされる」ルタ一訳に対してカイザ一訳は「私は沈黙するしかない」。関根訳は「私はもうだめだ」。そして関根は「聖なる神の現在に直面してイザヤは罪ある自己の死を経験した」と注解する。的確である。次の「汚れた唇の人間」とは「聖なるかた」との接触で起きた自覚である。「汚れ」はむろん「聖」の反対語で神にとって「忌むべきもの」である、レビ11:43以下。
 「汚れた唇は人間の存在全体、その状態や思いの汚れを表現している」(カイザー)。
 「汚れた唇の人間が聖なる神を見た」は、イザヤにとってただちに自己の喜びの体験とはならずに、自分の存在の汚れ「とがある自己が死に瀬しているとの感情」(カイザー)を認識せしめる。ヨブの見神も「深い悔い改め」を彼に引き起こした(ヨブ42:5以下)。神との「出会い」「神を見る」ことが、その者に「畏れとおののき」(詩55:5、ダニエル6~26、マルコ16:8、エペソ6:5)を起こさせ、かつ自分の側に「滅び」や「汚れ」(5節)と「罪咎」(7節)の意識を認識せしめる、これがイザヤの「見神」体験であった。これこそ「真の神体験」であろう。「神と人との無限の質的差異」キルケゴール、バルトが明確に自覚される体験ともいえる。

《付録》イザヤ書の簡単な紹介
(1) 預言者たち。
 旧約聖書モーセ五書、歴史書(サムエル記、列王記、歴代志など)、知恵文学(詩篇ヨブ記箴言など)、それに預言書からなっている。預言書は、記述預言者、すなわちその預言者の預言を本人や弟子たちが「記述して」その文書が残っている書のことで、最初の預言者たちサムエル(前1000年ころ)やエリア(前870~850年ころ)やエリシヤ(850~800年ころ)はこれに属していない。最初の記述預言者は北王国で活動したアモスであるが(780~750年ころ)、これにホセア(745~730年ころ)がつづく。北王国は722年にアッシリアに滅ぼされる。これに対して南王国ユダで活動したのがイザヤである(740~700年ころ)。エレミヤの活動は640~587年ころで南王国滅亡の時期(前587年)までである。預言者エゼキエルは主に捕囚地バビロニアで活動した(598~587年ころ)、第二イザヤ(イザヤ40~55章)はバビロニアで(550~540年ころ)活動した。前538年捕因の民は解放された。さらにハガイ、ゼカリア、マラキ、ヨナらは捕因から帰還した時期、ペルシャ時代の預言者である。預言者のうちその書の分量が多いのでイザヤ、エレミヤ、エゼミエルは大預言者と呼ばれ、書の分量の短いものは12小預言者と呼ばれる。特に三大預言者らが、国家の危機(イザヤ)国家の滅亡(エレミヤ)捕囚(エゼキエル、第二イザヤ)の時期に活動した点は注目すべきである。預言書を理解する場合の特有の難しさは、その預言の歴史的社会的背景がわからないと理解しにくいという点がある。
(2)イザヤの活動の時期のパレスチナの政治的状況。
 南王国ユダのウジア王(783~42)の終りの時期に、それまで平穏であった政治的情勢に変化が起きた。アッシリアのティグレトピレセル大王(745~727)はバビロニアを滅ぼし、パレスチナ海岸のエジプトとの境界にまで進攻した、734年。そして南王国のアハズ王(735~15)の時、北王国イスラエルのペカは、シリア王レジンと連合して「反アッシリア同組」を結び、南王国のアハズ王にこの同盟に入ることを強制したが、アハズはこれを拒絶した。するとシリアとイスラエル連合軍がエルサレムに進攻してエルサレムを包囲した。シリア・エフライム戦争である、733年(イザヤ7章)。アハズはアッシリアに援軍を求めた、かくてアッシリアは派兵してイスラエルの領士の重要地域を奪い、ダマスコを粛正した。そして721年サマリアが陥落して北王国イスラエルアッシリアに併合され、滅亡した。南王国はエルサレムのわずか数キロの地点でアッシリアと国境を接するに至った。それ以後ユダは幾度もエジプトの力をたのみとして、反アッシリア的な動きをした。701年南王国ユダは反アッシリア同盟に加わっていたが、センナケリブ大王自身がパレスチナに進攻し、エジプト軍を打ち破り、ユダのヒゼキア王(715~687)は大王に降伏して、王国の大部分を失うに至る。以上がイザヤの活動期パレスチナの政治的な動きである。
(3)イザヤ書の内容
 イザヤ書は1~39章からなり(40~55章は200年後に活動した第二イザヤのもの)、第一の部分は1~12章である。1章は全体への序の部分とされ、2章以下は、イザヤの初期の活動に属す。特に6章は召命で、これが最初ではなく、2~5章のまとまりの後に置かれている。7章はシリア・エルライム戦争、9、11章はメシア預言としてしられている。