建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

イザヤの待望  イザヤ8:16~18

1998-51(1998/12/27)

イザヤの待望  イザヤ8:16~18

 「私は証言をくくり、教えを私の弟子の立合のもとで封印しよう。
  そしてヤコブの家にみ顔を隠しておられるヤハウエを私は待ち望み、そして彼に望みをいだこう。
  見よ、私とヤハウエが私に与えてくださった子らとは、
  シオンの山に住みたもう万軍のヤハウエによって
  イスラエルの中のしるし、前兆となった」

 ここの歴史的な背景は、シリア・エフライム戦争の結末である。敵軍の進攻に動揺したアハズ王らに対するイザヤの預言「気をつけて、静かにしなさい」(7:4)は、王によって退けられた。王はアッシリアに援軍を求めたからだ。押し寄せてきたアッシリア軍によってシリアは滅亡し、北王国イスラエルの多くの地域がアッシリアに占領され併合された。いわば南王国の危機が去ったわけであるが、南王国自体もアッシリアへの政治的宗教的従属のもとに置かれた。
 イザヤからみると、アハズ王の神への背信によって、神は南王国の民に対して「み顔を隠された」という。8:6~8「この民はレジン(シリア王)とレマリアの子(イスラエルの王ぺカ)の騒ぎのために、静かに流れるシロアムの水を捨ててかえりみない。それゆえ見よ、主は力強くみなぎるユフラテの水を彼らの上にあふれさせる(アッシリアの王とその威勢がそれである)。水はユダに侵入し氾濫してその首にまで及ぶ」。
 「神がみ顔を隠す」は「神の怒り」の表現で、民に対する関わりを断絶されること。イザヤ54:8「私はあふれる怒りをもってしばしばわが顔を隠した」、57:17、エゼキエル39:23「彼らが私に背いたので私はわが顔を彼らに隠した」詩22:24「主は苦しむ者にみ顔を隠すことがない」、88:14「主よ、なぜあなたは私を捨てるのですか。なぜ私にみ顔を隠されるのですか」、143:7「主よ、わが霊は衰えます。私にみ顔を隠さないでください」など。
 民からみると神がリアルに感じられなくなること、神の恵みがもはや把握できなくなること。しかしここでイザヤがイメージしている「神の怒り」は、「ユフラテ川の洪水」アッシリアの軍勢が南王国にまで進攻してくる事態である。神がその民からみ顔をそむけられたため、南王国は完全な崩壊ではないにせよ、外国軍による決定的な蹂躙にみまわれる。異民族の進攻は通常「神の怒りの道具」としてしばしば登場する。
 イザヤはこの時点で一時預言活動を停止して、その預言をたばね、その教えを弟子たちの立合のもとで封印するという、16節。自分の預言活動の正しさの後の時期のために証拠とするためである。
 そしてとりもなおさず、イザヤがヤハウエを待ち望み、彼に希望をいだくのは、このような状況である、17節。イザヤはこの国家的な危機の状況の彼方に、ヤハウエの新しい救いの提示の可能性を見ているからだ。しかしながらここでも眼目となるのは「あなたがたは信じなければ立つことができない」(7:9)である。すなわち、危機的時期にあって民がシリアや北王国の軍事力、アッシリアの圧倒的な軍事力・政治力より以上に神を恐れ、無条件的に神を信頼するかどうか、神が新しい救いの提示を実現なさるかどうかは、この点にかかっているといえる。
 18節においては、イザヤと彼の子ら、それに彼の弟子集団の存在が、将来における神の救いの行為が実現する「しるし、前ぶれ」となるという。この意味でイザヤの長男の名「シエアル・ヤシュブ」(7:3)すなわち「残りの者は帰る」は象徴的である。ここには明らかに「残りの者」という彼の思想がある。戦乱で生き残った者は、ほかでもなく、神へと立ち帰るという思想である。イザヤとその子らと弟子集団の存在と彼らがそのみ顔を隠されておられる神を今なお待ち望む、その姿勢、行動が、戦乱を生きぬいてやがて神に立ち帰る民の将来を象徴的に示す「希望のしるし」となるという。