建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

ピラトの審問2  バラバ  ルカ23:17~19

1999-40(1999/11/7)

ピラトの審問2  バラバ  ルカ23:17~19

 「(祭りのごとにピラトは一人の囚人を赦してやることになっていた、17節)すると彼ら全員は一斉に叫び返し続けた『この男をかたずけろ。バラバを釈放してくれ』。バラバはこの街(都)で起きた暴動と殺人のかどで投獄されていた者である」
 
 恩赦について。
 17節は多くの写本にはない。それで、塚本訳やフィッツマイヤーは本文から除いている。ここは、マルコ15:6、ヨハネ18:39に出ている。
 ピラトによる恩赦については、当時の歴史を書いたヨセフスはこの総督の恩赦に言及してないという理由で、ありそうもないことして片付けられてきた。しかし1960年代の研究では、ローマ法においては未決・既決囚の公的免訴や恩赦についてしるした例があって、総督が十字架刑の執行や囚人の恩赦の権限をもっていたことが明らかにされたというプリンツラ一。
 18節の「彼ら全員」はしたがって、二つのグループが合体した群衆で、一つは過越の祭りの時期、ピラトに恩赦を願いでる群衆である。もう一つはイエスを告発しているサンヘドリンや部下と同行の群衆である。
 バラバについて。
 19節はバラバについてしるしている。マルコ15:7はバラバについてこう述べている「暴動の折り、人殺しをして繋がれていた暴徒の中にバラバという者がいた 。バラバという名はアラム語「父の子(バル・アバ)」つまり反ローマ暴動などでメシア僭称したかのような意味合いがある(130年ころの革命家「バル・コクバ」は星の子の意味)。またマタイ伝のカイザリア写本などでは「イエス・バラバ」と呼ぶ読み方もあるようだ、クロスターマン、ゴゲルなど。これに基ずいて、群衆による「バラバ・イエスの恩赦の要求」を、ピラトは誤解して「ナザレのイエスの恩赦要求」と受けとめて、イエス恩赦に傾いた、16節。しかしサンヘドリンはピラトのイエス恩赦策に対抗して、群衆をして、イエスを斥け(抹殺)、バラバを恩赦させる雰囲気をかもし出させたとの解釈があるという、プリンツラ一。
 しかしバラバの正体は明らかでない。ルカのいう「都で起きた暴動」は、13:1「総督ピラトが(神殿に)犠牲をささげているガリラヤ人を殺した…」と通常は関連づけられて総督の部下が神殿冒涜を行なったためユダヤ人が抗議して暴動となり、バラバはその折りのリーダー格であってつかまった、と解釈されてきたが、プリンツラーは反対。
 マタイ27:16の「悪名たかい囚人」。ヨハネ18:40「バラバは強盗であった」。特にこの 「強盗」は強盗一般ではなく、当時反ローマ活動をしていた熱心党員を意味していた。先のマルコ15:7の「暴動、人殺し、暴徒」ここの「暴動」はバラバ熱心党員説を裏付ける、クルマン、レンクシュトルフなど。
「バラバ」 についてはスエーデンの作家ラーゲルクヴィストによって小説化され (ノーベル文学賞)、アンソニー・クイン主演で映画化もされた。それによれば、ローマの大火の時、放火の容疑で彼は逮捕され、十字架につけられた。まさに死なんとする時に、十字架上のバラバはつぶやく「おまえさんにまかせよ」。作者はバラバがキリストを信じるようになったと述べたいようだ。