建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

ペテロへの顕現1  ヨハネ21:1~7

2000-11(2000/4/9)

ペテロへの顕現1  ヨハネ21:1~7

 「この後、 イエスはティベリアの湖で再びご自分を弟子たちに啓示された。その仕方はこうであった。シモン・ペテロと双子と呼ばれたトマス、ガリラヤのカナの出身のナタナエル、ゼベダイの子ら、ほかの二人の弟子が一緒にいた。シモン・ペテロが彼らに言った『私は漁に行く』。彼らは言った『私たちも一緒に行く』。彼らは出かけて舟にのった。しかしその夜は何も取れなかった。朝になろうとしていた時、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは気付かなかった。イエスは彼らに言われた。『子供たちよ、魚はまったくとれなかったのか』。彼らは答えた『いいえ』。そこでイエスはいわれた『舟の右側に網を打ちなさい。獲物がとれるだろう』。彼らが網を打つと、魚が多くてもはや網を引きあげられないほどであった。イエスが愛したあの弟子がペテロに言った『主だ』。シモン・ペテロは主だ、と聞くと、上着を着て湖に飛び込んだ」シュナッケンブルク訳。
 パウロは「キリストは復活されて、ケバに現れたもうた」と、ルカ24:34「まことに主は復活されて、シモンに現れた」と語ったが、《それがいっどこでどのようなものであった》か述べていない。21:1節以下はヨハネ伝の付録部分で、それゆえ第二義的な記事であるが、「古い資料」を含んでいるので、復活顕現記事としては重要である、グラース。
 (1)ガリラヤ逃亡説。 ここでは20章の「12弟子とは違う」弟子たちが登場している。ナタナエルである、1:45以下。彼がカナの出である点はペテロと行動をともにしているとしても自然である。1:31以下の召命の話では、ペテロ、アンデレのほかに、ピリポ、ナタナエル、らの名がある。
 突如としてペテロらがガリラヤ湖(皇帝の名ティベリウスにちなんだ名がつけられている)にいる点、1節はどう考えるべきか。これは弟子ガリラヤ逃亡説(ペテロらはイエス逮捕の時点でエルサレムから逃亡し、故郷のガリラヤに帰った。しかも彼らは「イエスの弟子」であることもやめて、以前の職業に舞い戻った、2節)を前提にしている。
 外典ペテロ福音書58~60「除酵祭の最後の日〔土曜日〕、多くの人が自分の家に帰っていた。私たち主の12人は泣き悲しんでいた。おのおのは起きたことに悲しみつつ自分の家に帰っていった。私シモン・ペテロと兄弟アンデレは網をとって湖へ出て行つた。アルパヨの子レヴィも一緒にいた」。
 福音書は弟子の、イエス逮捕時の逃亡とペテロのイエス否認は述べても、ガリラヤ逃亡についてはしるしていない。それは彼らの教会指導の職務にとって恥であり、その権威を傷つけるからだろうか。ヨハネ20:14「週のはじめの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて自分たちのいるところの戸の鍵をしめていた」の記事は、むしろ明らかに彼らのガリラヤ逃亡とは「矛盾する」。カンペンハウゼンのみがこの記事を重視する。他方ヨハネ21章およびペテロ福音書の記事、さらにルカ24章のエマオの弟子の旅の動機「彼らの悲しみと失望落胆によってエルサレムを脱出したようだ」などは、ガリラヤ逃亡説と一致する。イエスの十字架と埋葬にも男性弟子の姿がない点も逃亡説の裏づけとなる。さらにイエスの言葉16:32「見よ、あなたがたが散らされ、おのおの《自分のためにはかり》私を一人にする時が来る、その時はすでに来ている」の、「自分のためにはかり」を「自分の故郷・家に行き」と通常、訳されるが、シュナッケンブルクは「イエスのために尽くすことをしないで、自分の安全をはかる」と解釈する。通常の訳「自分の故郷に行き」と解すれば、ガリラヤ逃亡説の論拠となる。
 他方彼らのガリラヤ「移動」の根拠は、確かに空虚な墓でのみ使いの言葉「イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるだろう」(マタイ28:7、マルコ16:7)に求められたが(カンペンハウゼン)、ガリラヤ移動説では「なぜイエスの死後、ペテロらがガリラヤで元の漁師になっているのか」(ヨハネ21:2)は説明できない。むしろ弟子集団の崩壊と逃亡の状況からの説明の方が納得がいく。失望・落胆のペテロと弟子たちの「再生の話」がこの21章だとみたい。
(2)解釈。 ここはルカ5章のゲネサレ湖の大漁の奇跡とペテロの召命記事と類似している。さてペテロの提案で弟子たちは湖に漁に出る。「私は漁に行く」というペテロの言葉にはなにかわびしい響きがある。しかしその夜は何の獲物もとれない。夜が明けるころ、イエスは岸辺に姿を現されるが、弟子たちはイエスを認知できない、4節。彼らの目が奇跡的な仕方でくらまされていたからだ、エマオの弟子(ルカ24章)。マグダラのマリアの場合(ヨハネ20章)と同様に。5節のイエスの言葉「子供たちよ、魚は少しもないのか」は、彼らの夜間の漁が徒労であったことをイエスが知つておられることを示している。彼らはイエスをいまだ認知していないが、この見知らぬ人の提案にしたがって、舟の右側(幸運のあるがわ)に網を打ったところ、引き上げることができないほどの大漁があった。この奇跡的な大漁があの愛弟子の目を開いた。そして彼は初めてイエスを認知した、「あれは主だ」とペテロに伝えた、7節。「ペテロと愛弟子の競合」のポイントはすでに空虚な墓でも見られるが、イエス認知の点では愛弟子がペテロより一歩先である。「主だと聞くと、ペテロは裸であったので、上着を着て湖に飛び込んだ」。上着を着るは、相手に対する畏敬の念を示す。「湖に飛び込んだ」ペテロは100メートル先の(200ぺキュス、8節)「岸辺にいるイエスに向かって泳いでいった」、シュナッケンブルク。この点では愛弟子よりも先んじている。しかも実に印象的な箇所である。イエス否認、ガリラヤ逃亡、漁師としての砂をかむような生活、そのペテロにようやく失望落胆の時期が終わる時がきたのだ。