建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

 復活と希望 パウロの復活理解6

2000講壇2(2000/4/16~2000/7/30)

パウロの復活理解(十一)
 さて論敵らが「死人の復活を否認した」のはなぜであろうか。これについての従来の解釈は大きく二つに分類できる。一、彼らが「終末論の点で熱狂主義者や異説をとなえた人々」とみる解釈。二、彼らは「プラトン的な霊魂不滅説の支持者、グノーシス主義者である」との解釈。

一、彼らが終末論の点で熱狂主義者や異説を主張したとの解釈
 フォン・ゾーデンは、パウロの論敵らが終末論の点で《熱狂主義者》であったとみなした。「彼ら」はパウロの終末論「キリストの来臨への待望」(第一テサ4:13以下)を第二テサロニケ2:2「主の日はすでに来た」にねじ曲げた。この2:2の見解は、パウロが批判した一部の熱狂主義者の謬説である。パウロ自身は主の来臨は《まだ来ていないが》、他方では自分たちの生きている時期に主の来臨があると信じていた「主の来臨まで生き残る私たち」(第一テサ4:15、第一コリ15:52)。またゾーデンは「彼ら・論敵らはみ霊によってキリスト者の復活を先取りして『《キリスト者の》復活がすでに起きた、と言った』(第二テモテ2:18に出ている熱狂主義者の謬説)と説いたと解釈した(1931の論文「パウロサクラメントと倫理」、コンツェルマン注解)。
 アルバートシュヴァイツァーによれば、死人の復活の否認者らは「イエスの復活についてはまったく疑わず、むしろ《信仰者自身に起こると期待された復活》のみを疑った」とみなした(1930「パウロ神秘主義」、武藤、岸田訳)。このポイントはリーツマン、コンツェルマンなどにも支持されている。「彼ら」は「[キリスト者の]復活というものは存在しないとの(超保守的な終末論)を主張した、と解釈する。彼らによれば、イエスの来臨に際して《生き続けている者のみ》が、希望をいだいているもの[救い]を獲得する。それゆえ彼らは[死んだキリスト者らが]メシアの国[第一コリ15:23~28]へとよみがえることも、永遠の至福へとよみがえることも否認する」[シュヴァイツァーは、この書でパウロが来臨に生きているキリスト者らのメシアへの国への復活と、死せるキリスト者らの(メシアの国の後にくる)永遠のみ国の至福への復活との《二種の復活》を想定している、と主張した]。シュヴァイツァーの解釈は、「代理洗礼」とは適合しない(代理洗礼は、信仰なくしてすでに死んだ人のためにキリスト者が受ける洗礼。第一コリ15:29「死人らに代わって洗礼を受ける人々は一体何をしているのか。もし死人らがまったく復活しないとしたら、彼らは死人らのためになぜ洗礼を受けるのか」。むろん代理的な受洗者は、死人の復活を願って洗礼を受ける)。
 リーツマンによれば、パウロの論敵ら、死人の復活を否認した者らは自分たちの永遠への希望を《生きていてキリストの来臨を迎えることだけに》結びつけていたようだ。このことは不可能ではなかった。「主の来臨まで生き残る私たち」(第一テサ4:13以下)この点で彼はシュヴァイツァーの見解を引き継いでいる(1949、四版「注解」)。しかしパウロにおいて、眼目となっている「死者の復活」は、まさしくの来臨における第一の出来事であり(第一コリ15:50以下、生き残る者たちの変容はその次の、第二の出来事であるとされている)、「彼ら」は眼目である「第一の、死人の復活の出来事」を欠落させているのだ。
 シュペールラインも述べている。「パウロの論敵らは熱狂主義者やグノーシス主義者ではなく、むしろ自分たちが現世に生きている時に来臨を迎えるとの終末論的希望をいだいていた」(1971の論文「復活の否認」、コンツェルマン注解)。

パウロの復活理解(十二)
 シュトルクは主張している、「コリント教会では熱狂主義が支配していたので、パウロは第一テサ5章とは違って(5:2「主の日は夜の盗人のように来るであろう」、5:6「目を覚まして慎んでいよう」)、来臨との時間的隔たりを持ち込まざるをえなかったし、また死人らの復活が生ける者らの救いを包括することをも示さざるをえなかった。[生ける者らの移行論から変容論への]表象の新しい変化は、新しい状況と関連している。早期の移行論には(第一テサ4:17「私たち生き残った者らは、復活した死人らと共に雲で移される」)キリスト者への<怒り>はまった存在しない。コリント教会における新しい状況にとって決定的な要素は、神のみ国の前に登場する《キリストのみ国》という考えである」(1980の論文「パウロの終末論」)。

二、「彼ら」がグノーシス主義者との解釈
 リーツマンによれば、「彼らはおそらく《ユダヤ教的な(死人の)復活の教説》につまづいて、ギリシャ的な《霊魂不減という教説》を強調したのだ」(前掲書)。周知のように、ギリシャ人にとって復活という教説はなじみのないものであった。行伝17:32はパウロの、死人の復活の宣教に対するギリシャアテナイの人々の冷ややかな「あざけり」を述べている。リーツマンの解釈は要するに、論敵らが「身体の復活に異を唱えた」という点にある。
 ショットルフも主張した「論敵らは二元論的グノーシス的人間論をもっていて人間の全体的復活を拒否した」(1970の論文「信仰する者と敵対的世界」、コンツェルマン注解)。
 だとすれば、ポイントは《復活されたキリストの身体性の否認》にある。パウロの復活理解においては、復活した方と将来復活させられるキリスト者らの新しい、非地上的な身体性「霊の体」「死なないもの」「朽ちないもの」が強調されているが(第一コリ15:42、44、52、53)、他方福音書においては、復活のキリストの《身体性》が際立って強調されている。しかも福音書においては、この身体性が強調される文脈は、(一)弟子たちの、キリストの復活への疑いを克服する、ヨハネ20:24以下、(二)復活のキリストを「幽霊」《魂のみの復活》とみる解釈との対決、ルカ24:36以下、に出てくる。パウロ福音書編集以前の時期において(後50年代)《復活の身体性を疑う見解》と対決したように、福音書の記者、特にルカは《キリストの復活の身体性に対して異を唱える見解》に反駁した。その反論の方法はパウロとは異なって、「地上にあられたイエスの身体性のままの生き返りという形での身体性の強調」という方法であったが。それほど福音書編集の時期(後80~90年代)においても、復活のキリストの身体性を否認する《霊魂のみの復活論》がはびこっていたと想定できる。
 バルチは、キリストの来臨における出来事(「死人の復活」と)それを生きている間に迎えるキリスト者の《変容・メタモルホーゼ》(「私たちは変えられるであろう」第一コリ15:52)に焦点をあて、「彼ら論敵ら」は「復活の身体性に異を唱えたのではなく、むしろ『朽ちるものと朽ちないもの』(42節)『地上的体と霊の体』(44節)『死ぬものと死なないもの』(53節)という二つの身体性の相違に異を唱えた。彼ら《死を経ることなく、直接的に新しい存在様式へと変容する》と考えた。これに対してパウロはこの変容には《死をくぐりぬけること》が不可欠だと証示したという(第二コリント5:1以下、コンツェルマン注解)。しかし、パウロは、生きているキリスト者の来臨における変容のありようを、死を媒介としない場合も考えていた。 続