建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

ヤコブと使徒たちへの顕現  第一コリント15:7

2000-18(2000/5/28)

ヤコブ使徒たちへの顕現  第一コリント15:7

 「そののちキリストはヤコブに現れ、さらにすべての使徒にあらわれたもうた」

 ヤコブへの顕現。これは500人への顕現の後に起きた。ヤコブは初めから新しい教団に所属していたのではなく、むしろ教団がすでに大きな集団になっていた時点ではじめてそれに所属したようだ。考えられるのは、ヤコブへの顕現は、回心の意味を持つていなかった点だ。むしろ彼は教団に入って後に、挙げられた自分の兄弟イエスを知つたのだ。行伝1:14が天にのぼるイエスについて記しているが、「かれらはみな女たちとイエスの母マリアと彼の兄弟たちと心を一つにしてひたすら祈っていた」。
 家族がイエスの生前は息子で兄を理解することなく、対立していた点は福音書のいくつかの箇所で明らかだ。マルコ3:31~35(「イエスの母と兄弟らが来て、人をやってイエスを呼ばせた。彼の回りに群衆がすわっていて彼にいった、あのように.あなたの母と兄弟姉妹らが外であなたを探しています。彼が私の母、兄弟か。イエスはまわりにすわった人々をみていわれた、ここに私の母、兄弟らがいる、神の御心を行なう者こそ私の兄弟、姉妹、母である」・ヨハネ19:25~27は母マリアを十字架のもとに立たせた。
 ヨハネ2:3のカナの婚宴では母の無理解を述べている。7:3以下では、イエスの兄弟の言葉「ここから移って、ユダヤへ行きなさい。あなたの弟子たちもあなたの業をみることができるように」をしるしているが、エルサレム行きにイエスの家族が同行したとは書かれていない。
 行伝1:14ではイエスの母と兄弟が早い期に教団に入った可能性が高いことをうかがわせる。ヤコブだけでなく、他の兄弟らも後に教団に属した。これは第一コリ9:5「使徒たちや主の兄弟たちやケパのように姉妹である妻を連れ歩く権利が私にはないのか」によって確かめられる。
 ヤコブについては行伝12:17「このこと (へロデ・アグリッパ王の牢獄からのべテロの解放)をヤコブや兄弟たち「キリスト者」に知らせなさい」。15:13の、使徒会議でのヤコブの演説などに述べられている。この三つの箇所は、すでに原始教会での彼の指導的役割を前提にしている。ヤコブが早い時点で最高の地位に到達したことは、回心の3年後のエルサレム訪問の際、パウロによって、ペテロにつぐ第二位の人間として、また14年後(後48年の使徒会議)には、ガラ2:12、第一位の人間として述べられていることから明らかだ。
 ヤコブへの顕現については偽典へブル人福音書が述べている(コンツェルマン注解)。「しかし主は、ヤコブのところに行って彼に姿を現した。主の杯を飲んでしまってから、主が眠っている者達の間から復活するのを見るまでは、パンを食べないと誓っていたからだ。しばらくたって主は言われた『食事とパンをもつてきなさい』。そして主はパンをとり祝福して裂き、《義人ヤコブ》に与えられていわれた『わが兄弟よ、君のパンを食べなさい。人の子は眠っている者達の間から復活したのだから』」(17)。
 ヤコブへの復活顕現はパウロの回心前であるが、その顕現は復活祭の第一週のことでもおそらく最初の月でもなかったと推定できる、グラース。その顕現を時期的に復活祭とパウロの回心の中間に設定しようとすることは、とにかく第一コリ15章とは矛盾しない。
 またヤコブとべテロとの間に、特に律法(具体的には「割礼」、「異邦人との会食」)についてかなりの違いがあったことは、行伝15・1~2、5、8~11、特に20節。ガラ2:11以下からうかがえる。

すべての使徒たちへの顕現
 第一コリ15:7「さらにすべての使徒に現れた」は解釈が難しい。ハルナックのテーゼは、「すべての使徒」への顕現は5節の「12人への顕現」と同一のものであって、プロによって引きつがれた二つの敵対的な伝承が結合によって成立したという内容である。
 二つの顕現を仮定しても、同じグループに二回の顕現が与えられたと解釈することはできない。原文のパシン(同時に)をバリン(再び)に読みかえて「もう一度彼は顕現した」との読み方はいかなる根拠もない。「すべての使徒」で示されている集団はあまりに広く把握してはならない。とにかく7節の眼目は限定的な集団である。他方、この集団をあまりに狭くとらえることもゆるされない。カール・ホルは「すべての使徒」を一二人とヤコブとみなした(グラース)。しかしそのような解釈はかなり広い集団を示唆する「すべての使徒」にとっては、小さすぎるようだ。まず《主のほかの兄弟ら》をこれに加えるべきだ。パウロが第一コリ9・5「使徒たちや主の兄弟らやケパ」で「主の兄弟ら」をただちに使徒に結合せず、両者を並行的にあげている。しかし使徒に属するケパは特別に名が出ている。ホルが7節の使徒にあげているヤコブは「主の兄弟ら に含まれる。
 おそらく《バルナバ》(行伝4:36、9:27、11:25、13から15章、彼はエルサレム会議にも出席した。異邦人伝道ではパウロのナンバー2であった)は、使徒の集団に属す。ロマ16:7の挨拶のリストでパウロは二人のよく知られていない、使徒の中で際立った《わが同労で同囚の、アンドロニコスとユニアス》をあげた。この二人は使徒集団に属していたと推定できる。パウロはこの人々を彼よりも前に、おそらくエルサレムキリスト者になったとはっきり述べている。「彼らは私よりも前にキリストを信じていた」(同)。
 ペテロと一二人への顕現が、《ガリラヤ》に基づき、その後のすべての使徒への顕現が《エルサレム》に基づくとの推定が正しいとすれば、これらの顕現は、二度にわたる別々の状況を前提としている。顕現の時点ではむろん教団はまだ存在していない。ペテロと12人が顕現において伝道の委託がなされ、彼らが復活したイエスについて宣教・説教したことで、はじめて教団は成立した。