建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

パウロへの顕現  第一コリント15:8~10

2000-19(2000/6/4)

パウロへの顕現  第一コリント15:8~10

 

 「ところで最後に、キリストは月足らずの者同然の私にも顕現された。私は使徒のうちで最も小さい者で、使徒と呼ばれるには価しない。それは私は神の教団を迫害したからだ。しかも神の恵みによって現在の私はある。また私に対するその恵みは無駄にはならず、むしろ私は彼らのすべての者よりも多く働いてきた。しかしそれをなしたのは、私ではなくむしろ私とともにある神の恵みである」。

 (1)パウロは自分への復活のキリスト顕現が「いつ、どこでなされたか」については一切ふれていない。いつであったかは、通常は後48年の「エルサレム使徒会議」が起点となる。48(49?)年の14年前がパウロの第一回めのエルサレム訪問の時点、34年頃(ガラ2:1)。ガラ1:18によれば、このエルサレム訪問は、回心・キリスト顕現の出会いの3年後に当たる。だから回心は34年より3年前になる。すなわち後30~31年ごろがパウロの、復活のキリストとの出会いの時点となる。ボルンカムはイエスの死を30年ごろとし、パウロの回心と召命を32年ごろとしている。(「パウロ」)。
 行伝9章によれば、その場所はダマスコ途上である。
 (2)召命
 パウロは、キリスト顕現にであったことが、即、使徒職への召しであったと語る。「恵みをもって私を召した方が、御子を私に啓示された。それは私が御子を異邦人の間で宣教するためであった」(ガラ1:15~16)。顕現は即宣教の委託であった。
 パウロはダマスコ途上で出会った顕現(行伝9章)を考えている。彼はこの8節以下ではヘレニズム的な黙示的体験「幻・オプタシアや黙示・アポカルプシス」(第二コリ12:1、7)は考えられてはいない。眼目は彼の使徒職を根拠づけている顕現である。教団を迫害したとの言及をもって、彼は自分の生涯における大きな転換を示している。「パウロが彼ら(コリント教会)に伝達したところのものは、実際また自分で直接に手に入れたものにほかならない。…そして同時に復活した方が、一人の人間に現れた時には、どういう様相を呈するかを、彼自身の実例をもって彼らに実物教示したのである。…パウロは自分が単なる(伝承の)継続者ではなく伝承の《源泉》であり、《創始者》であることもよく知つていた」(バルト「死人の復活」)。
 パウロがこの顕現を第一コリント15章を書いた時点(後50年ころ)と時間的に大きな距離があるとみなしたことは、それほど確実なことではない。「月たらずの」は遅く生まれたではなく早く生まれたつまり「月足らず」の意味であるから。パウロがこの言葉で自分の敵からなされた誹謗の意味でいっているかどうかはこれ以上吟味する必要はない。この場合「月足らずの生まれ」は、彼の使徒職への召命を示すのみならず、彼の働き一般をもいっている。とにかくパウロは、彼をそのような月足らずでなした自分の過去、教団の迫害の意味をはっきり表現した。それゆえ彼は「自分を本来使徒と呼ばれる値打ちのない使徒の中で最も小さい者で、しかも神の恵みによって現在の自分がある」と述べた。パウロは自分へのキリスト頭現を「最後のもの」とみなし、その顕現が決定的に最後であって顕現自体は終わってしまった、と述べた。
 パウロがかってキリスト者に対する迫害者であった点について(9節、ガラ1:13)、三つのポイントをふまえたい。
 第一に、パウロが《エルサレムを舞台にして》キリスト者迫害をしたことの行伝8:1、3、9:13等の記事の内容は、パウロ自身によって否定されている(ボルンカム「パウロ」)、「私はキリストにあるユダヤの諸教会には個人的には知られていなかった」(ガラ1:22)。したがってパウロキリスト者迫害した地域は、ユダヤ以外の地つまりシリヤや小アジアであったろう。
 第二に、ダマスコ途上で回心してキリスト者となった記事、行伝9、22、26章にある復活のキリストとの出会いについて、彼の同行者らは「出現した方の声は聞いたが、誰も見えなかった」(9:7、22:9では彼らは「光は見たが、声は聞こえなかった」)点から考えて「黙示的幻視・幻聴」の体験であったといえる(グラースなど)。パンネンベルクは第一コリ15章とこの行伝9章を復活の記事として特別に重視した。
 パウロ自身はキリスト顕現について「私を母の胎から選び、恵みによって私を召した方は、気が向いた時、御子を私に啓示された」(ガラ1:16)、「私は主イエスを見たではないか」(第一コリ9:1)と述べている。
 第三に、パウロが教会の迫害者から180度転換してキリストの宣教者となったことについてこう述べた「かって私たちの迫害者が、かって粉砕したその信仰を今では宣教していると、彼ら(ユダヤの諸教会)は聞いて、私のゆえに神を讃美した」(ガラ1:23)。