建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

囚われ人の希望  イザヤ61:1

2000-39(2000/10/28)

囚われ人の希望  イザヤ61:1

 「主は私を遣わして、心砕かれた者を癒し、囚われ人に放免を告げられる」

 「石の下の詩と真実」
 この数年の間に「囚われ人の希望」の形のうちで、ひときわリアルに感じだしてきたものがある。それはソルジェニーツインが「収容所群島」の第五章で述べている「石の下の詩と真実」における希望のポイントである。
 ソルジェニーツィンは収容所に入って四年目から《叙事詩を書き始めた》という。収容所では鉛筆と白紙をもつことは許されていた。しかし文字を書きつけた紙をもつことは許されなかった。絶えず密告者への警戒を余儀なくされたし、また強制労働についている者には朝夕二回の身体検査があった。それでやむをえず彼は《記憶》という方法をとることにした。
 日本のシベリア抑留者についてのドキメント、辺見純の「語られた遺書」においてなぜシベリアで倒れた友の遺書が「書かれた遺書」でなく、「語られた遺書」なのか。少し長い、友の妻子への遺書を仲間数人が分担して「暗記」し、帰国の後に友の家族の前でその「遺書を語ることができる」ように、各人が友の遺書の一部を「記憶して」帰国する手筈をとった。帰国の折の身体、荷物検査は厳しく、紙に書きつけられた手記や遺書など発見さされば、即座に没収され、しかも帰国することがわかっていたからだ。
 ソルジェニーツィンは、書いたものを詩の形にまとめることにした。まず小さな紙切れに10~20行ぐらいずつ書きつけ、それを推敲してから《記憶し》その後、ただちに書きつけを燃き捨ててしまう。そのようにして《記憶したもの》を、月に一度全部復唱したという。彼が書いた冬の時期には、作業の休み時間、暖をとる部屋で、春と夏の時期には、レンガ積みの作業中次のモルタルがくるまでの間、紙切れをレンガのうえに置いて、人に見られないようにして、浮かんできた言葉を書きつけた。
 「この詩作はたいへん役に立って、私の肉体がとんなに異常があっても、それを忘れさせてくれる効力を持っていた。時には看取たちにどなられて、意気消沈した隊列のなかで歩いている時にも、私は次々に湧いてくる詩と形象の勢いに押されて、自分が隊列の上を飛んでいるような気分がしたものである。…食堂で野菜スープを食べていても、その味がわからない時もあったし、周囲の人々の話し声が耳に入らないこともあった。なにしろ私は詩のことしか考えず、絶えずその行をいじっては、きちんと整理していた。私は身体検査を受け、人員点呼され、隊列に組み込まれてステップを狩りたてられていた。…私は周囲に有剌鉄線なぞないかのような日々を送っていた」(「収容所群島」第五章「石の下の詩と真実」)。
 彼はこの「詩作」によって、囚われも強制労働の厳しさも「超えていった」。私もじつはこの数年でこれと類似したことを経験して、以前に増して、この「希望の形」を理解できるようになった。この世の虚しさや労働の無意味さに意義を与えるのは、超越性のみであるとの見解、シモーヌ・ヴェーユやゴルヴィッツァーの見解に改めて共鳴した。希望のテーマとしては、これはスペース・クワエ、すなわちどのようにして希望をいだくか、の事柄である。