建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

ホセアの希望2  ホセア11:1~4

2000-43(2000/12/3)

ホセアの希望2  ホセア11:1~4

 《希望が実現すると苦い結果をもたらす》ことを、歴史は私たちに教えている。レーニンロシア革命は、他国の多くの社会主義者や民衆に大きな希望となった。そして第二次大戦後束欧にも社会主義諸国が成立した。しかし現実には新たな特権階級の自己追求と大きな腐敗が待ち構えていた。1967年に出たソルジェニーツィンの「収容所群島」を読んで見て、私は「もしこのとおりだとすれば、ソ連はつぶれるな」との感想をもった。実際ソ連邦はその10数年後に崩壊した。
 アブラハムらに与えれた神の約束「子孫增大とカナンの土地取得」は、ダビデの王国建設によって、完全に実現したといえる。この神の二つの約束に対して「第三の約束」といえるものがあった、
 「私はヤハウエである。私はあなたがたをエジプト人の苦役のもとから導き出し、彼らの労働から救い出し、あなたがたを贖うであろう。《私はあなたがたをとって私の民とし、私はあなたがたの神となるであろう》」(出エジプト6:6)。神がイスラエルの神となり、イスラエルが神の民となる、これは、出エジ20:1、29:42以下、レビ6:12、申命29:13、サムエル下7:24、エレミヤ7:23、31:33、エゼキエル37:27などにも出てくる。出エジプト29:42以下では「会見の幕屋」に関する記事である。
 イスラエルの民は、ヤハウエの神がありながら、バアール崇拝に走った、「姦淫」を犯して、神との関係を破綻させた。神への背きのゆえに、イスラエルの輝かしい歴史、神による救済史は終ってしまったのだ。「神の民イスラエルは崩壊したのだ」。しかしまさしくその終ったところで、神の介入によって新しい歴史が始まる。これは、二つの形での、イスラエルの立ち帰りへの神の呼びかけである。 一つは現在の事柄として、夫なる神に背いて、バアール崇拝を行なった・妻なるイスラエルの「姦淫」に対する激しい神の怒りが神の、心変わりで愛の炎上となることを民が知ることを通して、立ち帰りは実現する(3:1、11:8)。
 もう一つは、過去の思い出の事柄として、神の側での過去に民を愛し続けてきた愛の記憶を民に思い出させることをとおして立ち帰りは実現する。
 「私はイスラエルの幼い時、彼らを愛した。
  私はわが子をエジプトから呼び出した。
  私はエフライムに歩くことを教え、彼らを腕に抱いた。
  私は人の綱、愛のひもで彼らを引いた。
  私は彼らに対して幼な子に頬ずりする者のようになり、
  かがんで食物を与えた」(11:1~4、ヴォルフ訳)。
 ここでは神の、イスラエルの過去(「幼い時」)における愛がしるされている。エジプトの奴隷からの彼らの解放は、「わが息子」を「エジプトから呼び出した」と、また荒野の放浪時期の神の導きは「綱、ひもで彼らを引いた」と表現されている。そこではまだカナンの物質的豊穣もバアール宗教による汚れもない、神とイスラエルの幸せな愛の時の思い出であった。
 ホセアはイスラエルと神との愛の関係の「再生」には《特定の文化的風土的条件》が不可欠である、とみている。民を宗教的文化的に汚したのは、豊かなカナンの地、と土着の宗教であった。それゆえ、民の再生、神への立ち帰りは、肥沃なカナンの地においてではなく、貧困な地、荒野、砂漠において実現するとホセアは考えたのだ。
 「それゆえ見よ、今、私は彼女(妻なるイスラエル)をいざなって、
  荒野に連れて行き、彼女の心をかきくどこう。
  その時私はぶどう畑を与え、
  またアコルの平野を《希望の門》として与えよう。
  彼女は若き日のように、エジプトの地からのぼってきた日のように、
  すすんでそこへ従っていくであろう」(2:14~15、ヴォルフ訳)。
 イスラエルは、この荒野においてもう一度「貧しさ」を知るようになり、天幕に住み、厳しい隔離の時期を体験するようになる。しかも神はこの貧しさをとおして、イスラエルを再びやさしく「かき口説く」。こうして民は再び神の民となることができる。
 この神とイスラエルの新しい関係は、二つのポイントとして告知される。
 第一に、イスラエルの歴史において流血と減びであった地(「アコルの平野」)であったものが、神の新しい創造の対象(「希望の門」)となる。アコルはエルサレムの北東15キロほどの所、エリコの南にある場所。ヨシアのもとで民がカナンの地に入ろうとした時、アカンという人物が分捕物を自分のものにしたため、一族もろとも石打の刑になったその石塚がある場所(ヨシア記7章)。「アコル」は「悩み」をも意味する。神がもう一度、民をカナンの地に導かれる時、従来いまわしい記憶のあるアコルは、神によって「希望の門」へと変えられる。
 第二に、「エズレル」について。エズレルという地は、サマリアガリラヤとの間にある肥沃な平野。ホセアよりも100年ほど前、エヒウ(在位前842~815、北王国の首都サマリアをつくった)がクーデターを起こし、この地でヨラム王、その母イゼベル(エリアを弾圧した王妃)、その子ら70人を殺した。それゆえエズレルは「流血の地」のイメージが刻印されている(1:4)。さらにエズレルはゴメルが産んだ子の名でもある(1:4)。他方へブル語「エズレル」は「神の種時く地」を意味する。
 「大地は穀物と酒とオリーブ油とをかなえ、
  これらのものがエズレルにかなえる。
  これらのものを私は私のために地に時く。
  私は《憐れまれぬ者》(ロルハマ)を憐れみ
  《私の民でない者》(ロアンミ)に向って、
  《あなたは私の民》(アンミ)といい、
  彼も《私の神よ》というであろう」(2:22~23)
 「憐れまぬ者」、「私の民でない者」は、妻ゴメルが産んだホセアの子らにつけた民への審判をさす象徴的な名であった(1:6以下)。ここでは神の心変わりによって、すべ逆転させられている。 流血の地エズレルは王国再生の象徴となる。「エズレルの日は大いなるものとなるであろう」(1:11)、エズレルに豊かな産物をもたらすのは、決して「バアール・主人」ではなく、「夫なるヤハウエ」である(2:16)。「憐れまれぬ者」は「憐れまれる者」(ルハマ)、「私の民でない者」は「私の民」(アンミ)と神に呼ばれ、「私はあなたがたの神ではない」(1:9)といわれた神に向って民は「私の神よ(エリ)、という」(2:23)。