建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

エゼキエルにおける希望 1

エゼキエルにおける希望

 預言者エゼキエルは第一回のバビロン捕囚の時、エホヤキン王、王族、高官、技術者らと共にバビロニアに連行された(前598)。 彼はその地で預言者としての召命を受け(前593)、以後571年まで活動した。彼は南部バビロニアのニップールに近い開拓地に捕囚の人々と共に住んだ。後に同じバビロニアで活動した第二イザヤよりも、四〇年ほど早い時期である。エゼキエルの希望として「捕囚の民の聖所」、「枯れた骨の復活」を取りあげたい。

捕囚の民の聖所
エゼキエルは「神の霊によって」捕囚の地からエルサレムに舞いもどってきた(エゼキエル10:18以下)。彼はそこで不思議な光景(幻視)を見た。エルサレム神殿の敷居から「神の栄光」が出ていって、ケルビム(至聖所をまもる翼をもった天使的存在)の上に立ち、ケルビムは翼を拡げて神殿の束の門の入口のところでとまった。さらに神の栄光は街の中から上っていき、街の東にある山の上にとどまった(11:22)。「神の栄光」すなわち神の姿は神殿から去ってしまわれて、神殿は神の空位の場所となったのだ。その山から神の姿はどこへ去っていったのか。このような文脈の中でエゼキエルは語る、
 「ヤハウエは言われた、私は彼らを遠く諸国民の中に連れ去り、国々に散らしたが、彼らが連れてこられた国々で、私はしばらく彼らの聖所となる」(11:16)。
 出エジプトの時には、神は恵みある「降下」をされた。「私は彼らをエジプトの手から救い出し、…乳と蜜の流れる地に至らせるために《下つてきた》」(出エジ3:8)。旧病聖書には「神のへりくだり」に言及した箇所はないともいわれるが、よく探すとある。詩18:36「あなたは、あなた自ら《へりくだること》によって、あなたが偉大なることを私に、示された」(「ヘりくだり・エナーナー」について言及したのはここだけ)。他方第二イ1ヤもこう語っている。「私は高く、聖なる家に住むが、同時に心砕かれた、ヘりくだる者と共にある」。第二イザヤは、神がこの世を超越して高みににいますと同時に、虐げられ、絶望した、貧しい捕囚の民に目を向けられて、彼らと内在的に共にいたもうという。神の捕囚の民とのこの内在的な同一化を、彼はまた捕囚の民の故国帰還を《ヤハゥェご自身の帰還》として表現した。「彼らはヤハウエの帰還をみる」(イザヤ52:10)。これと関連して、モルトマンは語る、
 「神は、罪があり苦難の中にある人間たちの中にも入り込まれる。捕囚にあるイスラエルの人々に対する神の嘆きと悲しみは、神の全存在が苦悩の中にあるイスラエルとの人々と共にありたもうことを示している。神はイスラエルの苦難を忘れることができない。…それゆえ《神はイスラエルと共にバビロニアの捕囚の中に入っていかれた。神が民の中に『住まうこと・シェキナー』によって、神は民と共に苦難し、共に牢獄に入られる》。…神のシェキナー(内在的臨在)の中で、聖なる方はイスラエルの苦難と救済を分かち持たれた。…神は自らの名をイスラエルに結びつけていたので、神の名に栄光が帰せられる時イスラエルもまた救われる。しかも神の苦難はイスラエルが救われるための手段である」(「十字架につけられた神」)。
 先の、神が捕囚の民の聖所となるも、神がしばらく捕囚の民の「聖所」、彼らのシェキなーの民にも未来がある。捕囚の民がなおも希望をもつことができるのは、彼らの中にまだ生命があるからではなく、神が捕囚の地において彼らの聖所となられ(11:16)、彼らの中で生命を呼び起こし、彼らの未来を創られるからだ(ツィンメリ)。