建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

弟子たちの逃亡と絶望  ルカ12:8

2001-14(2001/3/25)

弟子たちの逃亡と絶望  ルカ12:8

 イエスユダヤ教当局の者たちによって捕縛されたきっかけは、弟子のイスカリオテのユダがイエスを裏切ってユダヤ教当局に金で売ったためであった(マタイ26:14以下)。ユダについては、ルカ6:16「イスカリオテのユダ」(イスカリオテは地名であるがどこなのかははっきりしない)、の別の読み方は「シカリオス(刺客)のユダ」、マタイ10:4「カナナイオス(熱心党 のシモンとユダ」においても、クルマンらは「熱心党」をユダにもかけて読む。これらの根拠から「ユダを熱心党員とみる解釈」は根強い。プリンツラーは、ユダが裏切った理由を、イエスがローマの支配からの独立を目指すものと誤解してイエス服従したが、その誤解がわかった時点でイエスを裏切ったとみる(「イエスの裁判」)。ペテロら弟子たちもイエス捕縛の時点でイエスを見捨てて逃げ去った(同26:56)。ただべテロだけはその後の事態を知ろうとして、連行されるイエスに遠くからついて行って大祭司の官邸の庭に入り込んだが、よく知られているように、その大祭司の官邸の庭で、そこの女中や使用人たちに「あなたはイエスと一緒だった」と詰問されて、三度にわたって「いやそんな人は知らない」とイエスを否認し、外に出て激しく泣いた(同26:69以下)。ペテロのイエス否認については、レンブラントの絵「ペテロの否認」(上野の西欧美術館)やバッハの「ヨハネ受難曲」における有名なべテロ否認のアリア第19曲(歌エルスト・へフリガー)もある。これらの事実、ユダの裏切り、弟子たちの逃亡、ペテロのイエス否認は、イエスの受難において《男性たちの》弟子集団が崩壊したこと、彼らの深い失望、信仰の喪失を物語っている。
 イエスの弟子たちがイエスに何かメシア到来のようなものを期待していた点は、例えばイエスの亡骸をもらいさげたアリマタヤのヨセフ(マタイ伝では彼も弟子である)は「神の国を待ち望んでいた」とある(ルカ23:51)、しかしイエスに自分の地所を墓地として提供したものの、彼は埋葬が終るとマグダラのマリアらを残して立ち去った。そこに彼の失望の姿を見ることができる(マタイ27:60以下)。またエマオの弟子の、クレオパはイエスに抱いていた思いを「私たちはこの方こそイスラエルを贖ってくださると人だと望みをかけていましたのに」(ルカ24:22)とイエスの死に接した時点の失望を告げている。「弟子たちの逃亡の中に見られる挫折によって明らかとなるのは、イエスの死という断絶によって彼らの信仰が一時的に失われたということである」(シュラーゲの論文「新約聖書におけるイエス・キリストの死の理解」)。