建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

12人への復活顕現  第一コリ15:5~7

2001-23(2001/5/27)

12人への復活顕現  第一コリ15:5~7

 アドルフ・フォン・ハルナックはかつて次のテーゼを提起した、
 「パウロは、 二つの定形伝承を関連づけた。一つはペテロと12人への顕現(5節)、もう一つはヤコブとすべての使徒への顕現(7節)をである。実際ペテロへの顕現は《すべての使徒への顕現と同一であった》」。その場合、ハルナックは七節後半の「《すべての・パーシン》使徒」のパーシンをバリン(再び)にかえて「それから《再び》使徒たちに現われた」と読む(ハルナック「イエスの変容物語」、グラースから引用)。しかしこのテーゼは妥当性がない。「12人」はイエスの生前からの弟子、他方「使徒たち」は必ずしも生前のイエスを知らない、ヘレニスト・ギリシャ語を話すパレスチナ以外の出身のキリスト者たちであったからだ。「パーシン(すべての)」を「バリン(再び)」に変えるのも強引である。
 12人ペテロへの顕現がペテロへのそれのどのくらい後に起きたかという問いは、崩壊後の弟子集団の状況がどのように把握するかに応じてで、さまざまに答が出せる。ルカ24:35以下では、キリストはその日(三日目)の夜には弟子集団に現われた。ヨハネ伝でも、弟子たちはイエスの死後エルサレムにとどまっていた「週の初めの日の夜、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる部屋の戸の鍵をしめていた」(ヨハネ20:19)。
 ヨハネ21:2以下、16:32が暗示しているように、弟子たちがエルサレムから逃亡して故郷のガリラヤにもどって、もとの仕事をしていた時「よみがえったキリストはぺテロに顕現された」。それはペテロが偶然ひとりきりでいた時の出来事であったと推定できる。この顕現をきつかけにしてペテロは再び弟子たちを集めた。そののちペテロは復活顕現に出会ったと思われる。復活したお方が12人に委託された事柄について、パウロは何も語ってはいない。しかし復活顕現の眼目はまさしくこの委託にある。
 キリストが復活顕現においてペテロに委託されたのは《教会指導》であった「私の羊を飼いなさい」(ヨハネ21:15以下)。「あなたがもどってきたら、あなたが兄弟たちを強めてやりなさい」(ルカ22:32)。「あなたはペテロ・岩である。私はこの岩の上に私の教会をたてるであろう」(マタイ16:18)。
 これに対して「12人」に託されたのは世界伝道であった「行ってすべての国民を弟子とせよ、父と子と聖霊の名で洗礼を授けよ」(マタイ28:19)、「父が私を派遣されたように、私も全権をもってあなたがたを派遣する」(ヨハネ20:21)、「罪を赦されるための悔い改めがその名においてすべての国民に説かれる」(ルカ24:48)。
 伝道の対象が「すべての国民」(マタイ、ルカ)とあるのは、注目に値する。異邦人伝道が前提とされているからだ。福音をユダヤパレスチナに限定するとの見解は突破されている。