建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

死の中で神に出会う-2

パンフレット2-2

Ⅱ 新約聖書における死の理解

「第二の死」の視点
 新約聖書における死についての見解の特徴は、周知のように、イエス・キリストの十字架上の死が中心にすえられている点にある。「新約聖書の認識の中心は、イエス・キリストの十字架の死の中で遂行された神の裁きである」(バルト、前掲書、736)。
 新約聖書が死の理解において旧約聖書と異なる点はどこであろうか。冒頭で言及したように、旧約聖書は死を黙示録のいう「第二の死」人間の滅びの視点でみていたが、この視点を新約聖書も受け継ぎ、それどころかさらに先鋭化させている面があるようだ。
 ルカ16:19以下の「金持と乞食ラザロの譬」
 ここでは、両人の死後の状況が語られ、乞食ラザロには葬儀をやってくれる者もいなかったが、「天使たちからアブラハムのふところ(死後の祝福された場所)に連れていかれた。他方金持のほうは「黄泉〔よみ〕で苦しみながら、ふと日をあげると、はるか向こうにアブラハムとそのふところにいるラザロが見えたので、声をあげて言った『父アブラハムよ、どうか私をあわれと思ってラザロをよこして、指先を水にひたして私の舌を冷やさせてください。私はこの焔の中でもだえ苦しんでおります』。しかしアブラハムは言った『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものをもらい、ラザロは反対に悪いものをもらったではないか。だから今ここで彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。そればかりではない。私たちとあなたたちの間には大きな深い裂け目があって、ここからあなたたちの所へ渡ろうと思ってもできず、そこから私たちの所へ越えてくることもできない』。……」(塚本訳)。金持の黄泉〔よみ〕における苦悶の様子は、中世以来カトリック教会の説いた「煉獄での自分の身内の苦悶の姿」(これが周知のように「免罪符問題」、ルターがカトリック教会に向かって出した「九五ヵ条の提題」の背景であった)を彷彿とさせる。この箇所にとどまることなく、新約聖書では旧約聖書よりも徹底し、先鋭化させて死のもつ永遠の滅びについて語られていることは確かである。
 マタイ22:1以下の「王子の結婚披露の譬」、またマルコ9:42以下、さらに黙示録14:9以下など、新約聖書は人間の死に関して「第二の死・永速の滅び」という見解に固執している。

人間の死ぬ理由
 聖書の見解によれば、人間は神の戒めに逆らって罪を犯したから、神からの刑罰として死ぬ、のである。パウロは述べている、人間の死を人間が犯す罪と関連づけて「アダムの罪をとおして死がこの世に入り込んできた。こうしてすべての人が罪を犯したので、すべての人に死が入り込んだ」(ロマ5:12)、「罪の報酬は死である」(ロマ6:23)。死の問題は人間の罪が赦されることによってしか解決しない、と聖書は述べているのだ。
 「神はこの一人の人間イエスの中ですべての者に対するご自分の愛、すべての者との連帯を証明なされた。神はこの一人の方の中ですべての者の罪と咎とをご自分に引き受けられて、彼らすべて者から罪と咎を取り除き、彼らすべての者が当然受けるべき裁きから、より高い義をもって解き放ち、かくして神はその方の中で彼らすべての者の慰めとなられた。この方の中で神は死の直中で私たちの助け主、救い主でありたもう。なぜなら自分たちの罪と咎のゆえに死の中に落ちこんでいた《私たちの代わりに、この方は罪人、咎ある者となられてそれに見合うもの(刑罰、死)を受けて負債を贖われたことをとおして、私たちが死から解放されたということ、このことがまさしくこの一人の方の死の直中で出来事として起こったからだ》」(バルト、前掲書 746)。

イエス・キリストの十字架の死
 新約聖書が述べたキリストの死についての見解、また教会史の中で主張され、論議されてきた「キリストの死についての解釈」について言及したい。ここでは特にイエスの十字架の死を「罪の赦し」として《のみ》把握する解釈を乗り超えて《十字架を人間の死の間題の解決のポイント》と関連づけて理解したい。
 周知のように、イエス・キリストの十字架の死の時点では、その死は弟子たち、随順者たちに失望、落胆しか与えなかった。《彼らがイエスの死の意味を深く認識できたのは、イエスの復活顕現に出会ったことをとおしてであった》。弟子たちは、復活顕現をとおして、イエスの死に対するつまづきから立ち直った。彼らがイエスの死をどのように把握したかについて、エマオの弟子たちを取り上げたい。

エマオの弟子たち
 イエス・キリストの《十字架の死の時点では》、イエスの死の意味は弟子たち、随順者たちには全く理解されなかったようだ。それどころか最初のうちイエスの十字架は彼らに《衝撃、狼狽、落胆》しか与えなかった。男性弟子たちがエルサレムから故郷ガリラヤへ逃亡したきっかけとなったのは、ほかでもなくイエスの受難、捕縛、審間、十字架の事件であった。
 折しも(イエスの死の3日後)クレオパともう一人の弟子は(クレオパはイエスの従兄らしい、もう一人はその息子シモン、彼は後にエルサレム教会の三代日の監督となったという、レンクシュトルフの註解)都の西方12キロにあるエマオという村を日指して、旅立った(ルカ24:13以下)。この記事によれば、イエスの弟子たちは十字架の出来事の意味を全く理解していなかった。「ほんとうに私たちは、この方こそイスラエルの民を贖ってくださる人だと望みをかけていましたのに」(24:21)の箇所は、何の希望も抱けない弟子たち全体の状態を反映している。特に注日すべきは、20節の記述である、
 「大祭司たち、役人〔最高法院の議員・律法学者・長老〕たちがこの方を〔ローマ人に〕引き渡して死刑を宣告し、十字架につけてしまったのです」。ここの《十字架についての史実的な知識自体は、イエスの十字架の死の意味を理解するのに何の役にも立たないことを示している》。
 しかし《こと》はすでに始まっていた。ガリラヤに逃亡したべテロら弟子たちは、ほかでもないそのガリラヤ(の湖に)おいて、イエスの復活顕現に出会った(ヨハネ21章、マタイ28:16以下)。
 このエマオの記事で重要なのは、二人の弟子たちに《見知らぬ旅人の姿をした復活のイエス》が「メシヤは王的な栄光に入るために、そのような苦難を受け《ねばならなかった》のではないか」と語られた点である(24:26、レンクシュトルフ訳。「メシア」はむろん「キリスト」のこと、「ねばならない」は神の摂理を意味する)。すなわちイエスの十字架刑に失望・落胆してエルサレムを後にした二人の弟子たちに、《復活のイエスご自身が彼らの日を開眼させて、キリストの苦難について旧約聖書が証言していることを理解させねばならなったのだ》(シュラーゲの論文「新約聖書におけるイエス・キリストの死の理解」)。言い換えると、出来事は時間的に「十字架から復活へ」と推移したが、イエスの十字架の死の意味を認識するには「復活から十字架へ」という逆の時間的な推移、時間の流れ(クロノス)を切り裂く終末論的な時(カイロス)の介入が不可欠であったのだ。
 復活のイエスによる「旧約聖書による証言」(27節)という箇所では、旧約聖書の具体的な文書名(複数形)はあげられていない。ここでのポイントは具体的に証明することにはない。むしろ旧約の文書による証言があるとの復活のイエスの《主張を受け入れ、信じること》にある(なお復活顕現については、拙著216以下参照)。教会史はイエスの死を解釈するのに、イザヤ53章を手がかりにしてきた。「イザヤ53章がイエス・キリストの死の解釈にとって重要な意味をもっていることは疑う余地がない」(シュラーゲ)。
 「よみがえられたキリストは、その苦難と死によって、義ならざる人々と死にゆく人々とに義と生命をもたらしたもうた」(モルトマン「十字架につけられた神」)

苦難の僕
 イザヤ53章の「苦難の僕」はイエスの苦難と死の解明について有効な手がかりを与えてくれそうである。イザヤ書の「苦難の僕の歌」は52:13~53:12にわたるというのが通説である(中沢浩樹「第二イザヤ研究」1962)。4つのポイントにふれたい。
(1)僕の苦難と死への視点の逆転
 4節前半にはこうある「われらは思った、彼は打たれる、《おのれの罪科のために神に打たれる》と」(中沢訳)、それが後半ではこう逆転する。「あにはからんや、彼はわれらの不義のために刺され、われらの罪科のために神に砕かれたのだ」。この僕は自分の罪科のために死んだのではなく、むしろ《われらの罪科のために砕かれた》これが視点の逆転のポイントである。イエスの弟子・随順者たちも、十字架にかけられたイエスをみて、ここの4節前半「彼はおのれの罪科のために神に打たれた」と考えたようだ。イエスの死に対する見方を逆転させたのは、「復活顕現の出来事」であった。同時に「イエスの苦難と死は何のためか」という問いにも回答が得られた。「われらの罪科のために彼は砕かれた」と。
(2)この僕の「代償苦」(代理的死)
 関連箇所として次のものがある。4節前半「まことにわれらの病を彼はにない、われらの苦悩を彼が背負った」。5節後半「彼の懲罰はわれらの平安(のため)、彼の傷痍はわれらの癒し(のためであった)」、6節後半「ヤハウェは彼に負わせた、われらすべての罪科を」、8節後半「彼はわが民の不義のゆえに打たれた」、10節後半「おまえが 〔イスラエルのこと〕彼の生命を咎の償いの供え物とするなら」、11節後半「わが僕は彼らの罪科を背負うのだ」、12節後半「げに彼は多くの者の罪をにない、不義なる者らのためにとりなしをする」。
 10節の「咎の償いの供え物」は、レビ5:14以下にある、罪のあがないのための供え物(雄羊一頭など)を祭司のもとに持参し、祭司がその動物犠牲の血を流して捧げることで、罪が赦される儀式用のもの。ここで第二イザヤは動物犠牲ではなく、むしろそれを人間(主の僕)の犠牲に置き換えているが、それは従来の祭儀的な処理方法によっては、人間の罪の赦しは不可能であるとの認識にたつからのようだ(中沢)。第二イザヤはとにかく「非祭儀的」である。
(3)この僕を苦難にあわせ死に至らせた《主体はヤハウェである》
 1節「ヤハウェの腕は誰に現れたか」。6節後半「ヤハウェはわれらすべての罪科を、彼に負わせた」。10節前半「ヤハウェは彼を砕くことをねがい、彼を刺した」。後半「わがねがいは彼によって遂げられる」。
 復活のイエスに出会った弟子たちは、これまで、イエスの捕縛、審問、十字架刑の出来事に至るまで、胸のうちで「神はどこにおられるのか」と問い続けたのちに、この神の沈黙に回答を見い出したょうだ。イザヤ書の僕の苦難と死との主体がヤハウェであったように、イエスの苦難と死の主体も神ご自身であった。「神はキリスト《のうちにいまして》、世をご自身と和解なされた」(Ⅱコリ5:19、この箇所の「キリストのうちにいまして」の翻訳は「キリスト者の希望」287参照)。「神は決して沈黙なさっていたのでなく、キリストのうちにいまして、十字架において行動され、ご自分の存在をもって死に行くキリストにおいて苦しんでおられた」(モルトマン「十字架につけられた神」)。そのことを弟子たちは《苦難の僕の歌を下敷きにして》また復活のキリストの解き明しをとおして、認識しえた。
(4)メシアのテーマ
 関根正雄氏はこの「苦難の僕」を弟子たちがみた預言者第二イザヤ自身の活動と解釈して、僕メシア説を否定する。他方中沢氏はこの僕をメシアと解釈する。もっともこの僕は第一イザヤが語った「タビデ的なメシア」ではない。5節「彼こそわれらの不義のために傷つけられ、われらの咎のために砕かれた。彼の懲罰はわれらの平安(のため)、彼の傷痍はわれらの癒し(のため)であった」。第二イザヤは伝続的な、ダビデ的なメシヤ像(イザヤ11:4「彼は正義をもって貧しい者をさばき、公平をもって打ちひしがれた者のために定めをなす」ようなメシア像)を廃棄して、全く異なるメシヤ像、人々のために人々に代わってヤハウェによって苦しめられ、死におもむかされる僕というメシヤ像を提起した。
 そしてこの「苦難の僕メシア像」を受け継ぎ、展開した原始教会の一人がパウロである。「主は《私たちの罪のために》ご自分をお引き渡しになった」(ガラ1:4)。「キリストは私を愛し《私のために》ご自分を引き渡された」(ガラ2:20)。「キリストが《すべての人に代わって死にたもうた》のは、生きる者が、自分のためではなく、《彼らに代わって死んでよみがえりたもうた方》のために生きるためである」(Ⅱコリ5:15。ここの「私たちのために」は「私たちの利益のために」と「私たちに代わって」の双方の意味である(ケーゼマン)。キリストの死にまつわる神の行動について、パウロはこう述べた「ご自分のみ子を惜しまないで、私たちすべてのために死に引き渡された方」(ロマ8:33)。最後にイザヤ53:5を読んでみたい。「彼の懲罰はわれらの平安のため、彼の傷痕はわれらの癒しのためであった」。Iぺテロ2:24「キリストの傷によって、あなたがたは癒されたのだ」。

木にかけられた方
 次に「十宇架のつまづき」(ガラテヤ5:11)を取り上げたい。パウロは述べている「十字架につけられたキリストは、ユダヤ人にはつまづき(いまわしいもの)であり、異邦人には愚かである。しかし召された者には、ユダヤ人にもギリシャ人にも、神の力、神の知恵である」(Iコリ1:23~24。ここの「つまづき」とは「いまわしいもの、汚れたもの、忌むべきもの」という強い意味である)。
 イエスユダヤ教の最高法院によって有罪判決を受けた理由は、大祭司の審問「あなたはメシアなのか」に対してイエスが半ば肯定した回答をなさったために、神をけがす瀆神罪に問われたからだ(拙著「キリスト者の希望」174以下)。十字架刑自体は当時ユダヤを支配していた、ローマ帝国が叛乱奴隷や叛乱を企てた者たちに課した極刑であった(前6年ころ、人口調査に抵抗したガリラヤのユダの叛乱など)。
 他方、ユダヤ教においては「木に架けられた者はすべて神から呪われている」(申命記21:23)とされた。「キリストは私たちのために呪いとなられて、私たちを律法の呪いから贖ってくださった」。
 ペテロの説教でもこう語られた「あなたがた〔ユダヤ人〕が木に架けて殺したイエスを私たちの先祖の神はよみがえらせたもうた」(行伝5:30)。「キリストは木に架けられて私たちの罪をご自分で負われた。その傷によってあなたがたは癒されたのだ」(Iペテロ2:24、イザヤ53:4)。 「イエスは《神から遠く離れて》すべての人のために死を味われた」(へブル5:7、ハルナックの読み方)。

贖いの供え物(贖罪の場所)
 ロマ3:25「神は血による《贖罪の場所》としてキリストを公然とお立てになった」(ヴィルケンス訳、協会訳は「贖いの供え物」)。ここの原語ヒラステリオンはエルサレム神殿の至聖所に置かれた「祭儀用の黄金の板」のことで、旧約聖書では「贖罪所」と訳された(出エジプト25:17以下など)。民の罪の贖いのために、この板の上に羊などの血が注がれた。バウアーのレキシコンは「贖いの供え物」との訳語をつけているが、しかしここの眼目は、犠牲として捧げられる動物「贖いの供え物」ではなく、むしろ《贖いの場所》である(キリストの十宇架の死の出来事の《主体》は、キリストご自身ではなく、神である。だとすれば「贖いの供え物」との訳語を採用した場合、その供え物を捧げる者も受ける者も神だということになり、内容が意味不明となる)。ヴィルケンスの訳語はここを「贖罪の場所」としている。キリストが犠牲とされる動物になぞらえられているので《なく》、むしろ黄金の板(贖罪所)になぞらえられている。この贖罪所は神の臨在する贖罪の場所である。神は十字架にっけられたキリストを、すべての信仰者のための贖いの場所となされて、そこにご自分が臨在なさるのである(ヴィルケンス、註解)。

贖い金・身代金
 マルコ10:45「人の子が来たのは、仕えられるためではなく、仕えるためであり、多くの人の《あがない金》としてその生命を与えるためである」(塚本訳、原語はルトロン。「人の子」は後期ユ
ダヤ教のメシア称号で、ダニエル書、エチオピアエノク書に出てくる)。この用語・あがない金は、奴隷をお金を支払って自由にするそのお金のこと。キリストの十字架の死の意味を示すものとしてこの用語は用いられた。しかしこの身代金はいったい《誰に》に支払われるかが明らかでない。支払う相手として、アレキサンドリア神学者オリゲネス(後240年ころ)、アウグスティヌス(後400年ころ、カルタゴ神学者)らは、サタンへ支払うものと解釈した。「キリストはご自分の血によってサタンの力から、私たちを贖いたもうた」と。