建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

貧しい者の希望 (一)

1999講壇1(1999/9/4~1999/10/24) 

 (20年ほどまえから「希望」について調べてきた。いつかそれをまとめて本にしたいとも考えてきた。これまで「囚われ人の希望」「ギリシャ文学における希望」「旧約聖書における希望「新約聖書における希望」について書いてきた。入院、パンフ「宗教者の戦争責任」の原稿、その他で中断したままであった。しかし病気で視力が落ちてきたし、体も無理できないので、そろそろまとめたいと考えた。「天皇制とキリスト者」についても書きたいが、あくまで、第一に「希望」、第二に「天皇制」の順番にしたい。最初に「新約聖書の希望」を取り上げるのはいまだ未完だからである。
 新約聖書における「希望」については、まず福音書における「貧しい者の希望」「イエスによる癒し」「イエスの苦難と希望「復活」などから初めて「パウロの手紙における希望」を取り上げたい。特に「復活」についてはやっかいで現在(1999年現在)も取り組んでいるが、カール・バルトの復活理解がまだよく理解できないで苦しんでいる状態にある。)

 

貧しい者の希望  (一)
 洗礼者ヨハネは獄中にあって弟子たちをイエスのもとに派遣してこうたずねさせた「きたるべき方(メシア)はあなたですか、それとも他の人を待つべきでしょうか」。これに対してイエスは答えられた、
「盲人は見えるようになり、足のなえた人は歩き回り、らい病人は清められ、耳の聞こえない人は聞き、死人は生き返り、《貧しい者は福音を聞かされている》」マタイ11:2~6
 イエスの平野での説教においても「貧しい者への祝福」が語られている。
 「幸いなるかな、(あなたがた)貧しい者たち、神の国はあなたがたのものだからである。
 幸いなるかな、今飢えている者たち、満腹させられるのはあなたがただからである。
 幸いなるかな、今泣いている者たち笑うのはあなたがただからである」(ルカ6:20~21、シュールマン訳、マタイ5:1以下)
 これらの箇所における「貧しい者」は、どうゆう意味か。経済的に貧しい者なのか、それとも包括的な意味をもつのか。特定の運動体なのか、貧しい社会的階層なのか。
 貧しい者の解釈の歴史をスッケッチしたい。ディベリウスは貧しい者を「メシア的敬虔主義者(messianische Pietisten)」と解釈した(「ヤコブ書註解」)。この文献は1927年に出たものだが、特にユダヤ教における貧しい者の概念の変遷を述べていて注目すべきである。少し長いが引用したい、次回まで。
 「詩篇では貧しい者を特定の集団とみなし、民全体とは区別した。貧しい者はヤハウエの恩恵にふさわしい集団となった。敬虔というものが神の御心に自分を屈することを指すようになればなるほど、貧しさはますます敬虔の母体とみなされるようになった。それゆえ《貧しさと敬虔であること》とは並行的な概念となった(詩篇86:1以下、132:15以下)。貧しい者の敵が不幸な末路をたどり、貧しい者が高くされるというのが、神義論思想の帰結であり、敬虔な者は神の正義に信頼して正義の実現を嘆願した。この正義の実現を訴える言葉は知恵文学、詩篇箴言ヨブ記における教えとして現われた、すなわち〈敬虔な者はなるほど現在は悲惨な目にあっているが、これにひきかえ悪人は幸せに暮らしている。しかし将来においてはこの関係は逆転する〉との教えとしてである。貧しい者が高くされ富める者が打ち倒されることは、神の力に対する例証である(「主は低き者をちりの中から起こし、貧しい者を泥の中から高め、尊い者と共に座らせられる」(詩篇113:7以下)。
 (ディベリウスの引用続き)敬虔な者たちが宗教的な共同体で生活している場合には、世俗主義化に対する敬虔主義的立場からの批判、富める者の不正と不義に対する《プロレタリア的な》抗議、紀元前二世紀にシリアからの解放闘争において(独立戦争を指導した)マカベア一族の側に立った《ハシデイーム・敬虔な者たち》 によるシリア人の侵略への民族的宗教的な反対の活動がなされた。敬虔な貧しい者の過激な自意識は政治的関係にも生き続けた。敬虔な者たちはマカベア一族との結びつきがなくなって、やがて《パリサイ人》となったが、彼らが政治的な課題から手を引いた時にも、彼らの中には貧しい者のパトスがずっと保持され続けた。昔の敬虔な者の名、特徴はパリサイ人に引き継がれ、今やパリサイ人が貧しい者として現われた。ソロモンの詩篇(旧約偽典)で次のようにあるようにである、「あなたは善意に満ち憐れみ深いかた、貧しい者の避難所」(5:2)、「神はイスラエルをよみし、貧しい者を憐れむ」(10:6)、「神よ、あなたは貧しい者の希望、避難所です」(15:1)。これはパリサイ人が一般に貧しい者であるとの社会的な状況とも一致していたろう。とにかく敬虔な者は自らを貧しい者と感じていた(貧しいことが宗教的な概念となった)からである。さらにこの貧しい者の概念は詩篇からパリサイ人へと移行し、また彼らが共同体の中で力ある者となった時、他の集団を指すものに移行していった。この他の集団を福音書の記事から明らかにすることができる。
 イエスに帰依した人々はさまざまな階層の出身者であった。そのうちの一つの集団が「取税人と罪人」と呼ばれている(マルコ2:15「大勢の取税人や罪人たちがイエスや弟子たちと食卓についていた」)。罪人も取税人もむろん特定のグループを指していたのであるから、福音書の《罪人》が(ユダヤ教の膨大な律法解釈の書)タルムッドにあるアムハーアーレツ(地の民)といわれていた階層だと推定されるにしても、彼らは民の一部の人、律法を守らない人々とみて間違いない。彼らは教養がなく、祭儀的に汚れ、生活と職業のために清めの律法の戒めを破らざるをえなかった。しかしイエスに帰依した人々は、罪人からだけ成り立っていたわけではない。イエスのさまざまな言葉がその資料を与えてくれる。
 イエスが貧しい者を御国の相続人として祝福なさった時(ルカ6:20以下「幸いなるかなあなたがた貧しい者、神の国はあなたがたのものだからである」)、また貧しい者に説教なさった時(マタイ11:5「貧しい者は福音を聞かされている」)、イエスはイザヤ61:1以下で生き生きと描かれている、メシアの時には悲惨な者(貧しい者・anaw)に救いがもたらされるとの信仰を前提とされている。神の国という黙示文学的な表象世界がイエスの説教の中心点である。この表象世界によってイエスはまず自分たちの祈りで神の国を得ることを願った人々、反抗的で頑なな《罪人》にではなく、心から敬虔でありたいと欲した人々に近づかれた。
 この人々は第四エズラ書8:31以下でその雰囲気が表現され、また一般に黙示文学がその思想世界を最も明確に描き出された人々である。
 「もしあなたが義の業を欠いている私たちを憐れもうと欲したもうなら、その時あなたは憐れみ深い方と呼ばれるでしょう。ほんとうに、生まれた者の中で不虔な振る舞いをしなかった者は一人もなく、かって生きた者の中で罪を犯さなかった者は一人もいません。だから主よ、もしあなたが善き業の貯えがない者を憐れまれるなら、このことによってあなたの義と善とが宣べ伝えられるでしょう」。
 《このメシア的な敬虔主義者たち(messiani schen Pietesten)がイエスの時代の伝統的な貧しい者のパトスの相続人である》。
 《取税人と罪人》は共同体的な視点では軽蔑され憤激を引き起こした者であったとしても、財産の点からいうと、彼らは決して無産者には属していなかった。しかし敬虔な貧しい者はかの黙示文学的な響きをもつ信徒集団であり、また宗教的な考えから律法を傷つけ伝えられた生活様式と矛盾するところの、経済的発展を警戒していた。先祖から伝えられた敬虔が先祖と同一の小農民と手職人の職業に結びつけた。イエスはアムハーアーレツ(地の民)ではなかったにせよ、この階層に属していた。
 ここには詩篇に由来する貧しい者のパトスの真の相続人がいる。貧しい者の誇りは、かの敬虔な者の敬虔主義的な祖先の伝統重視(Patriarchalismus)から生じた。この祖先重視が新たに生き返った。経済的な対立が拡大し、富める者に対する抗議の根拠が增大したからである。
 この抗議がプロレタリア的であると呼べるのは、富める者への抗議者自身が、経済的に大規模な事業に関与していないと考えられる場合かまた当時経済的に転落した大都市の《ルンペンプロレタリア》が貧窮に苦しんでいたとみなされる場合のみである。現にすべての人がそのような貧窮を経験的に知つていたわけではない。(続)