建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

キリスト者の復活(四) 藤井武(3)

キリスト者の復活(四)

藤井武の来世研究(3)
 「《死よ、いつにても襲いきたれ、私は汝の背後に私の最も慕う所のものを見るがゆえに、すべて汝の刺[とげ]に耐えることができる》。しかしながら聖書が我らにもたらす嘉信はこれに止まらない。もし歓喜にみつる来世生活が死なる出来事を抜きにして、ただちに現世生活に接続することあらば如何。これを笑うべき空想というもの[者]は誰か。死は必ずしも人の必然の運命ではない、キリスト者は何びとも死を経過せずして光栄ある来世生活に移りうるべき可能性を有すると聖書はここかしこにおいて明言する」。
 [藤井はここで旧約聖書における天に移されたエノクの例、ヘブル一一:五「エノクは死をみないように移された」、詩七三:二四などを想定している。他方ここの箇所はカール・バルトの言葉をも想起させる。バルトは世の終りが先か、その人の終り・死が先かについては誰にもわからない、と述べた(「教会教義学」III/ 2、七七六以下)]。
 他方で藤井はここで「キリスト者の変容」をも想定している。
 「我らが霊体を賦与せらるるは、いつともはかられざるキリスト再臨の時であって、その時現に生存せるキリスト者はこの新しい体を着せられんがために必ずしも古き肉の体を脱ぐ(即ち死する)に及ばず、いわば古き体をまとえるままその上に新しき体を着せらるれば足りる。しからば死すべきものが死するの暇なくして、そのまま生命にのまれ、死せざるものと化するのであるという[第一コリント一五:五一~五五]。これまた信ずるにはなはだ骨の折れる啓示である。誰が今日の科学をもってかかる事実を説明するこができよう。…況して原理からすれば、罪を贖われし者は死の束縛より解放せらた者であるがゆえに、死を経過せずして永遠の生活に入ることこそむしろ当然であると言わねばならぬ。…かくのごとき事実は今はキリスト者の多数さえもさながら迷信のごとくにしてこれを嘲笑する。しかしそはたまたま彼らの来世観の不徹底と不熱心とを表明するのみ。来世を
慕とうてやまざりし初代キリスト者にありては、歓喜あふるる未来の生活が死を飛び超えて直ちに現在の生活に接続しうべき事を少しも疑わなかったばかりでなく、 彼らがこれを慕い求むるこころは、あたかも重荷を負えるが如く切なる歎きとして現われたのである(第二コリント五:二~四)」。

「いかにして死に処すべきか」
 藤井は、では来世を約束されたキリスト者に死はいかなるものかを問う、そして聖書がこれについて語るのははなはだ稀であると述べている。数少ない箇所の一つとしてピリピ一:二一~二三を取り上げている、
 「というのは私にとっては、生きることはキリストであり、したがって死ぬことは益である。ところで肉において生きること、それは私にとっては働きという賜物である。どちらを選ぶべきか私にはわからない。私はこの二つのものの板はさみになっている。私の切望するのは、(生に)別れを告げて、キリストと共にいることである。その方がはるかによいからである」(佐竹明訳)。
 この箇所について、藤井は述べている、
 あたかも人をして《死の讚美》をきくの思いあらしめる。…そはもとより生の厭わしきがゆえでなくして、死が生にまさるの生たるがゆえでなくてはならぬ。まことに彼にとって「生くるはキリスト」であった。…彼の原動力がことごとくキリストであって、しこうしてキリストこそは彼の歓喜中の歓喜であった。しかるに彼はなお附言して日う「死ぬるは益なり」と。その語勢よりすれば《死ぬるは生くるよりもさらに益なり》との意味たるを疑わない」。
 「ゆえに曰く『これ[生に別れを告げること]遥かにまさるなり』と(二三節)。…怪しむべきは生の謳歌者より出づる死の高調なる讃美である。しかしてこの大なる謎を解くものは唯一あるのみ、即ち《死は生にまさるの生である》との事実これである。何人にも大いなる悲痛の原因たる死、多くの勇者すらもその前に当りて思わず戦慄する死、未来信者すらも、自ら畏縮を禁ぜざる死、それが生にまさるとは!
 よし死は生命の絶滅ではないとするも、果して《意識なき永き睡眠ではないか。もしまた何らかの意識ありとせば、かえって最も苦痛多き陰欝なる状態ではないか。いずれにせよ死はいかに良くこれを見積もるとも健全なる生活にとりて何よりも望ましからざる最後の休憩所ではないか》。《死は肉体を脱ぎていまだ霊体を着けざるいわゆる裸の状態にある点において[第ニコリント五:一以下]確かに不完全なる変態たるを免れない》。
 しかるににもかかわらず、何ものをもってしても代うべからざる《恩恵》のこれに伴うあるがゆえに、《死は意識なき睡眠状態》にあらず、陰欝なる苦痛の生活にあらずして、かえって生にまさるの生たらざるをえないのである。恩恵とは何か。キリストとの偕在[かいざい]これである。『願うところはむしろ身を離れて主とともにおらんことなり』(第二コリント五:八、ブルトマン訳『私たちは体を脱いで、主のもとに住むことができることのほうをとりたい』)。主とともにおるという。もっとも親しい人格的交流関係に入ることである。したがって明白なる意識をもって己が深き思いを訴うると共に、また彼よりの大いなる感化にあずかる事である。この一事においてキリスト者の死は現在の生活よりも遥かにまさるのであるという。
 さて藤井の本書で一番印象的であったのは、第六(章)「沙洲を超えて」の(一)今日我と共にパラダイスに (二)生くるはキリスト、死ぬるは益なり、の一五ページほどの部分であった。
 藤井はまず、テニスン(一八〇九~一八九二、イギリスの詩人、亡き友への挽歌「イン・メモリアム」が有名)の辞世の詩「沙洲を超えて」を引用する、

 日没、明星、そして私を呼ぶ一つの明らかな声[聲]
 どうか《沙洲の歎き》がないように、私が海へ漕ぎでる時。
 薄明、晩鐘、そしてその後に暗み
 どうか《告別の悲しみ》がないように、私が乗り込む時。
 なぜなら時や場所などという私たちの小河から さし汐が私を違く連れて往くにしても、
 私は《私の水先案内》にまのあたり遇うことを望んでいるのだもの、
 私が沙洲を超えるとすぐに。

 この詩について、藤井は述べている
 「ここに現われている思想は、一つの確かな実験的真理として、無条件に共鳴を促すではないか。『沙洲を超えて』はたしかに霊魂の実験の聲だ。それはテニスンのものであると共に、また私のものだ。私自身の告白だ、讚美だ、祈りだ」。
 藤井はこの詩を解釈している、人生の日没、厳粛なる時だ。宵の明星。そして今、明らかに私の名を呼ぶ声が聞こえる。ああ召しの声だ、いよいよ時がきたのだ。もちろん大いなる寂しさを打ち消すわけにはいかない。がしかし、自分は悲しんでもらいたくない。それはお別れには違いないが、いわゆる《告別の悲しみなるもの》は何としても私にはふさわしくないのだ。なるほど私は今さし潮に引かれて、はかり知れぬ大洋の沖へ遠く連れていかれるだろう。 しかしその私の望みの鮮やかさ、楽しさ。私は《私の水先案内》ー誰よりも慕わしい彼[キリスト]に、目のあたりに遇うとしているではないか。何という明るい体験、《何という望みに満ちた船出》だろう。
 藤井は語る、イエスは死の前に垂れているとばりをあげてくれた、使徒らは沙洲の彼方なる未知の大海の光景をみごとにスケッチしてくれたと。  続