建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

囚われ人の希望(4) 孤独への憧憬

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17)

 囚われ人の希望(4) 孤独への憧憬

 ドイツの神学者ボンヘツファーはこう語った「私たちは交わりの中にいることにおいてのみ、一人でいることができる。一人でいる者だけが、交わりの中に生きていくことができる」(「交わりの生活」一九五五)。この見解は、孤独になれない人間、孤独になれない状況に置かれた人間が、他者との共同生活を決定的にそこなうことになることを暗示している。
 ドストエフスキーは、囚人にとって強制労働よりも苦しいのは「無理に共同生活を強いられること」つまり孤独になれないことだと述べている。
 彼は護送中に世話になったデカプリストの妻フォン・ヴィージナ夫人への手紙にこうしるしている。
 「私が護衛つきで大勢の人の中で暮らし、一時間として一人きりになれない境遇がやがてもう、まる五年になります。一人きりでいたいというのは、ノーマルな要求であって、飲食と同じなわけです。人と一緒にいるということは、毒となりばい菌となります。ほかならぬこの耐えがたい拷問のために、私はこの四年間、何よりも苦しみました」。
 「私は出会う者一人一人、例外なしに憎んで、まるで私の生命を盗みながら罰せられないでいる、泥棒か何かのように、すべての人間を見たものです。何よりもたまらない不幸は、自分自身が公平を欠き、意地悪いいまわしい人間になった時です。それはすっかり自覚しているのですが、しかし自分を制することができないのです」(出獄後三週目 「書簡集」)。
 ドストエフスキーがやっと成就した孤独の世界について述べているシーンは、この作品の中でもひときわ印象深い。彼は牢獄から三、四キロ離れたレンガ工場のある河辺でレンガづくりとその運搬の作業をしていた。
 「その作業現場はイルトゥイシ河の岸にあった…。私がこの岸のことを口にするのはほかでもない、この岸からは自由な神の世界が見えたからである。清らかな、澄みきった遠景、その荒涼とした風景で私の胸に異様な印象を刻みつけた、住む人もいない、自由な曠野が見渡せたからである。…この岸辺ではなにもかも忘れて空想にふけることができた。囚人がその牢獄の窓から自由な世界に憧れの目を向けるように、私はよくこの果てしなくどこまでも続く、荒涼とした広がりにいつまでも見入ったものであった。底知れぬ紺碧の大空に明るく輝く太陽もキルギス側(オムスクの監獄から南方にひろがるカザフ台地)の対岸から聞こえてくるキルギス人のかすかな歌声も、そこにあるものはなにもかも私にとっては尊く、懐かしいものばかりだった。長いこと目をこらしていると、やがて遊牧民のものらしいなんとも貧しい、煙でくすぶった天幕のようなものが見えてくる。…なんという鳥だろう、青い透き通るような空気を切るように飛んでいる鳥の姿がふと目に入る。そこで執拗に、いつまでも飛んでいく鳥の姿を目で追い回す。さっと水面をかすめて、青空の中に姿を消してまた姿を現わす。春もまだ早い頃岸辺の岩の裂け目にふと見つけた、貧弱な、ひょろひょろした一輪の花でさえも、なんとなく病的に私の注意を惹きつけるのであった」(第二部の五)。
 この引用箇所について宗教学者西谷啓治は次のように言及している
 「ここでドストエフスキーが語っているのは、…すべてわれわれが日常触れている事物である。われわれはそれを日常的な意味で実在的ものといっている。…しかしそういうありふれた事物に対して、それを凝視するとか、それがほどんと病的なまでに自分の注意を惹くとかいうことは、決して日常的ではない。そこにはわれわれが日常的に実在的といっている物が、質的にまったく別な次元で彼にリアルに追って来ているのである。その事物が実在的として受け取られた時の実在性の意義また実在感は、質的にまったく違っていたのである。それゆにこそ彼は、そこに《神御自身の世界》を見ることができた。またみじめな自己を忘れることができた」(「宗教とは何か」一九六〇)。
 西谷氏が指摘したとおり、ドストエフスキーが述べたこのシーンは決して「風景描写」ではない。ドストエフスキーは当時のロシアインテリゲンジャーの常として、西欧の人道主義やフランスの空想的社会主義フーリエに強く惹かれていた。それでぺトラシェフスー事件に連座してシベリアでの牢獄生活を強いられた。西欧のヒューマニズムとの接触によって彼はひとたびロシアの大地から根こぎにされたが、このイルトゥイシ河の岸に一人たたずむことによって、もう一度ロシアの大地に回帰し根づいたのである。それがこのシーンにおける「自由な神の世界」との彼の出会いである。ロシアの大地への回帰はのちの「罪と罰」や「カラマゾフの兄弟」におけるラスコーリニコフやアリョーシャの「大地との接吻」として形象化された。 続