建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

囚われ人の希望(8)  諦めの人生と将来の喪失

2000講壇6(2000/12/3~2001/6/17)

囚われ人の希望(8)
諦めの人生
 諦めの人生は、パスカルが明らかにしたように、苦境にある自分の苦しみを絶えずしずめ、自分で気晴らしをしなければならない。現実には慰めを得られないものの、現在のもの、はかないもの、いわば見せかけのものをもって自らを慰める人生である。
ソ ルジェニーツインは、ラーゲル生活の後、流刑の時期、一九五四年から一年間、ガンの治療のためカザフ共和国のタシケントの国立病院に入院した。この体験から生まれたのが「ガン病棟」(一九六七)である。
 主人公オーレクは三四才、ガンにかかったが入院治療の結果、治癒して退院を待つばかりであった。ある夜眠れないままに病棟の廊下で当直をしている、中年の雑役の婦人に話かけた。「それは眼鏡をかけた奇妙に教養の高い、雑役婦のエリザべータだった。宵のうちにすっかり仕事を終り、今やここにすわって本を読んでいる」(小笠原豊樹訳)。オーレクはすでに顔をあわせるやいなや互いの身分を察知しあう人物として、この婦人を見ていた。「例え一度なりと有刺鉄線の影を身体に浴びた人間をすぐにそれと知るのであった」。婦人の故郷のレニングラードで、家族もろとも危険分子として追放処分にあい、今や遠いこの病院で八年の流刑囚として働いていたのだ。彼女の夫はオーケストラのフルート奏者であったが、束シベリアのラーゲルに送られ、今では文通もとだえがちであった。それに移住先で娘を亡くし、八才になる息子と二人で暮らしていた。婦人はオーレクよりもかなり年上で、年より老けて見え、小柄でやせていて、その手は病院での水仕事のために荒れて傷だらけであった。
 婦人が読んでいたのはフランスの冒険小説であった。オーレク「なぜいつもフランス語の本ばかり読むんですか」。婦人「こういうものなら、読んでいてつらくありませんから」。むろん彼女はかつては「かたい本」に慰めを求めようとしたこともあった。しかしその結果は二つの失望を味わっただけであった。失望の一つは本来読書で得られるはずのカタルシス(苦しみや悲しみの浄化)を与えられなかったことにである。
 「アイーダヴェルディのオペラ『アイーダ』のヒロイン)は愛する人ラダメスのいる地下牢に下りて、一緒に死ぬことを許されました。でも私たちには愛する人の消息さえ知らされません。アンナ(トルストイの『アンナ・カレーニナ』のヒロイン)は不幸だったでしょうか。自分の情熱に生きてその代償を支払ったのですもの(不倫による自殺)、幸福な一生だわ」。婦人から見ると、このような悲劇のヒロインたちの悲しみよりも、自分の体験したそれのほうがはるかに深くかつ激しいものに思われ、書物が与えるはずの苦しみをやわらげるカタルシスが起こらないのだ。
 彼女のもう一つの失望は、かたい本のテーマについてである。その種の本はあたりさわりのない「安全な事柄」しか取り上げないばかりか「現在苦しんでいる人々には何の関心もない。一体いつになったら《私たちのこと》小説に書かれるのでしょう。百年たたないとだめなのですか」。
 今彼女を悲しませているのは、遠いラーゲルにいる夫からの手紙が途絶えていること、八才になって分別がついてきた息子からいろいろ質問されて困惑させられることであった。婦人「だから古いフランスの小説を読むんです。ただ静かに読んでいるだけです」。オーレク「麻薬みたいなものですか」。婦人「いいえ、救いです」。
 この婦人は追放の身であるが、娑婆にも、不本意で味気ない、展望のない自分の今の人生をただ忘れるためだけに一数年間で何百キロもの、冒険小説、推理小説を読破している人生が私たちにも存在する。

将来の喪失
 フランクルは「強制収容所における囚人の存在は《期限のない仮りの状態》と定義される」とみる。これとよく似た心理状態にあるのが、失業者である。フランクルラテン語のフィニス(finis)という語が「終り」と「目的」との二つの意味をもつことに着目し「自分の《仮の存在形式》の《終り》を見極めることのできない人間は、《目的》に向って生きることもできない」「将来を失うと共に、囚人はその拠り所を失い、内面的に崩壊し身体的にも心理的にも駄日になってしまう」と語る。
 例えば、次のクリスマスには釈放されて帰郷できるという、根拠の薄弱な素朴な希望をいだいた囚人たちが、それが実現しなかったことによって《希望から失望へと急激に落ち込んで》将来を喪失して生命力が極端にか細くなり、多数の囚人が死んだという。
 ゴルヴィッアーは、囚われ人が帰国のデマに本能的に振り回される性格を備えているので、その種のデマから身を守る技術を身につけることが不可欠であると述べた。「希望から失望へのこのような急転に遭遇する場合、あまりに熱い湯と冷水にかわるがわる入る入浴のように、心が痛めつけられるのを欲しないないならば、《調和のとれた気持を保つ》ような技術をもっていなければならなかった。私の技術は、もはや何も信じないこと、しかしそれぞれの噂を好んで話題にしながら、そこから希望を新たに活気づけることであった」。
 捕虜においては、自分たちがいつ解放されるか不確定でわかっていなかった。  続