建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅰ.囚われ人の希望-2 空想

空想
 ドストエフスキーは囚われ人と牢獄の外にいる自由な人とでは、現実の生活に占める《空想、希望》の重みが全く異なるという(「死の家の記録」一八六二、小沼文彦訳、この作品は周知のように政治囚として彼が四年間西シベリアのオムスクの牢獄に入れられた体験を小説の形で表現したもの)。
 なるほど自由な人にしても、 現在の運命が変わればいいとか、ある計画がうまくいけばいいとかの希望をいだいている。しかし絶えず現実の生活が変化するということがその人の心を完全にとらえているので、自由な人の場合、空想や希望の入り込む余地があったにしても、それらの空想や希望は日常生活の中で絶えず弱められかき消されてしまう。それに対して、自由な生活というものが存在しない囚われ人の場合、自分が築いていくべき生活というものが全く存在しない。芽生えた空想、希望をかき消してくれる現実の生活が存在しないので、彼らは空想によって自分の生活が支配されてしまうのだ。
 ドストエフスキーは囚われ人の《空想》の内容が例外なく「何か不可能に近いことだ」と語っている。自由な人にとっては、ある空想は実現不可能であり、ばかばかしいことだと断定して、 さっさと自分の心から追い出すことができる。しかし囚人にとってはそうはいかない。例えば、出獄などありえないはずの無期刑囚たちにしても、次のように空想することがあるという、ひょっとするとある日、突然ぺテルブルクから通達が来て、自分が有期刑に減刑されて数千キロも離れた(日本海に流れこむ)アムール河の上流にある鉱山に移されるかもしれない、もしそうなればしめたもので、そこまでの移動には半年はかかるし、また集団で護送されるほうがこんな牢獄にいるよりどれほどいいかしれない、そしてその地で刑期が終ったら、その時こそは…。白髪の老人までがそんな空想にふけるという。
 「彼らの希望のこの奇妙な熱っぽさと性急さ、それが時として全く根拠のないものである。その希望が実現不可能なものであればあるほど、彼らはますます頑なに、ますます大切なものとして心の中に秘め隠すのであるが、 それでいてきっぱりと諦めてしまうことができないのだ」。
 囚人はなぜ空想を追い払うことができないのか。それは一つには囚人が「自分の生活を現実の生活の一部として絶対に受け入れることができないから」であり、もう一つには彼らが「希望なしには(不可能なものへの情熱、空想なしには)全く生きていけないからである」とドストエフスキーは語る。
 ミュージカル「ラマンチャの男」(一九六五)の中で、セルヴァンテス(著者が登場人物・ドン・キホーテ両者を演じる)はこう語った、
 「人生そのものが気違いじみてみえる時、狂気がどこにあるか一体誰にわかるであろうか。あまりに実用いってん張というのはおそらく狂気であろう。夢に屈伏すること、これも狂気かもしれない。ごみ箱しかないところに宝を探すようなものだ。あまりにも醒めすぎているのも狂気にちがいない。そして狂気のさいたるものは、人生をあるがままにしか見ないで、そうあらねばならない人生というものを見ようとしないことだ」(引用は英文のシナリオから)。
 なぜこの文章を引用したかというと「実用いってんばり、あるがままの人生しか見ない」娑婆の人間が囚われ人の「空想」を非現実的とせせら笑って、一蹴するからである。セルヴァンテスが語るように、夢に屈伏するのが狂気だとすれば、あまりに醒めていること、あるがままの人生しかみないこと、目に見えないものに希望をいだくこと(パウロ、ロマ八・二四、二五「目に見える希望は希望ではない。私たちが目に見えないものに希望をいだくならば…」)がないことも狂気と言うべきだ。むろん「希望が人間を欺く」 という古代ギリシャの希望像もふまえなければならないが。
 オーストリア精神病理学者ヴィクトル・フランクルアウシュヴィッツ強制収容所の体験記の中で、次のように述べている(「ある心理学者の体験した強制収容所」一九四七、邦訳「夜と霧」)。
 フランクルは地獄のようなナチス強制収容所の生活、乏しい食事、生命力をしぼり取る強制労働、絶望の中で、力が尽きようとしていた。ある明け方、作業場に行進させられていた時、彼は愛する妻の面影を思い浮かべたという。
 「すると私の前に妻の似姿(Bild)が立った。…私の精神はそれ以前の正常な生活ではけして知ることのなかった、ものすごく生き生きとした空想の中にしっかりと湧き起ったその姿に満たされていた。 私は妻と語り始めた。妻が答えるのを私は聞き、妻が微笑するのを私は見た。妻の要求し勇気づける眼差しを私は見た。そして身体を具有していようがいまいが、彼女の眼差しは今や昇る太陽以上に私を照らしていた。その時ある思想が私をつらぬいた。すなわち多くの思想家が知恵の究極的帰結としてその生涯から導き出し、多くの詩人が歌ってきた事柄の真理を、私はこの人生ではじめて体験した。愛は人間の現存在がどれほど高く舞い上がる究極のもの、最高のものであるという真理をである。私は今や人間の詩や思想、そして信仰が表現すべき究極のものと最終的なものとの意味を把握した。すなわち愛をとおしての、愛における救いをである。人間はたとこの地上にもはや何も残されていなくても、ほんの瞬間であれ、心の奧深くで愛する人間の似姿に身を献げることによって、浄福になることができるということを私は把握したのだ。考えうる限り、最も悲慘な外的な状況において、…ひたすら苦しみに耐えることができるだけという状況において、人間は愛する人を眺めることによって、彼が愛する人間に抱いている精神的な似姿に心を集中することによって自らを満たすことができるのである。愛は一人の人間の身体的存在とどれほど関係が薄く、むしろ愛する人間の精神的存在とどれほど深く関係しているかを、私は知りかつ学んだのだ。そしてこの瞬間私は次の真理を知つたのだ。『私を印章のようにあなたの胸に置いてください。愛は死のように強いからです』[旧約聖書、雅歌八・六]」。
 ドイツのマルクス主義の哲学者エルンスト・ブロッホ(一八八五~一九七二)は、覚めていて見る夢、空想「白日夢」の意義について語っている、「白日夢は現実的なものから目をそむけず、むしろその進行、その地平に目を注ぐことによって、どれほど人間に勇気と希望を与えてきたことか、どれほどあきらめまいとする意欲を力づけてきたことか」(「希望の原理」一九五九、第二部一四)。
 ドイツの神学者ディートリッヒ・ボンヘツファー(一九〇六~四五)は政治囚として、獄中にあってドストエフスキーの「死の家の記録」の読後感想を友人にこうしるしている、「もちろん、その希望が空想と等しいものでよいかという問題が残るが、確かに人生にとって空想のもつ意義も軽く考えるべきではない」(「抵抗と服従」一九六一)。
 ドストエフスキー自身は、「空想」を希望の先取り、希望への通路と考えていた、
 「またいろいろと空想にふけり始め、 過ぎ去った昔の思い出に身をゆだねることもある。すると広々とした明るい光景が想像の世界がまざまざと描き出される。そしてこれから先のことをあれこれ予想してみることもある。牢獄を出る時はどんなだろう、それはいつのことだろう、はたしていつの日に懷かしい生まれ故郷へもどれるだろう。そんなことをあれこれ一生懸命考えていると、希望が胸の中でうごめき始める」(「死の家」第二部の三)。