建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅰ.囚われ人の希望-9 神義論

神義論
 神義論とは、正しい者が不当な苦しみを受け、この世で悪人が栄える事実を根拠にして、神の世界支配に疑問をいだき、神の支配が正しいかどうかについて論議することをいう。西欧では、古代ギリシャのテオグニス(前五四〇年ころ)、アイスキュロスの「縛られたプロメテウス」(前四三〇年ころ)などにも、登場するが、主に、旧約聖書におけるエレミヤの預言、ヨブ記詩篇などで取り上げられている。このテーマは、神を信じている者にとっては「試練」の問題であって、「試練とはそれまで信じていた神の存在が動揺することである」(カール・バルト「教会教義学」、和解論第三巻「キリストの証人ヨブ」井上良雄訳)。
 収容所文学の中ではキリスト者のものは皆無のようで、ユダヤ教の側からこのテーマは提起された。エリ・ヴィーゼル「夜」(一九五八、村上光彦訳)である。
 エリ・ヴィーゼルは一九二八年ハンガリー生まれのユダヤ人作家、一五歳の時、アウシュヴィッツ強制収容所に一家もろとも入れられ、彼一人生きのびて一年後に解放された。著書には「夜」「夜明け」「昼」の三部作、「死者の歌」などがある。十数年前「夜」などの印税をナチスの収容所を生き延びた人々に寄付して、ノーベル平和賞を受けた。「夜」の前書きはフランスの文豪モーリアックが書いているが、ヴィーゼルに初めて会った時、モーリアックは涙を流して彼をかたく抱き締めただけであったという。
 エリ少年は、自分の妹と母とが他の何千もの人たちと共に投げ込まれようとしている、アウシュヴィッツの収容所の炉の煙突から黒煙が上がるのを見て、自分にこう言い聞かせた。
 「収容所でのこの最初の夜のことを、私はけして忘れないだろう。この煙りのことを、私の信仰を永久に焼きつくしてしまったこれらの炎のことを、私はけして忘れないだろう。生きていこうという欲求を私から永久に奪ってしまった、この夜の静けさを、私はけして忘れないだろう。私の神と魂とを殺害したこれらの瞬間のことを、私はけして忘れないだろう」。
 収容所のある棟でユダヤ人の囚人らの武装反乱の計画が発覚した。三人の関係者が絞首刑に処せられることになり、何千もの他の囚人が見せしめに見物させられた。親衛隊の三人が大人の二人と男の子一人を絞首した。大人の二人はすぐに死んだ。
 「『神はどこだ。どこにおられるのだ』。私の後で誰かがそうたずねた」。三人目の男の子は、すぐには死に切れずに三〇分あまり死と闘っていた。
 「私が彼の前を通った時、彼はまだ生きていた。私の後でさっきの男がたずねるのが聞こえた、『一体、神はどこにおられるのだ』。そして私は、私の心の中である声がその男にこう答えるのを感じた。『どこだって? ここにおられる。ここに、この絞首台につるされておられる』」。
 エリ少年は、夏の終り頃の(九月の末)[ユダヤ暦の一年の最後の日「大贖罪日。過越しの祭りなどと共に、ユダヤ教の大祭日の一つ。太陽暦の九~一〇月の一〇日、レビ記一六章]の前夜の儀式に加わった。数千のユダヤ人が声をそろえて唱える祈りの声が聞こえてくる。かっては彼も心から唱和したものであった。
 「今日、私はもう嘆願してはいなかった。私はもうつぶやくことができなかった。それどころか、私は自分が非常に力強くなったように感じていた。私は原告であった。そして被告は-神。私の目はすでに見開かれており、そして私は一人きりであった。神もなく人々もおらず、恐ろしいまでに世界中に一人きりであった。愛も憐れみもなかった。私はもはや灰燼以外のなにものでもなかった。しかし私の人生はそれまで実に長い間《全能者》に縛りつけられてきたが、今や私はその全能者よりも自分のほうが強いと感じていた。この祈りの集いのさ中にいて、私は異邦人の観察者のごとくであった」。
 この時エリ少年は大贖罪日に課せられた「断食」をもはや果たそうとはしなかった。
 「私はもはや《神の沈黙》を承服できずにいた。私は一杯のスープをたいらげながら、この行為のうちに《神に対する反逆、抗議》の行いを見ていたのである。…《心の奥底に大きな空隙ができた》のを、私は感じていた」。
 戦後文学の一つの特徴は、現実の世界、ノン・フィクションがフィクションの世界を乗り超えてしまった点にある。特に収容所文学、フランクルの「体験記」、この「夜」ソルジェニーツィンの「収容所群島」などを読むと、そういった感じを受ける。
 ヴィーゼルがこの作品で提起した「神の沈黙」を、彼自身はその後展開していないように見える。エリ少年の感じた「心の奧底の大きな空隙」のポイントは、後の作品「昼」(一九六一)にも登場している。アメリカに渡った主人公は、この心の空隙のゆえに愛し合う女性とも結びつくことができない。空隙はうめられないままなのだ。
 ヴィーゼルの提起した、強制収容所からの問い「神はどこにおられるのだ」に応答したのは、カール・バルトやブルトマンの世代の神学者ではなく、ドロテア・ゼレ、モルトマン、クラッパートらである。彼らはヴィーゼルの問題提起を解釈するのに共通してユダヤ教の「シェキーナ」(神のこの世的、内在的臨在という見解)を手がかりにする。ユダヤ教の「シェキーナ」とは、語源的には「居住する、留まる」を意味するへブル語シャケーンに由来し、神が自らへりくだって、 この世的内在的に臨在する姿をいう。具体的には神がイスラエルと共に苦しみたもうという神体験を表現している。
 旧約聖書にも、 類似した考えがある。バビロン捕囚にあったイスラエルの民に向って第二イザヤは神の言葉としてこう語った「私(神)は高く、聖なるところに住み、また心砕かれた低き者と共に住む」(イザヤ五七・一五)。詩篇一八・三六も神のへりくだりについていう「あなた(神)のへりくだりは、あなたを大いなる者となしたもう」(ワイザー訳)。「ユダヤ教カバラの教説(中世以後のユダヤ教神秘主義)によれば、神は、苦しみ救いを求める世の人々をひとりにしておかれず、神の栄光は御自ら(追放の地)にくだり、そこにとどまり、暗胆たる、苦しむ被造物物と共に、その汚れの直中に住みたもう」(マルチン・ブーバー)。
 ドロテヤ・ゼレはヴィーゼルの問い「神はどこにおられるのだ」に対する答えはユダヤ教の内部では「シェキーナ、この世に内在的に住みたもう神の臨在」をもって説明できるという。
 「カバラの教説によれば、神は、アダムの堕落の後にも、苦しみ救いを必要とするこの世の人々を捨ておかれず、神の栄光は『御自らこの世へとくだり、《捕囚》にあっているこの世へと踏むこみ、この世に住み、恥辱のただ中にある、悲しみ嘆げき苦しむ被造物の間に住みたもう』(マルチン・ブバー)。見限られ、卑しめられた姿で、神は捕囚、率獄、殉教の中にあるその民と苦しみを分かち持たれる。さすらい、迷い、散らされつつ、神の内在的居住はその状況に留まり、また被造物たる人間による神の解放を待っていたもう。神は人間が苦しむところで苦しみたもう。神は痛みから解放されなければならない。『この世に内在的に住みたもう神は、見せかけで捕囚の中に入られるのではない。内在的に住みたもう神は、見せかけで、この世の人々の運命を耐え忍びたもうのではない』(ブーバー)。シェキーナの姿で神はアウシュヴィッツにおいて絞首台につるされ、『開始された解放への運動がこの世の人々から起こるのを待っておられる』(ブーバー)と、言うことができる。外からも上からも解放は人間にもたらされない。創造の完成のために働くように、神は人間を用いようと欲したもう」(「苦しみ」)。