建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅱ-旧約聖書における絶望と希望-9b 哀歌・詩篇

哀歌三章
 出口のない絶望の中で人はどのように希望をもっことができるのか。このポイントについて、詩篇から離れて、哀歌三章を取り上げたい。「哀歌」はエレミヤのものではないが、エレミヤが活動を中止した直後、バビロニア軍によるエルサレム陥落(前五八七)時点における人々の苦悩が語られている。語り口は詩篇の嘆きの歌によく似ている(前五〇〇年ころに成立)。
 「私は彼・神の憤激のむちによって、苦しみを知つた人間である。
  彼はわが肉と皮を衰えさせ、わが骨を砕き、
  苦さと辛苦をもって私を囲み、
  ずっと昔に死んだ者のように、私を暗やみに住まわせた。
  私が叫び呼んだが、彼は私の祈りを聞かれなかった。
  あなたが私の魂から平安を取り去られたので
  私は幸福を忘れた。私は考えた、
  わが支えは失せ、ヤハウェへのわが望みもついえ去った、と」(哀歌三・一、四~六、一七~一八、ワイザー訳)
 次の二一節以下では驚くべき告白が飛び出してくる、
 「しかし私は《次のこと》を心に思い起す。
  ヤハウェの慈しみは絶えることがなく、
  その隣れみはっきることがないことを。
  《それゆえ》私は望みをいだく。
  ヤハウエの隣れみは、 朝ごとに新しく、
  彼の真実は偉大である。わが魂は語る、
  『ヤハウェは私の分け前である』と。
  《それゆえ》私はヤハウェに希望をいだく。
  ヤハウェはご自分に希望をいだく者、
  ご自分を探し求める者に、恵み深い。
  ヤハウェの助けに、黙して望みをいだくことは、善いことだ。
  人が若い時にくびきを負うことは、善いことだ。
  ヤハウェが彼にくびきを負わせる時、
  彼がただひとり座って黙すようにせよ。
  彼の口をちりにつけよ。
  《おそらく》まだ希望がある」(三・二一~二九)。
 用語的には「私は望みをいだく」(二一節)「私はヤハウェに望みをいだく」(二四)「黙して望みをいだく」(二六)は、イッへール、「ヤハウェに望みをいだく」(二五節)はキーヴァー、「まだ望みがある」(二九)はティクヴァー。
 ここでは希望の根拠が、二つ示されている。一つは二二節「ヤハウェの慈しみは絶えることがない」。歌い手は、長い救済史において示された、苦しむ人々への神の憐れみを「思い起こした」(二一節)。彼は神による出エジプトシナイ山での恵みの契約に依拠したのだ。今ここでエルサレム崩壊という国家的社会的危機に直面し、実存的、共同体的身体的苦悩とうめきの極限状況の中でも、神の慈しみ、隣れみはなお絶えることがない。むしろそれどころか「朝ごとに新しく」生きた現実となっている(二三節)。彼はこのことを確信できた。《そしてこれが彼の希望の根拠となった》「それゆえ私は望みをいだく」(二一節)。二章および三章前半にしるされている「ヤハウェの怒りの日」(二・二二)は、永遠に続くものではなく、神の怒りの彼方に、神の不滅の慈しみを確信することによって希望をいだいた、この希望の形はヨブの希望の形にきわめて近いものといえる。
 さてもう一つの希望の根拠は、二二節「ヤハウェは私の分け前である。《それゆえ》私はヤハウェに希望をいだく」。「ヤハウェは私の分け前」は、イスラエルがカナンの地に入って土地を取得した時、各支族に土地を分割した。その折り、レビ族だけは、祭儀にたずさわっていて他の生産活動ができないので、土地の割り当てがなく、その代わりに「ヤハウェが彼の嗣業」(申命一〇・九)「ヤハウェがあなたの分け前、嗣業である」(民数一八・二〇)すなわち祭壇にささげられた神への供え物という物質、穀物、動物、食物がレビ族の収入とされたことに由来する。「ヤハウェは私の分け前」は、やがて神への供え物を分け前としてもらうという考えから離れて、精神化されて「外的な生活環境の妨害によっても失われることのないヤハウェと共なる生」と解釈された(フォン・ラート)。
 哀歌の歌い手はこの信仰の伝統を引き継いでいた。だからエルサレム崩壊という国家的社会的人間的信仰的危機のなかでも、「ヤハウェは私の分け前」すなわち歌い手の「ヤハウェと共にある人生」は傷つけられず破壊されずに存立していた。「それゆえ」彼はヤハウェに希望をいだくことができた。
 次に二九節「彼の口をちりにつけさせよ。《おそらく》なお希望がある」を取り上げたい。ここにある「おそらく」は、どのような意味なのだろうか。一般的には「希望の現実性」ではなく「その可能性」を意味すると解釈されがちである。「おそらく、なお希望がある」は、「なお希望がある」をかなり「弱める表現」のように一見みえる。
 しかしながら歌い手は、この「おそらく」を預言者らの伝統から受け継いだようだ。
 希望と結びついた「おそらく」について、アモス(前八世紀北王国イスラエルで活動した預言者)はこう語った、五・一五「悪を憎み、善を愛し、門で公義を立てよ。そうすれば、万軍の神、ヤハウェは《おそらく》ヨセフの残りの者を隣れむであろう」。アモスは、ここで人々が神の律法、特に貧しい者についての戒めを実践するならば、神の隣れみを与えられる希望もあると語っている。預言者エレミヤもこう述べている「ユダの家は、私(神)のくだそうとしているすべての災いを聞いて《おそらく》おのおの悪い道から立ち帰るであろう。そうすれば、私は彼らの咎と罪を赦そう」(三六・三)。
 確かに一般的には「おそらく」は、あいまいさ、不確かさをも意味している。したがって希望をもつ主体の側にポイントをおくと、「それゆえ私はヤハウェに希望をいだく」(哀歌三・二四)のほうが、「おそらくなお希望がある」(同三・二九)よりも、希望への「確信の度合が強い」と感じられる。しかし眼目は、希望の対象と希望をいだく主体との関連性にある。言い換えれば、希望はどのようにして実現するかである。希望の実現が、もっぱら希望をいだく主体がどれほど希望の実現を確信しているか、に依存しているのであれば、二九節の「おそらく」は希望のもちかたの「弱さ」を表現したものとして、二四節のヤハウェへの希望のもちかたより後退したものとなろう。ところが、この考えは希望をもつ主体の希望のもちかたにのみポイントをおいて、他方の、希望の対象(何に希望をいだくか)は全く眼中にない。これはハイデッカーの立場と同じものである。
 「希望の構造にとって決定的なのは、希望が関係している当のものの, 《到来的な性格》ではなく、むしろ希望すること自体の《実存論的な》意味にある」(「存在と時間」)。ところが希望の実現は、希望をもつ主体の確信の度合いに依存するのではなく、むしろそういってよければ、希望の対象の《到来的な性格》に依存している。これは「どのように希望をもっか」のテーマとも密接に関連している。希望はどこからくるか、である。旧約聖書新約聖書も「希望は神から与えられる」とみている(詩六二・五「わが希望は神からくる」、エレミヤ二九・一一、第二テサ二・一六「確かな希望を与えてくださる父なる神」。第一ペテロー・三など)。哀歌三・二九では希望の実現は、ヤハウェの自由な裁量、決定に依存している。希望をいだく者がその希望をいだく確信の強さによって希望の実現を招き寄せるのではない。むしろその希望が実現するかどうかは、希望の対象、神が決定される。だから希望をいだく主体ができるのは、神が自分の希望を実現してくだるであろうと、言うことだけである。希望をいだく主体は、希望が実現することに、自分を委ねること、希望の実現を緊張して待つのでなく、希望の実現を《ゆったりとして待つ》、神の裁可に自分を委ねた姿勢をとる。このような謙虚な姿勢での神信頼の言葉が二九節の「おそらくなお希望がある」である。すなわち希望をもつという行為は、希望の対象、神に決定的に規定されているとの見解、希望の実現は神の自由な決定に委ねられているという見解、これが哀歌三章の立場である。

詩篇七三篇
 この詩の前半では、歌い手が神なき者、悪人の幸福をみて苦悩するという神義論のテーマが取り上げられている。
 「私は不遜な者が幸福なのを見た時、
  その愚かな者を妬んだからだ」(七三・三)。
 そして歌い手は、ほとんどつまずくばかり、足を滑らすばかりであった、という(七三・二)。彼はもう少しで神を見捨てそうになったのだ。他方、彼は自分の力でこの神義論の問題を解決しようと試みたが、解答を見い出せなかった「そこで私がこれを把握しようと思い巡らしたが、しかし私の目にそれは難儀であった」(一六節)。「私は悟りのない愚かな者、あなたのみ前に獣のようであった」(二二節)。その時にひとつの転回が起こった。
 「私が神の聖所に入って、悪人らの終りが何であるかを悟るまでは」(一七節)。すなわち歌い手は聖所において神との特別の出会いをとおして、神の正義について真の認識、悪人には神の審判が、他方敬度な者には神の救いがもたらされるとの確信に導かれた。かつて彼は激しい苦悩の中にあったが、今や驚くべき確信をもってこの神体験を告白する。
 「しかし私はっねにあなたと共にあり、あなたは私の右手を保たれる。
  あなたは忠告にしたがって私を導き、その後私を栄光へと《移される》。
  私はあなたの他に誰を天にもつであろうか。
  地にはあなたのほかに私が慕う者はいない。
  たとえ私の体と魂が衰え弱ろうとも
  神はっねに、わが岩わが《分け前》である」(二三~二六)。
 ここには希望という用語は登場してないが、哀歌三・二四「ヤハウェは私の分け前である。それゆえ私は彼に希望をいだく」とまったく同じ表現が出てくる「神はっねに私の分け前である」(詩七三・二六)。
 すでに言及したように、「神は私の分け前」とは、哀歌の場合、国家的社会的な危急存亡の際にも決して破壊されることのない《神と共なる人生・生活》を意味していた。しかし詩七三篇においては、信仰者が共通に体験する、神なき者の幸運という神義論の問題と《精神的肉体的な衰弱と死の問題》である。
 ここで「死が問題になっている」のは次の点から明らかとなる。「たとえ私の体と魂が衰弱しようとも」(二六節、ルター、ヴァイザー、関根訳など)を、ラートは「私の肉と魂が《滅びようとも》」と翻訳したこと、また二四節後半「その後、私を栄光の中に受け入れてくださる」(ルター、ヴァイザー、関根訳など)を、ラートはその者の死後における《非地上的な別の領域への移行》と解釈して「その後私を栄光へと《移される》」と翻訳した点からである。
 「死後の生への移行」については、エリアの昇天(列王下二・一「ヤハウェがエリアをつむじ風をもって天に移そうとした時」)、詩四九・一五「神は私の生命を贖い、陰府から解放して、私を《移される》 であろう」などがあげられる。この「死後の生命への移行」について、ラートはこう解釈している、
 「神なき者らが幸運である時、ヤハウェに忠実な者に対するヤハウェの救いと祝福とはどのようにして実現されるのであろうか。この祈り手の慰めは、ヤハウェが敬虔な人々のいかなる生においても彼らの神でありたもうて、彼らに与えられた《神と共なる生が死によってさえ廃棄しえない》という点にある。この信頼の主要な命題は『神は私の分け前』である。今成立している《ヤハウェと共にある生》によって、実はそれに続くすべてのことが与えられているのである。その後はただこの《神と共なる生が死をも超越した無限の豊かさをもっこと》を強調するだけでよかった。その場合古い『移行』という表象は、明らかに死後の出来事として期待されたのだ」(「旧約聖書神学」第一巻、強調引用者)。
 ここでは神への希望は「神は私の分け前」(七三・二六)という言葉で示されている。神が、ご自身を人間の分け前とされるところでは、心身の老衰も、死という現実も、神によって支えられた者の希望を妨げることはできない、歌い手はそう告白している。(第一テサロニケ四・一七でパウロは《キリスト者の移行》について述べている「(主の来臨の時、復活させられたキリスト者らと共に)生きている私たちは雲で《空へと移されて》主に会う」)。