建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅲー貧しい者、病人の希望-1 貧しい者は誰か①

第三章 貧しい者、病人の希望
貧しい者とは誰か
 イエスの平野での説教においては「貧しい者への祝福」が語られている。
  「幸いなるかな、あなたがた貧しい者たち、
   神の国はあなたがたのものだからである。
   幸いなるかな、あなたがた今飢えている者たち、
   あなたがたは満腹させられるからである。
   幸いなるかな、 あなたがた今泣いている者たち、
   あなたがたは笑うようになるからだ」(ルカ六・二〇~二一、ヴォッホ訳、マタイ五・一以下と並行記事)。
 これらの箇所における「貧しい者」は、どういう意味か。経済的に貧しい者なのか、それともマタイ五・一以下のように「心の貧しい者・へりくだった者」なのか、あるいは包括的な意味をもつのか。特定の運動体なのか、貧しい社会的階層なのか。

マルチン・ディべリウスの見解
 貧しい者の解釈の歴史をスケッチしたい。ディベリウスは貧しい者を「メシア的敬虔主義者たち(messianische Pietisten)」と解釈した(「ヤコブ書註解」)。この注解書は一九二七年に出たものだが、特にユダヤ教における貧しい者の概念の変遷を述べていて注目すべきである。少し長いが内容をスケッチしたい。
 「…詩篇では貧しい者を特定の集団とみなし、民全体とは区別した。貧しい者はヤハウェの恩恵にふさわしい集団となった。敬虔というものが神のみ心に自分を屈することを指すようになればなるほど、貧しさはますます《敬虔》の母体とみなされるようになった。それゆえ《貧しさと敬虔であること》とは並行した。貧しい者の敵が不幸な末路をたどり、貧しい者が高くされるというのが、神義論の帰結であり、敬虔な者は神の正義に信頼して正義の実現を嘆願した。この正義の実現を訴える言葉は知恵文学、詩篇箴言ヨブ記における教えとして現われた、すなわち〈敬虔な者はなるほど現在は悲慘な目にあっているが、これにひきかえ悪人は幸せに暮らしている。しかし将来においてはこの関係は逆転する〉との教えとしてである。貧しい者が高くされ富める者が打ち倒されることは、神の力に対する例証である(「主は低き者をちりの中から起こし、貧しい者を泥の中から高め、尊い者と共に座らせられる」詩篇一一三・七以下)。敬虔な者たちが宗教的な共同体で生活している場合には、世俗主義化に対する敬虔主義的立場からの批判、富める者の不正と不義に対する《プロレタリア的な》抗議、紀元前二世紀にシリアのセレウコス王朝からの解放闘争において(この独立戦争を指導した) マカベア一族の側に立った《ハシディーム・敬虔な者たち》によるシリア人の侵略への民族的宗教的な反対行動がなされた。敬虔な貧しい者の過激な自意識は、政治的関係にも生き続けた。敬虔な者たちはマカベア一族との結びつきがなくなって、やがて《パリサイ人》となったが、彼らが政治的な課題から手を引いた時にも、彼らの中には貧しい者のパトス(情熱)がずっと保持され続けた。昔の敬虔な者の名・特徴はパリサイ人に引き継がれ、今やパリサイ人が貧しい者として現われた。ソロモンの詩篇(旧約偽典)で次のようにある「あなたは善意に満ち隣れみ深いお方、貧しい者の避難所」(五・二)、「神はイスラエルをよみし、貧しい者を憐れみたもう」(一〇・六)、「神よ、あなたは貧しい者の希望、避難所です」(一五・一)。これはパリサイ人が一般に貧しい者であるという社会的な状況とも一致していたであろう。とにかく敬虔な者は自らを貧しい者と感じていた。《貧しいことが宗教的な概念となった》からである。さらにこの貧しい者の概念は詩篇からパリサイ人へと移行し、また彼らが共同体の中で勢力を持つ者となった時、他の集団を指すものに移行していった。この他の集団は福音書の記事から明らかにすることができる。(中略)
 イエスに帰依した人々はさまざまな階層の出身者であった。そのうちの一つの集団が「取税人と罪人」と呼ばれている(マルコ二・一五「大勢の取税人や罪人たちがイエスや弟子たちと食卓についていた」)。罪人も取税人もむろん特定のグループを指していたのであるから、福音書の《罪人》が[ユダヤ教の膨大な律法解釈の書]タルムッドにある《アムハーアーレツ・地の民》といわれていた階層だと推定されるにしても、彼らは、律法を守らない人々だとみて間違いない。彼らは教養がなく、祭儀的に汚れ、生活と職業のゆえに清めの律法の戒めを破らざるをえなかった。しかしイエスに帰依した人々は、罪人からだけ成り立っていたわけではない。イエスのさまざまな言葉がその資料を与えてくれる。イエスが貧しい者をみ国の相続人として祝福なさった時(ルカ六・二〇以下「幸いなるかな、あなたがた貧しい者たち、神の国はあなたがたのものだからである」)、また貧しい者に説教なさった時(マタイ一一・五「貧しい者は福音を聞かされている」)、イエスはイザヤ六一・一以下で生き生きと描かれている、メシアの時には《悲慘な者(anaw)》に救いがもたらされるとの信仰が前提とされている。神の国という黙示文学的な表象世界がイエスの説教の中心点である。この表象世界によってイエスはまず自分たちの祈りで神の国を得ることを願った人々、反抗的で頑なな《罪人》にではなく、心から敬虔でありたいと欲した人々に近づかれた。この人々は[旧約偽典]第四エズラ書八・三一以下でその雰囲気が表現され、また一般に黙示文学がその思想世界を最も明確に描き出した人々である。「もしあなたが、義の業を欠いている私たちを隣れもうと欲したもうなら、その時あなたは隣れみ深い方と呼ばれるでしょう。ほんとうに、生まれた者の中で不敬虔な振る舞いをしなかった者は一人もなく、かつて生きた者の中で罪を犯さなかった者は一人もいません。だから、主よ、もしあなたが善き業の貯えがなぃ者を隣れまれるなら、このことによってあなたの義と善とが宣べ伝えられるでしょう」。《このメシア的な敬虔主義者たち(messianische Pietisten)がイエスの時代の伝統的な貧しい者のパトスの相続人である》。《取税人と罪人》は、共同体的な視点では、軽蔑され憤激を引き起こした者であったとしても、財産の点からいうと《彼らはけして無産者には属していなかった》。しかし敬虔な貧しい者はかの黙示文学的な響きをもつ信徒集団であり、また宗教的な考えから、律法を傷つけ、伝えられた生活様式と矛盾するところの、経済的発展を警戒していた。先祖から伝えられた敬虔は先祖と同一の小農民と手職人の職業に結びついた。イエスはアムハーアーレツ[地の民]ではなかったにせよ、この階層に属していた。ここには詩篇に由来する貧しい者のパトスの真の相続人がいる。…中略。
 イエスの説教とそれによって起こった運動は《終末論的希望の復興》をとおしてこの貧困に新しい力を供給した。捕囚期の救済の終末論は、諸国民の秩序の転倒、貧しいイスラエルが高くされ、その敵の滅びを宣教したが、イエスの福音は、ユダヤ教の黙示文学的な貧しい者の文献、エチオピアエノク書九四章と同じように、《社会的な秩序の転倒、貧しい者への救いと富める者への滅びを約束した》(ルカ六・二〇以下)。富める者は神なしに生きている者とみなされた(ルカ一二・一六以下「愚かな金持の譬」、一六・一九以下「金持と乞食ラザロの譬」)。しかし、この《》(社会的な秩序の転倒への希望》はプロレタリアによる転倒に支えられていたわけでは《ない》。というのはイエスと彼に属す者とは、(富める者たちへの)憎しみの力や貧しい者の集団的な力からではなく、むしろすべてを神の力から期待したからである。この世を変えるのは、人間ではない。むしろ神の国が天から到来するのである。神の国の説教は革命的ではない。それは黙示文学的だからであ。…」(強調引用者)。

 以下で「貧しい者」とはどのような意味かを検討してみたい。
 まず、ディベリウス自身は貧しい者を「メシア的敬虔主義者たち」と主張したが、どうも納得がいかない。イエスの資しい者に対する祝福は、《ユダヤ教の世界観と断絶する新しさ》をもっていて「社会的秩序の転倒への希望」をもたらすものであったにちがいない。ところがディベリウスの主張する「メシア的な敬虔主義者」は、ユダヤ教の敬虔な者たち・アナヴィームの伝統に属す人々である。この敬虔な者は、律法遵守の点でも、律法を無視した取税人や罪人の集団とは結びつかない。ユダヤ教は取税人や罪人を交わりから排除したからだ。ボルンカムもディベリウスの見解を「不確かな想像」と批判している(「ナザレのイエス」)。
 次に、ディベリウスの見解で学ぶべき点は (ユダヤ教における終末待望との相違点を明確にする必要があるにしても)、イエスの運動が「終末論的な希望の復興」、神の国到来への希望を復興させて貧困に新しい力を与えたと指摘した点、またイエスの貧しい者への祝福が「社会的な秩序の転倒を約束した」と主張した点、それゆえ貧しい者への祝福がプロレタリアによる社会変革の問題と関連づけた点(共通点と相違点)である。

第二に、 ローマイヤーの貧しい者の解釈
 ここでは貧しい者は最初期のキリスト者を意味する。「イエスの時代にはアナヴィーム(貧しい者たち)という表現は、社会的な階層ではなく、ガリラヤで広まっていた宗教的な運動、外面的には極めて貧困であるにもかかわらず、神の言葉を頼りにし神の律法を守り、神の約束を待ち望んでいた人々の運動を意味していた。実際イエス自身も最初のガリラヤの帰依者と共にこの運動の中から出現された。《このアナヴィームと同じ名を最初の原始キリスト教の信仰者はもっていた》 [ロマ一五・二六「聖徒の中の貧しい者」]。貧しい者へのこの祝福の言葉は、この運動を終末論的な教団へと高め、その教団に《貧しい者》の名を与えるようになった」(「マタイ伝註解」 一九五八)。この解釈では貧しい者がユダヤ教のアナヴィーム、貧しい者・敬虔な者との連続性が強調され、イエスの貧しい者への祝福のもつ新しさ、ユダヤ教との断絶面がまた先の社会的秩序の転倒の要素も明らかでない。

第三に、ボルンカムの解釈
 「イエスが語られた貧しさや卑賎は、いつも根源的な意味をもっている。《貧しい者や不幸な者とはこの世からは何も期待できないで、すべてを神に信頼している人々であり、また神に自分を投げ出して神の前に乞食として生きている人々である》。祝福を受けている人々を結びつけるのは、彼らがこの世の可能性の限界に突き当たっていることである。貧乏人はこの世の仕組みに合致しないので、この世にそぐわない。悲しんでいる者(ルカ六・二一)はこの世から何の慰めも受けない。屈辱を受けている者は(同六・二二)この世から価値を認められない。飢えている者、渇いている者(マタイ五・六)は神だけがこの世で彼らに約束する義なくしては生きられない」(「ナザレのイエス」善野訳)。
 ボルンカムの解釈における貧しい者は、「神に自分を投げ出す」「すべてを神に期待する」など《ユダヤ教における敬虔な者》としても十分通用する。言い換えると、この解釈のように貧しい者と敬虔な者とを同一視することはできない。またこの解釈には取税人や罪人らとのイエスの会食という衝撃力がない。この解釈では「社会的な秩序の転倒への希望」といつた社会的射程も欠けているので、イエスの祝福の新しさも読み取れない。