建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅲー貧しい者、病人の希望-4 病人の希望①

病人の希望
エスの癒し
 イエスが近づきたもうた一つのグループは病人、身障者である。「丈夫な者に医者はいらない。医者がいるのは病人である。…私は正しい人を招くために来たのではなく、罪人を招くために来たのである」(マタイ九・一二以下)。当時のユダヤ教の社会においては、先の取税人や罪人、遊女、子供のみが社会的共同体的に差別され、交わりから閉め出されていたのではない。病人、身障者も社会的に差別され、共同体から閉め出されていた。そこには病気に対する独特の、宗教的見解が作用しているからである。らい病は感染の点のみならず、神から呪われた結果とみなされ交わりから閉め出された(民数記五章、レビ一三章)。精神的疾患の者は家から出されて墓を住まいにする者もいた(マルコ五・一)。出血をともなう婦人科的病人(マルコ五章、後述)も宗教的汚れという見解から、人なかに出ることを禁じられた。
 病人たち自身のイエスに対する訴えは悲痛である。「すると見よ、一人のらい病人が近寄ってきて、しきりに願って言った『主よ、あなたがお望みになれば、私を清めていただけるですが』。イエスは手を伸ばしてその人にさわり『よろしい、清くなれ』と言われると、たちまちらい病は清くなった」(マタイ八・二以下)。「すると見よ、二人の盲人が道ばたに座っていた。彼らはイエスが通られると聞くと、叫んで言った『主よ、ダビデの子よ、私たちを憐れんでください』。群衆が叱りつけて彼らを黙らせようとした。しかし彼らはますます叫んで言った『主よ、ダビデの子よ、憐れんでください』。イエスは立ち止まって彼らを呼んで言われた『私に何をしてほしいのか』。彼らは言った『主よ、目が開くことです』」(マタイ二〇・三〇以下)。病人の家族も必死であった。「一人の人がイエスに近寄りひざまづいて言った『主よ、私の息子を隣れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。幾度も火の中や水の中に倒れました』」(マタイ一七・一四以下)。
 イエスによる癒しは、病気・障害の癒しと精神疾患の癒し・悪霊追放とに区別される。「イエスはさまざまな病気にかかっている大勢の病人を癒し、多くの悪鬼を追い出された」(マルコ一・三三)。
 身障者の癒しについては総括的にこうある「大勢の群衆がイエスのもとに、足のなえた者、盲目の者、せむしの人、その他多くの者を連れてきて、イエスの足もとに置いた。イエスは彼らを癒された。群衆は聾唖者が話し、せむしの人がなおり、足のなえた者が歩き回り、盲人の目が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を讃美した」(マタイ一五・二九以下、ザント訳)。

悪霊追放
 精神疾患の癒やしは「悪霊追放・エクソシズム」と呼ばれる。宗教史的には古代ギリシャの病気の癒しの神アスクレピオス、その巡回の医師たちは精神疾患については避けて癒しの対象から排除し、イエスのみは彼らと異なって精神疾患の癒しを行なったとの主張がある(山形孝夫「レバノンの白い山」)。福音書においてはこの精神疾患の癒しは「悪霊追放」と呼ばれるが、「悪霊、悪鬼」はその人に取り憑いて、精神疾患てんかんなどの発作を引き起こす(マルコ五章)。この種の患者たちの悲惨な病状は、たびたび鎖でつながれたが、それを引きちぎり誰もその人をつなぎとめておけない、自分の身体を石で傷つけ、大きな叫び声をあげた(マルコ五章、汚れた霊に憑かれた人)、また汚れた霊が取り憑くと急にどなり出し引きつけを起こさせたり泡をふかせたりする症状もあった(ルカ九章、てんかんの子)としるされている。当時の考え方によれば、古い世において人間に取り憑いて、その身体も精神も駄目にしてしまうのが悪霊であった。イエスの登場とその癒しの行為は、このような古い世に力をふるっている、悪霊、サタンの力を押さえ込み無力化するところの神による対決の出来事であった。
 イエスはその癒やしの行為を当時のギリシャ・ローマ世界に存在した「神的な人・テオス・アネール」による単なる「奇跡」としてではなく、神の国、神の支配の到来として語っておられる。「私が神の霊によって悪霊を追い出しているなら、神の国はあなたがたのところに到来したのである」(マタイ一二・二八)。当時のユダヤ教の有力なセクトパリサイ派も悪霊追放を行なっていたが(マタイ一二・二七「あなたがた(パリサイ人)の仲間は誰によって悪霊を追放しているのか」)、パリサイ派は悪霊追放を「神の国の到来」と結びつけることが決してなかった。イエスのみがご自分の悪霊追放を「神の国の到来」とみなされた(モルトマン「イエス・キリストの道」)。「神の国はあなたがたのところに《来た・エフタセン》」との表現は、悪霊追放という形で目に見えるようになった、神の支配の動的な現前を意味している (グニルカのマタイ伝註解)。悪霊、人間存在を破壊し破減させる者の力が、今やイエスによって駆逐され追放される。イエスが病人に接近なさった時、その病者に取り憑いた悪霊らは悲鳴をあげて叫ぶ「あなたは私たちを滅ぼすために来られました」(マルコ一・二四、マタイ八・二九)。メシアが到来して神ご自身の力がこの世を支配されそこに住みたもうところでは、悪霊たちは退散し姿を消すしかない(モルトマン)。イエスの到来とその活動によって悪霊、サタンの力は崩壊する「私はサタンが稲妻のように天から落ちるのを見た」(ルカ一〇・一八)。
 「イエスが悪鬼どもに『行ってよろしい』というと、悪鬼どもは二人(の病人)から出ていって豚に入った。すると豚の群れはみな気が違つたようにけわしい坂をどっと湖になだれ込んで水の中で死んでしまった」(マタイ八・三二)。
 イエスの癒しは「神の国の到来」のしるし・目に見える形とみなされているが、その内容を明らかにしたい。病人は先にふれたように、家族、共同体から閉め出されていた。したがって病気を癒され健康をとりもどすということは、社会復帰、家族、共同体への復帰を意味した。汚れた霊に憑かれた患者を癒された時、イエスは彼にこう言われた「家に帰りなさい。そして家の者に主があなたを隣れんでどんなに大いなることをしてくださったかを、知らせてやりなさい」(マルコ五・一九)、イエスてんかんの子供を癒しその子供を父親に返された(ルカ九・四二)。これらは、ただ単にその病人が病を癒されて、家族、共同体に復帰したということばかりでなく(荒井献「イエスとその時代」ではイエスの帰還命令と呼んでいる)、その患者、家族、目撃者がイエスの癒しにおいて神の特別の隣れみを体験したということである。これが癒しの眼目である。言い換えれば、神の支配の到来は、イエスによる癒しという形で実現しているが、この神の支配の到来とは、ここではすぐれて病人に対する神の特別の憐れみとしてイエスの癒しが起きたということ、神の支配の到来は、弱き者、心身が病んだ者に対する一一一神の隣れみの到来>として実現したという意味である。ここでも神の憐れみは人々に《平等に与えられるのではなく、一方に偏っている》。イエスが取税人や罪人らに一方に偏して近づかれたのと同様に。
 神の支配の到来は、ここでは病人に対する神の憐れみの到来、癒しとして、人間の身体的存在の清め、癒し、健全化、すなわち《体の救い》に関わるものである。長血の女に対する「平安のうちに帰りなさい。病苦から解放されて達者でいなさい」(マルコ五・三四)とのイエスの帰還命令は、彼女が家族や共同体に復帰できることばかりでなく、イエスによる癒し、神の特別の隣れみが《彼女の体で起こり、体験された》ことを強調している。その意味で体の癒しは究極的な希望「体の贖いを待ち望む」(ローマ八・二三)の先取りである。

マグダラのマリアへの癒し
 マグダラというのはイエスの出身地ガリラヤ地方の地名で、ガリラヤ湖西岸の町。当時マリアという名は、イエスの母マリア、ベタニアのマルタの妹マリアなどあまりに多い名であったため「マグダラ出身の」という表現で他のマリアと区別された。
 マグダラのマリアがイエスによって病気を癒されたとの記事はマルコ一六・九「彼女は以前七つの悪鬼を追い出していただいた」、それにルカ八・一以下にある。
 「その後イエスは町から町、村から村へと巡回して、神の国の喜びの使信を説教し宣教なさった。そして一二弟子がイエスにお供した。また悪霊や病気を癒していただいた数名の女性たち、すなわち《七つの悪霊を追い出していただいたマグダラ出身の女性と呼ばれたマリア》、ヘロデの管財者クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、その他多くの女性たちも一緒であった。彼女たちは自分たちの財産をもってイエスに《仕えた》」(ルカ八・一~三、ヴォッホ訳)。
 マグダラのマリアについてここでは「マグダラ出身の女性」とある。「この町は商業が盛んであった。大規模の漁業と魚の加工が住民に仕事を与え、繁栄と変化をもたらしていた」(モルトマン・ヴェンデル「一人の人間となるために」、邦訳「イエスをめぐる女性たち」一九八〇)。マグダラは当時「淫らな町として悪名をはせていた」(ジュールマンの註解)はマリアをルカ七章の「罪の女」と混同させる以外の意味はない。カトリック的伝統に由来する趣味の悪いレッテル張りである。このマリアの「七つの悪霊を追い出してもらった」とは、悪霊憑き、現代におけるてんかん、意識錯乱、鬱病などの精神疾患の病気のことで「七つの悪霊・ダイモニア」はその疾患が重い症状であったことを意味する(レンクシュトルフの註解)。当時の病人の常として彼女は、家族、親族、共同体の人々から疎んじられ軽蔑もされていたろう。病人はモルトマンの次の文に共感する「病気であるとは、社会的障害(仕事ができなくなるとか、交際から排除されるとか)、愛情の喪失 (長年重い病気をしていると家族からはいやがられ、婚約者も逃げていく)、孤立を意味する」。社会的偏見は家族や友の交わりにおいても冷たく当られ、疎外され、彼女は呪われた存在として自分の人生に対する嘆きと愛に対する渇望、社会に対するルサンチマン・憤激を抱いていたであろう。
 マリアはイエスによってその病を癒された。先のモルマン・ヴェンデルはマリアの癒しについて次のように「解釈」している、
 「癒し自体を思い浮かべてみよう。この癒しは他の癒しと対応した経過をたどったであろう。すなわちイエスはマリアの手をとり、おそらく抱いて立たせてやった、熱病のべテロのしゅうとめや悪霊につかれた人になさったように。イエスはマリアに話かけられた。マリアのほうでは手の感触によってイエスの存在の近さと接触とを感じ取った。イエスが話かけられたことで、彼女から悪霊憑きが落ちた。彼女は再び自分自身となり、感情も、決断も自由に解き放たれ、再び自由に周囲の世界を経験し、自由に喜び、新たに生きることを学ぶようになれた。しかし、彼女はもとの生活環境にはもどらなかった。《自分の故郷マグダラを捨てたのだ》」 (前掲書)。
 モルトマン・ヴェンデルが指摘したように、マリアもクーザの妻ヨハンナも家庭も故郷も捨てたことは明らかである。彼女らが弟子として「イエスに従った」からである(マタイ二七・五五)。イエスの癒しの記事において病気を癒された者がイエスに従う例はきわめて少ない、全く新しいことであった (レンクシュトルフの註解)。他にイエスに従ったのは盲目を癒されたバルテマイ、ゲラサの悪霊憑きぐらいである(マルコ一〇・四六以下、五・一八)。マリアらがイエス一行に加わったのは、それまでの「宿痾による絶望の人生」が「病苦から解放されて希望の人生に変えられた」からであろう。
 マリアらが「自分の財産をもってイエスに《仕えた》」との箇所は重要である。マリアらの「自分の財産」という場合、女性たちが自分の財産を持っていた、という意味となる。エレミアスは女性たちがみな自分の財産を自由にできる「寡婦」であったとみなしている(「イエスの宣教」)。
 「ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ」については、クーザガリラヤの領主へロデ・アンティパス(大王の次男)の「廷臣・管財者・財政担当大臣・エピトローポス」つまり大臣であった。クーザヨハネ四・四六の息子の病気の癒しをイエスに頼んだ「王の役人」とみる解釈もある(レンクシュトルフ)。ヨハンナは「大臣の妻でありヘロデの宮廷に属す女性であったが、夫と宮廷生活を捨てた」(モルトマン・ヴェンデル)。それゆえヨハンナは経済的に豊かで自分の財産も持っていたと推定できる。
 マグダラのマリアは富を持っていた。少なくともこの二人の財力を証明するのが次の、「仕えた・ディアコネオー」という用語の意味である。この用語には多様な意味がある。「給仕をする、食事などでもてなす」との意味がある(ルカニ二・二六以下など)。レンクシュトルフはこの箇所をそう訳す。「食事の世話をした」と。しかしこの用語は「経済的な配慮をする」との意味があって、この箇所も「マリアらは自分たちの財産をもってみんなを経済的にまかなった」という意味に解釈すべきである。塚本訳「みんなをまかなった」は適訳である。「おそらくマリアはかなり年配で、かつては結婚していて彼女の財産はその結婚に由来するものであった。そしてその財産をもって彼女はイエスの運動を援助した」 (モルトマン・ヴェンデル)。マリアのこのようなイエスへの奉仕は、イエスの十字架、埋葬に至るまで続く。そして空虚な墓を発見し、復活のイエスの顕現に出会った最初の人物の一人はこのマグダラのマリアらであった(マタイ伝、マルコ伝追補、ヨハネ伝二〇章、後述)。
 「マグダラのマリアはイエスの十字架のもとに立っていたと、ヨハネ伝はしるしている。彼女は 空虚な墓を発見したばかりでなく、復活顕現を最初に受けている。したがって二重の意味で彼女は《使徒の中の使徒》である」(フィオレンツァ「彼女の記念として」)。
 イエスが身障者、病人、精神疾患の者を癒されたことは、イエスが彼らの希望となったことを物語っている。イエスの癒しにおいてはイエスのいわば《神的な癒しの力》が人々を癒したのだ。