建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅳーイエスの十字架と絶望-1 ゲッセマネの夜・男性弟子達の絶望と逃亡

第四章 イエスの十字架と絶望

ゲッセマネの夜
 イエスは絶望されたのだろうか。ゲッセマネの夜におけるイエスをみてみたい。
 「やがて彼ら[イエスと弟子たち] はゲッセマネと呼ばれる場所に来た。イエスは弟子たちに言われた『私が祈り終るまで、ここで坐っていなさい』。そしてイエスはべテロとヤコブヨハネを伴っていき、《悲しみ不安になり》始めて、彼らに言われた『私の心は滅入って死ぬほどだ。ここにとどまって、目を覚ましていなさい』。そして少し進んでいって、地にひれ伏し、できることなら、この時が自分の前を通りすぎるようにと祈って、言われた『アバ[父よ]、あなたはすべてが可能です。どうかこの杯を私から取り去ってください。しかし私が欲することではなく、あなたが欲することがなりますように』」(マルコ一四・三二~三五、ローマイヤー訳。ゲッセマネエルサレムの城壁の東にある園)。
 この箇所は、ゲッセマネにおけるイエスの苦難を述べたものであるが、ここにはイエスの特有の「絶望の体験」がしるされている。特に「悲しみ不安になって」(=マタイ二六・三七)は「言いようのない悲しみと不安を表現している」ローマイヤーの註解。また「私の心は滅入って死ぬほどだ」(マルコ一四・三四)は、ヨナ四・九「私は悲しみのあまり死ぬほどだ」 (七〇人訳)に由来するもので、絶望的な人間の状況を示している。
 「どうかこの杯を私から取り去ってください」(マルコ一四・三六)の嘆願は、神に聞き入れられなかった。ヘブル書はこう述べている「キリストはその肉の時期には、死の力から救うことができるお方に、強い叫びと涙をもって祈りと嘆願を献げられた。しかし《彼の不安のゆえに、聞き入れられなかった》」(五・七。ハルナック、ブルトマンの読み方。協会訳では「そしてその深い信仰のゆえに聞きいれられた」。「神への恐れ・敬虔・ユーラベイア」をハルナックは「不安、恐れ」と訳した。ミヘルの註解)。
 この箇所と関連してパスカルはこう語った「イエスが嘆かれたのはこの時一度しかなかったと思う。だがこの時には、極度の苦しみに最早耐えられないかのように嘆かれた『私の心は滅入って死ぬほどだ』」(「パンセ」五五三)。イエスゲッセマネでべテロら三人の弟子に目を覚ましていなさい、と告げられたが、彼らは眠りこんでしまった。これを受けてパスカルは語った「イエスは人間の側から仲間と慰めを求められる。だがイエスはそれを得ることができない。弟子たちが眠っていたからである」。「イエスは世の終りまで苦悶されるであろう。その間、われわれは眠ってはならない」(「パンセ」前掲箇所)。
 モルトマンもこの箇所について次のように述べている
 「ゲッセマネの物語は(マルコ一四・三二以下)イエスが死んだ折の恐ろしい神の蝕(Gottesfinstemis) を反映している。…イエスは弟子たちにご自分と共に目を覚ましているように訴えた。またイエスは当時心の祈りにおいて神と一つになるために、しばしば彼らから離れて一人になった。…苦難の杯を自分から過ぎ去らせてほしいとのイエスの祈りは神によって《聞き入れられなかった》。
 ここではイエスと神との交わりは破れているように映る。それゆえ弟子たちは悲しみで深い眠りにおちたのである。神と弟子たちとから《見捨てられて》イエスは大地に伏した。ただ大地のみがイエスを支えた。イエスご自身は《神から引き離されて》自己否定をとおしてのみ(神との)一つであることを固執したもう。すなわち『私の願いでなく、あなたの願いのままになりますように』(マルコ一四・三六)と。ゲッセマネにおけるイエスの拒絶された願いをもって、イエスの最後に至る《神の沈黙》が始まる。『人の子が神なき者らの手に渡される時がきた』(マルコ一四・四一)」(「イエス・キリストの道」強調、引用者)。
 イエスの嘆願が神によって拒絶されたという点は、自分の心からの嘆願が神によって拒絶された人々の体験との異質性とある種の類似性がある。長期の入院患者などが時折味わうことだが、自分の嘆願にもかかわらず間近に追った自分の死が避けようもなく確実であることがわかるとか、自分が生きていくこともままならない障害者となることが時間の問題であるような人々の体験、言い換えると自分からその運命を免れさせてほしいとの嘆願が聞かれることなく、自分の死や障害者となることが不可避的となるといった絶望的な意識への転回の体験との類似性を、ゲッセマネのイエスに見い出すことができる。イエスにおける「ゲッセマネからゴルゴタへの道は、希望からの訣別である」(ドロテア・ゼレ「苦しみ」)。このような体験は現実に存在する。同じように、かすかな希望から絶望への運命の転回「消えかかった灯心」がかき消える(イザヤ四・三)経験をした人は、「キリストの中に自分が見い出される」(ピリピ三・九) と感じとる。ヘブル書には「イエスご自身試練にあって苦しまれたからこそ、試練の中にいる人々を助けることができる」(二・一八) とあるが、この「イエスによる助け」とはどのようなものであろうか。

男性弟子たちの逃亡と絶望
 イエスユダヤ教当局の者たちによって捕縛されたきっかけは、弟子の一人イスカリオテのユダがイエスを裏切ってユダヤ教当局に金で売ったためであった(マタイ二六・一四以下)。ユダについては、ルカ六・一六「イスカリオテのユダ」(イスカリオテユダヤ南部にある彼の出身地ケリオテあるいはカリオテに由来するらしいが、どこなのかははっきりしない)の別の読み方は「シカリオス(刺客)のユダ」、マタイ一〇・四「カナナイオス(熱心党)のシモンとユダ」においても、クルマンらは「熱心党」をユダにもかけて読む「熱心党のユダ」と。これらの根拠から「ユダを熱心党員とみる解釈」は根強い。弟子たちの筆頭べテロについても、マタイ一六・一七、ヨハネニ一・一五においてイエスは「バルヨナ・シモン」と呼びかけておられる。この「バルヨナ」はアラム語ではテロリストを意味しているので、クルマンはべテロも熱心党員の可能性があるとみた(「ペテロ」)。プリンツラーは、 ユダが裏切った理由を、イエスをローマの支配からの独立を目指すユダヤ民族の解放者と誤解してイエス服従したが、その誤解がわかった時点でイエスを裏切ったとみる(「イエスの裁判」)。ペテロら弟子たちもイエス捕縛の時点でイエスを見捨てて逃げ去った(マタイ二六・五六)。ただべテロだけはその後の事態を知ろうとして、連行されるイエスに遠くからついて行って大祭司の官邸の庭に入り込んだが、よく知られているように、その大祭司の官邸の庭で、そこの女中や使用人たちに「あなたはイエスと一緒だった」と詰問されて、三度にわたって「いやそんな人は知らない」とイエスを否認し、外に出て激しく泣いた(同二六・六九以下)。ペテロのイエス否認については、レンブラントの絵「ペテロの否認」(上野の西欧美術館)やバッハの「ヨハネ受難曲」における有名なべテロ否認のアリアもある(第一九曲、エルンスト・へフリガーが歌っているのが特に好きである)。これらの事実、ユダの裏切り、弟子たちの逃亡、ペテロのイエス否認は、イエスの受難において《男性の》弟子集団が崩壊したこと、彼らの深い失望、信仰の喪失を物語っている。
 イエスの弟子たちがイエスに何かメシア到来のようなものを期待していた点は、例えばイエスの亡骸をもらいさげたアリマタヤのヨセフ(マタイ伝では彼も弟子とされる)は「神の国を待ち望んでいた」とある(ルカ二三・五一)、しかしイエスに自分の地所を墓地として提供したものの、埋葬が終るとマグダラのマリアらを残して彼は立ち去った。そこに彼の失望の姿を見ることができる(マタイ二七・六〇以下)。またエマオの弟子の、クレオパはイエスに抱いていた思いを「私たちはこの方こそイスラエルを贖ってくださる人だと望みをかけていましたのに」(ルカ二四・二二)とイエスの死に接した時点の失望を告げている。「弟子たちの逃亡の中に見られる挫折によって明らかとなるのは、イエスの死という断絶によって彼らの信仰が一時的に失われたということである」(シュラーゲの論文「新約聖書におけるイエス・キリストの死の理解」)。