建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅴー復活の史実性の問題性-2 史実的研究方法の問題① 

史実的研究方法の問題
 さて聖書の解釈に対して「史実的方法」を提起したのは、ドイツの神学者エルンスト・トレルチである(一八六五~一九二三、著書「教会の社会的教説」など)。彼は「神学における史実的方法と教義学的方法」(一八九八)という論文の中でこう述べている。
 「なぜなら《歴史的批評》[批判Kritik]が一般に可能となる手段は《類推・Analogie》の適用であるからだ。私たちの眼前にある出来事の《類推》は、この批評のための鍵である。私たちが眼前に目にする錯覚、神話形成、虚偽、党派心は、伝承されたものに同類のものを認識するための手段である。普通で通常のものであるか、あるいは幾度も証明された経過の様式と一致することは、その事件が起きたであろうとの《蓋然性》のしるしであり、批評はその事件を実際起きたものとして承認することができるし、あるいは余計なものとして放棄することもできる。過去の同じような諸事件を《類推》によって考察することは、それらの諸事件を読みかえて、ある未知のものを他の既知のものから説明する可能性を与える。しかし類推のこの全能は、明らかにけして同一ではないところの《すべての史実的な出来事の原則的な同質性》を含んでいる。むろん同一性があるのではなく、差異性にあらゆる可能な余地を残してはいるものの、しかし毎度共通の同質性を前提にしている。そしてそこから差異性が把握されうるし、追感されうる」(高森昭訳参照)。
 この「類推」という歴史解釈の方法論の卓越性は脇において、問題点はいくつか指摘できるようだ。第一に、この方法が通用する領域のポイントで、ここで「すべての史実的な出来事の原則的な同質性」があげられたが、しかしながら歴史において神ご自身が行動されるような出来事、イエスを復活させられた神の行動は、この「原則的同質性」からはみ出てしまうので、この方法が通用しない。この方法からはみ出したから「この出来事は起こらなかった」とはいえないのだ。
 第二に《類推》すなわち「ある未知の事件を他の既知の諸事件から説明する」という方法を適用すれば「神によるイエスの復活という聖書の申し立ては《史実的に》に不可能である」との帰結が出されてしまう(モルトマン「希望の神学」)。したがってイエスの復活は「無からは何も生まれない」という「事件の原則的な同質性」とは別の、異なった文脈に転調させ、イスラエルの救済史、あるいは後期ユダヤ教の黙示思想と連結させて「死人を生かし、存在しないものを存在へと呼び出される神」の創造(ロマ四・一七) からのみ解釈が可能となる。しかしこれでは史実的方法からはみ出してしまう。また「史実的な方法」はこのやり方をけして採用しない。
 第三に「ところで聖書の本文をとおしての《イエスの復活の現実への史実的な問い》は、歴史的な事実とばかりでなく、報告された出来事を他の光に移すような《歴史の異なった体験・意味の地平》とも対峙させる。史実的な問いについて表現される歴史(Geschichte)の体験は、よく証言され、想像的に描かれた出来事ばかりでなく、歴史の異なった体験にも出会う。それゆえイエスの復活の現実への史実的な問いは《史実的に問う者のほうへと向きを変えて、その者の歴史の根本的な体験に問いを発する》。それによってキリストの復活の史実性への史実的な問いは、《歴史との史実的な交流一般の問題性》へと拡大されていく」(モルトマン「希望の神学」第三章の六、強調引用者)。モルトマンが提起しているのは、歴史研究、新約聖書の記事についての「史実的な研究方法」が復活記事の解釈に適応する場合、一つの方法ではありえても、これは《歴史の異なった体験》イエスの復活顕現との出会いなどに対しては、実り豊かな方法とはいえない点、したがって「歴史の異なった体験」にはこれとは別の解釈方法、いわば神学的解釈、黙示思想的終末論的な解釈という方法が要請されている点である。

ブルトマン、バルトの復活についての解釈

ブルトマンの立場
 「キリストのよみがえりとしての復活祭の出来事は《けして史実的な (historisch) 出来事ではない》。史実的な出来事として把握できるのは、初代の弟子たちの《復活祭信仰》だけである。…歴史家[新約聖書学者]にとって復活祭の出来事は、弟子たちの黙示的幻視(Vision)体験に還元されてしまうであろう。キリスト教の復活祭信仰は、史実的な問題には関心をもたない。復活祭信仰の発生の史実的出来事は、初代の弟子たちにとってそうであったように、よみがえらされた方の自己証言、十字架の出来事をそこにおいて完成せしめたもう神の行為を意味している」(「新約聖書と神話論」一九四一、強調引用者)。
 ブルトマンが復活を《史実的でない》といったのは、《史実的には把握できない》とみたからである。しかしだからといって復活の解釈を「復活信仰の解釈」にのみに解消してよいかどうか、復活顕現記事に対して史実的な問いを放棄してよいのか、復活顕現はいつどこで、誰にどのようにという問いを放棄してよいのか、「復活は確かに十字架の出来事の完成」という側面をもってはいるが、けして十字架に従属するものでも、十字架と二つの中心点をなすものでもなく、十字架にまさったものではないか、さらに復活はその顕現に出会った者たちの内面においてばかりでなく、彼らの存在の外側で起きた、いわゆる《エクストラ・ノス・私たちの外側で》というポイントがこの解釈では無視されている、との疑問、問いが残る。

カール・バルトの立場
 「イエス・キリストのよみがえりは、その生と死に関わる他の出来事と並ぶ《史実的範囲の出来事ではなく》イエスの史実的な生全体が神にその根拠をもつことにおいて《非歴史的》である」(「ロマ書講解」一九二一、吉村善夫訳)。
 また「死人の復活」(一九二四)においては、こう述べられている
 「キリストは、ジュリアス・シーサーが殺害されたとか、トイーブルクの森で小戦闘があった《のと同じ意味でよみがえっただけではなく、さらにまた神がここで語った、行動したという意味でも》よみがえった」(山本和訳)。ここではバルトはキリストの復活を《史実として把握しつつ、同時に歴史的、神学的に》把握している。後の「教会教義学」の関連箇所をみてみたい。
 「人が受難物語から復活祭の報告へと移る場合には《ある別の独自の様式の歴史領域》へと導かれる。…他方イエスの死人からのよみがえりは、語られるのではなく、むしろ空虚な墓の発見をとおしてよみがえりのしるしとして暗示され、さらに復活させられた方の顕現についての証言の形で、暗黙のうちに前提とされている。新約聖書自体は、この復活の歴史・出来事の独自性、時間空間の中で生起し、また確証可能な歴史として突進する独自性を覆い隠そうとはしなかった。この復活の歴史・出来事の出来事性に対する、現代の歴史学の意味での証明に導かれることはできないし、導かれることがあってはならない」(「教会教義学・和解論」Ⅱ/1、一九五五、六四節「人の子の帰郷」、井上良雄訳参照、以下同じ)。
 「復活の出来事の場合、新約聖書自体は私たちが《史実的基盤の上にいる》との命題に至る可能性を、けして与えはしない」「イエス・キリストの死は《史実として把握されるが、復活は史実としては把握できない》」「人が復活の出来事を、史実として把握できないからといって、その出来事を《生起しなかったものとして解釈したり》、あるいはキリストの死と同じような仕方では《時間空間の中では生起しなかったものとして解釈したり》、あるいは復活信仰の根拠づけとその信仰の成立の形でのみ《信仰においてのみ生起したと解釈しよう》と欲するならば、新約聖書の使信全体への根本的な誤解の誤りを犯すことになってしまおう」(バルト、前掲書)。
 「イエス・キリストのよみがえりは、人間的空間と人間的時間の中で、客観的な内容をもつ世界内的、現実的な事件として生起した限りでは《イエスの死と十字架と同じような意味で》生起した。…イエスのよみがえりは《普遍的な人間の歴史として時間の直中で生起した》。この特別な歴史の経過の直中でイエス・キリストは弟子たちに出現された。死人から復活させられたお方、もはや死によって脅かされないお方としてご自分を啓示された」。バルトはさらに「史実」と「歴史」に関してこうも述べている「ただ《史実的に確定することができることだけが実際に時間の中で起こりえたと考えること》は、(聖書とは)異なった信仰に基づいている。それ自体史実的には確証できないけれども、それでいて『歴史家たち』がそれとして確証できるすべてのことよりも、はるかに確実に実際に時問の中で起きた出来事があるであろう。特にイエスのよみがえりの歴史[出来事]はそのような出来事の中に含まれていると受け取るべき根拠を私たちはもっている」(「教会教義学」Ⅲ/2、四七節「時間の主、イエス」)。
 バルトは、史実性が確証できない出来事を生起しなかったとみなすことはできない、と主張する。むしろ一貫してイエスの復活を史実として確証できないが、実際に生起した歴史的な出来事とみなしている。この「教会教義学」における復活解釈は多くのキリスト者の共感を呼ぶと思う。

モルトマンの立場
 モルトマンも《復活の史実性を否定する》。むろん彼は復活を否定しているのではなく、むしろ彼は現代の神学者の中で最も精力的に復活を肯定して力強く復活論を展開している一人である。彼が復活の史実性を否定するのは、史実的方法によって復活の現実を把握できないとみているからだ。
 「キリストの復活を、十字架の死と同様に《史実的・his1orisch》という人は、復活と共に始まる新しい創造を見過ごしており、また終末論的な希望をゆるがせにしている。…死があらゆる生を《史実的なもの》となす限り、死は歴史(Geschichte)の力とみなさなくてはならない。よみがえりが死者たちを永遠の生命に導き、また死の滅亡を意味する限り、よみがえりは歴史の力に打ち勝ち、自ら歴史の終りとなる。私たちが二つのもの[キリストの十字架と復活]を対比するとすれば、その場合にはキリストの十字架は世界史の黙示録的終りの到来となり、死人の中からのキリストのよみがえりは《世界の新しい創造の始まりに立つ》ことになる。それゆえ私たちは《キリストの終末論的復活》について語る。…パウロはキリストの十字架の死と復活との比較できない性質を『はるかにまさった』という言い回しで表現した(ロマ八・三四「キリスト・イエスは私たちのために死んだお方、《いやそれ以上に》よみがえらされたお方として、神の右に座して私たちを執り成してくださる」)。そしてそれによってキリストの復活の終末論的な約束の圧倒的剰余を表現した。この圧倒的な剰余、豊かさは初代のキリスト者ギリシャ正教会の神礼拝の、復活祭における途方もない歓喜の中で歌われている」(モルトマン「イエス・キリストの道」)。モルトマンに対する不満は、パウロの復活理解とルカの復活理解、身体具有的復活とのすりあわせ、対比論を取り上げていない点である。パンネンベルクはこれをやっているが、グラースの立場に依拠して、パウロの立場を尺度としてルカの立場を史実的でないと判断している、と思われる。

 いくつかのポイントを取り上げたい。
 第一に、復活の出来事を単なる「奇跡」や「神話」あるいは「魂の経験」とみなすことはできない。また「私たちの存在の外部で起きたもの」ではなく、私たちの「内部・心の出来事」のみに転調させること、さらに復活を「復活信仰」のテーマ(ブルトマン)や弟子たち・キリスト者の実存の変容、すなわち絶望した弟子たちが、生き返ったように希望に満ちた存在に変わったとのテーマ 《のみに》転調させることは問題である。
 第二に、復活についての聖書の記事を、パウロの第一コリント一五章のみに限定して、《福音書の復活記事を過小評価すること》は問題である。この過小評価の傾向は従来のドイツの神学に著しい。その傾向はやはり福音書の復活記事が「史実的な出来事として確認できない」とみなしたからだ。しかし史実的な研究の成果を前提にして(その成果にしても暫定的であり、ある種の仮説にすぎない)その成果をものさしにして、パウロの書簡のみを大きく扱い、福音書の復活記事をより小さく扱うという方法論、史実的でないと切り捨てる帰結を引き出す方法には疑問を感じる。