建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅴー復活の史実性の問題性-2 史実的研究方法の問題② 

パンネンペルクの立場
 さて「イエスの復活は史実的出来事である」と主張する現代の唯一の神学者パンネンベルクの見解をみてみよう。
 「歴史家[聖書学者]は原始キリスト教の成立に導いた復活の出来事の歴史的な関連を再構成する義務を負っている。その場合、歴史家がどのような可能性を考慮するかは、むろん自家薬籠中の《現実性の理解》に依存している。歴史家が〈死人は復活しない〉という確信をもって自分の研究にとりかかるならば、前もって〈キリストは復活しなかった〉(第一コリ一五・一六)という事柄が結論となってしまう。他方復活の希望について黙示文学的な待望に真理の内容を認めるとすれば、歴史家は伝承の状態の特別の事情が別の説明を示唆しない限り、復活の出来事の経過を再構成するための可能性を考慮するにちがいない。後者[復活顕現を弟子たちの空想として、心理学的に説明する試み]は当てはまらないことはすでに見てきた。したがって(復活の)出来事の経過を再構成する場合、イエスの弟子たちの黙示的幻視(Vision)についてばかりでなく、復活したイエスの顕現についても語るという可能性が存続する。その場合、人は弟子たち自身と同じように、象徴的な言語で語る。しかし別の説明の可能性が確実でないことがはっきりした時には、このような言語をとおして示すことの助けをかりて、その出来事の経過を理解することは、弟子たちにも私たちにもさしっかえないことだ。この意味で《イエスのよみがえりは史実的な出来事として特徴づけることができよう》(強調、引用者)。原始キリスト教の成立が、他の諸伝承を除いて、パウロの場合復活したイエスの顕現に基づいているとすれば、現にある伝承に対するあらゆる批判的な吟味をしたうえで、死人からの復活という終末論的な希望の光で考察されるならば、その場合には、そのように特徴づけられるものは、たとえそのことについて詳細は何も知らなくても、史実的出来事である。さらに終末論的な待望の言語によってのみ表現しうる出来事は《史実的に起きたもの》として主張することができる」(パンネンベルク「キリスト論綱要」、第三章イエスの復活の史実的問題性)。
 ところでイエスの復活についての聖書の記事には周知のように、パウロの第一コリント一五章などパウロの書簡と福音書における復活記事との双方とがある。
 復活顕現はどのような内容であったのか。《復活者の顕現》は、原始キリスト教会に属す人々(マグダラのマリア、ペテロ、一二使徒、主の兄弟ヤコブクレオパ、パウロなど)によって実際に体験された。したがって後の時期の聖伝・伝説の形態によってはじめて自由に案出されたものではなく《史実的に》十分基礎づけられている(パンネンベルク)。この点はいいとして、では福音書の復活顕現の報告もすべて《史実的》だといえるのだろうか。このポイントになると、現代の神学者たちは大いに懷疑的になる。ブルトマン、カール・バルトの立場は先に言及した。パンネンベルクは述べている、
 「一方で、福音書の報告は《その復活顕現の身体具有性(Leibhaftigkeit)》[復活したお方が身体を具えていること] を意図的に強調することで、史実的な吟味に対してはまったく確固とした基盤をもっていない。特にこの点で《福音書の報告はパウロと対立している》(パンネンベルク、前掲書)。
 〔ここでの「復活顕現の身体具有性」を示す箇所として次の箇所がある、「何をうろたえているのか。なぜ心に疑いを起こすのか。私の手と足を見なさい。まさしく私だ。幽霊には肉も骨もないが、私にはそれがあるのがわかるから」(ルカ二四・三八~三九、後述)。「あなたの指をここにもってきて私の手を見なさい。手をもってきて私の脇腹に差し込んでみなさい」(ヨハネ二〇・二七、後述)〕。

 パンネンペルクはいう「福音書において報告されている復活顕現は、パウロの場合には言及されていないのだが、かなり強く《聖伝的な性格(Iegendaere Charakter)をもっているので、人はそれらの中に史実的な核をほとんど見い出しえない》。またパウロの申し立てと一致した福音書の報告は、特に復活顕現の身体具有性を強調する傾向によって、強い聖伝的な着色がなされている」。
 パンネンベルクは、福音書の復活顕現記事が復活したお方が身体を具えておられること、身体具有性を強調している点を根拠にして、その復活顕現が聖伝的性格をおびている、言い換えると、その顕現の史実性を疑わしいと主張した。
 パンネンベルクがその典拠としたのは、先にふれたグラースの「復活祭の報告と復活祭の出来事」である(一九五六、この文献は本格的な復活研究でパウロ書簡も福音書も網羅している。翻訳があればいいのにと思わせる研究である)。グラースはその著書においてこう述べている、
 「空虚な墓についてのすべての物語・歴史の根本的関心事は、主の《身体具有的な復活》を証明することにある」「主の復活顕現はリアルな《身体具有的な・leibhafige》現臨を、生き生きした描写で述べている。復活の主は弟子たちと共に旅し、彼らの前で彼らと共に食事をし、自らを触れさせ、手で触らせ、園丁と取り違えられ、弟子たちを教化し指示を与え、使命の委託をし質間をうけ回答している」(八八ページ)。グラースはさらに述べている、
 「すべての復活顕現物語の根本モチーフは、原始キリスト教が始めから、この方が真実復活させられたことを宣教した証言にある。この根本モチーフはさまざまな個別的モチーフで展開されている。《全福音書の復活祭物語は、復活の現実性(Realitaet)ばかりでなく、復活の身体具有性を証明しようとしている。この方は幽霊ではなく、むしろ「肉と骨」をもっていた方として顕現した》と、ルカ二四・三七以下、ヨハネ二〇・二〇、マタイニ八・九は述べている。空虚な墓の物語は、史実化の興味から語られたのではなく、むしろ復活の身体具有性を強調するために語られたのだ。…」[マタイ二八・九は墓の近くで復活のイエスに出会ったマグダラのマリアらが、「復活した方の《足を抱いて接吻した》」(直訳)と述べている。グラースはこれをふまえたもの]。「<肉体の復活>という表象は全福音書の復活祭物語をとおして容易に聖書的に支持される」。
 では全福音書の復活祭物語の多様なモチーフのうちで《聖伝的なものの史実的な核》として何があるのか。これについてグラースは述べている。
 最初の復活顕現は復活祭から時間的にはへだたっていない時にガリラヤ(の湖で)起きたこと、弟子集団はこの復活顕現に関与していたこと、ペテロが集団の中で際立つていたこと、他の弟子たちの前で主を見たこと、が推定できる。この復活顕現から復活祭の信仰、主は真実復活されたという信仰が成立した。

 《復活日顕現の様式については、報告記事ではもはや確かなことは何も推定できない》。…パウロの復活証言を私たちがもつことがなく一連の確かな事実をパウロに負うことがもしできないとすれば《全福音書の復活祭の報告のもつ聖伝的な性格はこの諸事実自体を疑問のあるものと映させる》ことになろう。
 「全福音書の復活祭物語は復活の事実ばかりでなく、復活の身体具有性をも証明しようとしている。復活した方は幽霊ではなく、肉と骨をもった方として顕現した。ルカ二四・三七以下。ヨハネ二〇・二〇」 「全福音書の復活祭の報告は聖伝的性格をもっているため、パウロの復活証言がなければ、この諸事実自体を疑問のあるものだと思わせる」(グラース、九二以下)。

 ここではパウロの復活顕現の把握の仕方《だけが規範として》採用されている。パウロは「魂の体で蒔かれ、霊の体によみがえらされる。魂の体がある以上、霊の体もある」(第一コリ一五・四四)と述べて、地上的な存在様式を「魂の体・地上的な人間の体・ソーマ・プシュキコン」(バウアーのレキシコンの翻訳は「地上的人間の体」、ドイツ語訳の多くは直訳で「魂的な体」。協会訳「肉の体」は原語からかなり遠い訳語)復活させられた方の存在様式を「ソーマ・プニュマティコン・霊の体」と呼んで両者の区別と断絶とを主張した。
 この表象を福音書のキリストの復活顕現に当てはめて、復活した方が《「霊の体」の存在様式で顕現されてべテロや一一弟子、マグダラのマリアクレオパ、パウロらに出会われた》とすると、いったいその復活顕現はどのようなものとして体験されたのか。地上的な存在「魂的な体」(マリアや使徒たち)から見たところの「霊の体なる復活のキリスト」とはどのようなものであったのか(少なくともブルトマンの「ヨハネ注解」にはこの問題意識が存在している)。

身体具有的な復活
 ここでグラースやパンネンベルクが、復活した方が身体を具有していたとしてあげた福音書の記事を取り上げたい。
ルカ二四・三六~四三
 「(エマオの弟子)二人が(ペテロらに)こう話しているところに、イエスご自身がみんなの真ん中にお立ちになって、弟子たちに『平安あれ』と言われた。彼らはぞっとしておののいて、《幽霊を見ているのだと思った》。イエスは彼らに言われた『なぜうろたえているのだ。なぜ心に疑いを起こすのか。《私の手と足とを見てみなさい。ほんとうに私だ。私に触ってみなさい。幽霊には肉も骨もないが、私にはそれがあるのがわかるから》』。(こう言われてイエスはご自分の手と足をお見せになられた)。彼らは喜びのあまりまだ信じられず、怪しんでいたので、イエスは彼らに言われた『ここに何か食べるものがあるか』。彼らは焼いた魚を一切れ差し上げた。《イエスはそれを受け取って彼らの前で食べられた》」(レンクシュトルフ訳)。
 この記事の意図・根本的動機は何であろうか。第一に、ルカ伝の成立年代は後九〇年ころである。パウロが書いた第一コリント一五章の時期(後五六年ころ)とは、三五年も後の時期、パウロが受けた原始教会の復活伝承よりも五五年後の時期に当たる。第二に、ルカが初めてイエスの復活を「肉も骨も備えた」《身体具有的復活》として述べた。それ以前のパウロの書簡にも、マルコ伝(七〇年ころ成立)やマタイ伝(八〇~八五年ころ成立)にも、イエスの身体具有的復活についてはしるされなかった。もっともこの弟子たちへの復活顕現の、すぐ前には「エマオの弟子たちへの復活顕現記事」があって(ルカ二四・一三~三六)こちらは福音書の顕現記事で最も古いものであることは定説になっている(ブルトマン、ヴィルケンスなど)。第三に、ルカがこの記事を述べた宗教的な環境はどのようなものであったのか。ルカはどのような(異端的な)復活論と対峙していたのか。キリスト教の復活宣教に対するユダヤ教からの反論(マタイ二八章やヨハネ二〇章はその反論をしているが)以前パウロが対決したコリント教会の「死人の復活否認論」との対峙といった問題はルカではどうなのか。
ルカがイエスの身体具有的復活を述べた理由としては、従来二つの解釈がなされた。第一に、原始キリスト教の外側に存在した「仮現説」(イエス受肉を否定する異端)とイエスの「霊魂的・精神的復活」を説き身体的復活に異を唱えた異端「グノーシス主義との闘い」がこの記事の背景にあって、その異端への反駁だと考えられていた(ヒルシュ「復活の出来事とキリスト教信仰」一九四〇の見解)。しかしこのヒルシュの見解に対しては批判が多い。「これらの箇所が反グノーシス的な弁護論と把握されるべきかは疑わしい」(ミハエリス「復活した方の諸顕現」)。第二に、復活のキリストが十字架につけられたイエスと同一の方であるとの動機。ヴィルケンスは述べている「この記事の強烈な関心はおそらく異端的キリスト論に対する論争的関心ではなく、むしろ顕現された復活した方が弟子たちの師であり主であったイエスと同一であること」すなわち《同一化のモチーフ・動機づけ》にあったと(「復活」)。この立場は相当に説得力がある。さらに私たちは第三に、復活への疑いを克服するモチーフをあげたい。