建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅴー復活の史実性の問題性-3 復活への疑いを克服するモチーフ、動機づけ  

復活への疑いを克服するモチーフ、動機づけ
 ルカ二四・三六以下の記事の動機づけは、イエスの復活に対する弟子たち自身の「疑いを克服すること」にあると考えられる。
 福音書の復活顕現記事を注意深く読んでいくと、弟子たちがイエスの復活を信じられなかったと多くの箇所で述べられている、のに気づく。弟子たちは単純素朴にイエスの復活を信じたわけではなかったのだ。ブルトマンの「ヨハネ伝注解」がこのポイントを指摘しているのに出会って、私はわが意を得たりと感じた。
 第一に、マルコ伝一六章の付加部分(これは後代の付加)。マグダラのマリアに復活のイエスは顕現された。マリアがイエスのそばにいた人々(弟子たち)に「イエスが生きておられること、彼女に出会われたことを報告したが《彼らは信じなかった》」。また彼らのうちの二人が田舎に旅をしている時にイエスは別の姿で現れなさった。彼らがそのことを残りの人々に報告したが《彼らは信じなかった》。…その後、十一人が食事をしている時、イエスは現れなさって、復活に出会わされた人々の言うことを信じなかった彼らの不信仰と頑なさを批判された」(マルコ一六・九~一四)。
 第二に、マタイ二八・一六~一七「十一人の弟子たちは、イエスに指示されたガリラヤの山へ行き、イエスに会い、ひれ伏した。しかし《彼ら全員は疑っていた》」(ザントの翻訳)。この箇所について「疑う者もあった」との翻訳が大多数で《十一弟子のうちの少数者だけが疑っていた》と解釈されている(協会訳、前田訳、塚本訳)。しかし原文の主語は「彼らのうちの数人」ではなく、ただ「彼らは・アウトイ」である。それゆえ直訳「十一弟子全員がイエスの復活を疑っていた」というザントの訳が正しい。言い換えると、ペテロら弟子たち全員は、復活したイエスの《顕現に出会うだけではイエスの復活を信じることができなかったのだ》。ではこの復活への不信、疑いはどのようにして克服されたのか。マタイ伝の場合それは復活したイエスによる、世界伝道への委託によってであったと解釈できる。「行ってすべての国民を弟子(キリスト者)にして、彼らに父と子と聖霊によって洗礼を授けよ」(一九節、ザントの注解)。
 第三に、ヨハネ二〇章における「復活を疑うトマスへの顕現」については後述。
 第四に、ルカ二四章では、他の福音書よりもイエスの《復活への疑いが集中的に述べられている》。マグダラのマリアらが「空虚な墓」について男性弟子たちに報告したが、彼らは「その話が冗談のように思えたので、女性弟子たちを信じなかった」(二四・一二)。エマオの弟子たちの発言、イエスの十字架の死から「今日はすでに三日目になりました」(二一節)は、イエスの復活などありえようもないという彼らの諦念と絶望を意味している。空虚な墓に対するクレオパらの無理解は「預言者たちの言葉を少しも信じない、悟りの悪い、心の鈍い者たちだ」と復活のイエスに叱責されている(二五節、このクレオパはイエスの従兄弟らしい)。
 さらに、弟子たちの、イエスの復活に対する疑いは、突然の復活のイエスの顕現に「弟子たちはぞっとしておののいた。幽霊を見ていると思ったのだ」(三七節)とある。この弟子たちの「疑い」はただちにイエスによってとがめられている「なぜ心に疑いを起こすのか」(三八節)。そして復活のイエスがその疑いの克服としてなされたのが次の二つの仕方である。
 第一は、復活した方の手と足の提示である。「私の手と足を見なさい。ほかでもない、私だ。私に触ってみなさい。幽霊には肉と骨はないが、私にはそれがあるのがわかるから」(三九節。四〇節の手足への接触の要請はヨハネ二〇・二〇とまったく同じなので、そこからの挿入と解釈されている。塚本訳では四〇節は削除されている。復活した方の「身体の部分の提示(と身体的接触の指示)」、これが「復活した方と生前のイエスとが同一の方であることを示す証明方法」である。この証明方法は、敵側(グノーシス主義)との対決を反映しているであろう(バルトもそう見ている)。同時に同一化のモチーフ、十字架のイエスと復活させられた方が同一の方であるとの動機をここに読み取ることもできる。しかし「幽霊には肉も骨もないが、私にはそれがある」(三九節)にも弟子たちは納得しない、弟子たちの疑いは頑強である「彼らがまだ信じられないで怪しんでいると」(四一節)。現代の私たちと同様、弟子たちはけして単純、素朴に復活を信じたのではなかった。
 第二の証明方法は、復活した方が「ものを食べる」という方法である。「イエスはその魚を受け取って、彼らの前で食べられた」(四三節)。弟子たちの前での食事によって、復活した方は「蘇生した方」として顕現したのではないかという印象が強い。では「肉も骨もある体」復活した方の身体に関していえば、ルカの記事は「体(Leib)の復活」ではなく「肉体(Fleisch)の復活」を主張している、とグラースは解釈している。確かに記事のこの部分だけ読むと次のヒルシュの立場も正しいかのような印象を受ける。
福音書の復活顕現における《復活した方の身体性》は、墓から天的な栄光へとあげられていく途上にある、蘇生させられた体での顕現」のように映る(ヒルシュ、前掲書)。またヒルシュはこのルカの記事が復活した方の力強い《身体具有性》を表現したものと解釈した。ここでふまえたいポイントがある。パウロの「霊的な体への復活論」とのすりあわせである。
 第一に、イエスは「最初、肉体として復活させられたが、その後、霊的な体へと変容なさった」との解釈。後期ユダヤ教の黙示文学、エチオピァ・エノク五一・一以下「(復活ののち)定められた日が過ぎた後、義人とされている者たちの栄光も、彼らの顔も《変化・変容して》輝き、約束された《不死の世界》を受け取ることができる。…もはや時は彼らを老いさせず、彼らはみ使いに似た者となる…」。この立場を敷衍すると、復活させられたイエスは最初は「生前と同様の身体を具有されていたが(ルカの立場)、時間が経過する中で、やがて霊的な体へと変容させられた(パウロの立場)」と解釈することは一応できるかもしれない。しかしこの解釈はパウロの見解、死人の復活(イエスの場合、厳密には「死人の中からのよみがえり」であるが、ガラテヤ一・一)と生き残った者たちとの存在の変容の突如性、第一コリント一五・五二「直ちに」とは矛盾するので是認できない。とにかくルカ二四章がパウロの霊的な体への復活を射程にいれていないことは確かだ。
 第二に、あげたいのは《パウロ的な復活理解の格下げ・グレイドダウン》である。パウロは復活の身体性として述べているのは「地上的体・ソーマ・プシュキコン」と対立する「霊的な体・ソーマ・プニュマティコン」「朽ちゆくもの、死ぬべきもの」と対立した「不滅のもの、不死なるもの」(第一コリ一五・四四、五二以下)。あるいは「地上的ないやしぃ体」に対立する「栄光の体」(ピリピ三章)であった。したがってパウロの立場は、ルカが描いた「肉と骨を具有する復活者」とは決定的に対立している。グラースやパンネンベルクが史実性に欠けるとしりぞけた所以である。ルカが復活したお方をこのように述べたのは、キリスト者らがパウロ的な、地上的な体とは異質の「霊的体への復活」をもはや信じられなくなったからであると解釈できる。復活したお方の手足を見たり、その体に触れたりしなければ、復活を信じられない。言い換えると、キリスト者は非地上的な、霊的体をもった復活させられたお方という存在、パウロ的な復活論を保持しきれないで、肉も骨も具有した復活者という《庶民的で、わかりやすい》復活表象へとた頽落した。霊の体では信じられないで、むしろ復活を信じるために霊の体のリインカーナチオン・再受肉(グラースの用語)を要請したのだ。かくてパウロの《復活したお方の霊の体》という復活表象をルカの教会は放棄してしまったのだ。パウロはコリント教会のあるグループ、死人の復活を否認して、キリスト者の将来的復活を否認したキリスト者らと対決したが(第一コリ一五・一二以下)、これとはまったく異質であるところの、キリストの身体的復活を受け入れないキリスト者の集団、傾向とルカは対決しているようだ。「肉体へと復活させられたキリスト」という見解は、実は次の教父の文書にも登場している。

使徒後教父たち
 新約聖書正典ではなく、使徒後教父の文献にはルカの立場と類似した見解がある。
 偽典の「使徒たちの書簡」(九~一二)には復活したお方は弟子たち・使徒たちにこう要求されたとしるしている、
 「ペテロ、あなたの指を私の手の釘の痕にもってきなさい。トマス、あなたの指を私の脇腹の突き傷の痕に差し入れてみなさい。アンデレ、私の足にさわって、それが地についているかみてみなさい。これによってほんとうに私であることが、あなたがたにわかる。というのは預言書には悪鬼の幽霊の足は地についていないと書かれているからだ。そこで私たち三人は復活した方に《さわった》。それによってその方がほんとうに《肉体に復活させられた》ことを私たちは認識した。また自分たちが不信仰であった罪を告白した」(引用はグラースの前掲書から)。
 ここでは復活した方が十字架につけられたイエスであるとの同一化のモチーフ、身体の提示と接触による「霊魂的・精神的復活論」への反駁、不信仰の罪の告白による復活への疑いの克服という動機づけ、イエスが「霊の体」にではなく「肉体に復活させられた」との表現が注意をひく。
 「スミルナのキリスト者へのイグナチウスの書簡」(三・二)にはこう述べられている。
 「私は主が復活後も《肉にあった》ことを知り、かつ信じている。主はペテロのまわりにいる人々のところに来て言われた『私をつかんでみなさい、さわってみなさい。私が肉体のない霊ではないことを見てみなさい』。そこで(彼らはすぐにその方にさわり信じるようになった》。それから彼らはその方の肉体と精神に密接に結び合わされた。…復活の後の主は霊的には父と一つであったとはいえ《肉体的存在・サルキノス・Fleischer》としては、彼らと一緒に食べたり飲んだりした」(後一〇〇年ころ、荒井献編「使徒後教父文書」参照、強調引用者)。
 とにかくルカが採用している伝承は、 イエスの肉体の復活を表現したもので、イグナチウスの書簡のものと共通している。
 《イエスの復活における身体性》に関して、パウロの見解「霊の体」とルカ(およびヨハネ)「骨と肉の体」の双方を新約聖書は述べている。ではこれ対して私たちはどう判断したらよいのか。四つのポイントを取り上げたい。
 (一)ルカ二四・三六以下の成立の時期については「遅い時期の護教的作品である」との解釈がある(ブルトマン 「共観福音書伝承史」)。この立場にたってグラースやパンネンベルクらは、 この記事を復活の出来事よりもずっと後に成立した「聖伝」とみなし「史実的核を見い出せない」と結論づけ除外してしまった。しかしいやしくもこの記事は正典に入れられたものであって、しかもニュアンスこそ若干違うものの「ヨハネ二〇・三六以下のトマスへの顕現記事」という並行記事もある。したがってこの記事を無視する立場は、福音書の復活記事の重要部分をも決定的に軽視・無視するものである。復活の出来事への「史実的な研究成果」しかもあくまで仮説にすぎないものを前提として、福音書の復活記事(特にルカ伝)を一面的に軽視・無視するやり方は疑問を感じる。パウロの霊的体への復活論とルカの肉体への復活論、相互に相異なる復活論が《併存》してもかまわないではないか、と私たちは考える。
 (二)イエスの「霊的体への復活」ではなく、「イエスの肉体への復活」というルカやヨハネの立場を支持して受け入れるキリスト者は、現代においても多数存在することは確かである。先の使徒後教父の文書にもあるとおり、この立場は、ルカの教会の見解(あるいは受け継いだ見解)であって、後九〇年代のみならず第二世紀にはパウロの見解よりもずっと広まったようだ。しかしながらこの立場が、パウロの復活理解に対してどのような態度をとったかは明らかではない。とはいえ一方のパウロの、霊的体への復活論と他方のルカの「身体具有的・肉体への復活論」とは、正典聖書がしるした二つの相異なる復活論である。イエスの十字架に関して、一方の「すべてが成就した」とのヨハネの見解や敬虔な殉教者的な死をとげたとのルカの見解とは真っ向から対立するところの、イエスが絶望の叫びをあげられて死をとげられた、とのマルコとマタイの見解が共存している。それゆえ復活に関しても相異なる見解が新約聖書において共存していたにしても、それほど驚くには当らないと考える。
 「使徒信条」(後二七〇年後)には、「我は《肉体のよみがえり》を信ず」とある。ここは日本語訳の「《からだ》のよみがえりを信ず」ではなく、厳密には《camis・肉、肉体》のよみがえり、を言っている。英語、ドイツ語の「flesh・Fleisch」である。通常英訳では「body・体」を当てているようだが(モルトマン「イエス・キリストの道」、ベルコフ「かたく基礎づけられた希望」 一九六九など)。
 「ハイデルベルク信仰問答」(一五六三)の「問い五七」は、「体の復活」ではなく、むしろ「肉の復活」について、語っている。問い五七の答「この生命の終ったのちに、私の魂が直ちにかしらなるキリストのもとに受け取られるばかりではない、《私の肉》[Fleisch]もまたキリストのみ力をとおしてよみがえらされて、再び私の魂と一つにさせられて、キリストの栄光の体と同じ姿にさせられる」とある。内村鑑三の復活論においても、「体の復活」という表現はまれで、「肉体の復活」という表現が大部分である。「<霊的復活にあらずして肉体の復活である>」後述、再臨論。
 (三)バルトは復活させられた方との身体的接触を「その方の栄光の啓示」と解釈する。バルトはこの記事も、ヨハネ二〇・二四以下のトマスの話も、仮現説的復活論への反駁と防衛をしていると主張する。
 「この者、肉をとった神の永遠の言葉として神の隠された栄光を啓示する方-それが死人の中からの現実的な、したがって<また体の復活>[leibliche Auferstehung]の中でのイエスであった。すなわち現実的にしたがってまた<身体的に>復活させられた方として顕現されたイエスであった」(「教会教義学」Ⅲ/2、四七節、時間の主、イエス)。バルトは続ける、
 「復活させられた方に、まさしく手でふれることができるということは、復活させられた方が、抽象的に魂あるいは霊魂[Seele oder Geist]ではなく、むしろ自分の体の魂であり、体でもあるところの、一人のまったき人間イエス以外の何ものでもないということである。よみがえらされた方を身体的に見たり、身体的に聞いたりしたということと共に、まさしくよみがえらされた方に身体的に手でさわったということが、イエス・キリスト使徒としての実存を成立せしめている。キリストの栄光を見ること、すなわち《その中にキリストの栄光が啓示されているところの、彼の肉体[Fleisch]を見、聞き、手でふれること》をとおして、言い換えると、まさにこの時間の中でイエスと共にあることをとおしてこそイエスについての使信を宣教すべき権威が与えられ、聖別された人々の信仰が生み出されるのである」(前掲書)。
 しかしながら、バルトは、この解釈と《パウロの、霊の体への復活という見解との対比論、つき合わせ》をしていない。この点が私たちには大いに不満である。
 (四)パウロの見解「霊的体への復活」とルカの見解「肉体への復活」との対立をなんとかして統一しようとの見解がある。
 ミハエリスはルカ伝の記事の、復活した方がもっている「肉と骨」は、パウロの《霊の体と矛盾するものではない》と解釈した。
 「『イエスはご自分を生きたものとして示された』(行伝一・三)は、蘇生とは関連していない、むしろ復活し高挙された方の《生命》を言っている。…パウロは顕現においてご自分を啓示したキリストを《霊の体》(第一コリ一五・四四)《変容させられた》(一五・四三)《天的な》身体性(一五・四九)《栄光の体》(ピリピ三・二)と特徴づけている。…ルカ二四・三九の、復活した方の手足の提示、幽霊ではないとの言葉は、復活した方が《ある身体性において顕現した》と把握すべきだ。復活した方の身体性の場合、変容させられた、霊的な身体性を《意味していないという根拠はまったくない》。ルカ二四章の表現<幽霊ではないとの言葉、手足の提示、弟子たちの前での食事>をパウロの《霊的な身体性》と関連づけることは拒否されない。ルカによれば幽霊には肉も骨もなく、復活した方がけして幽霊でないとすれば、復活した方は、パウロの用語でいえば『霊的な(変容させられた、天的な)ソーマ・体』をもたない、とはいって《いない》、また『魂的(地上的な)ソーマ・体』をもっていた、とは《言っていない》。ルカのいう『肉と骨』はパウロが『ソーマ・身体、身体性』という概念で表現したことを表現している。肉と骨への示唆をとおして、このソーマ・体の霊的な性格に異論を唱えているのではなく、むしろソーマ(身体)的なものの現実性が証言されているはずである」(ミハエリス「復活した方の諸顕現」一九四三)。この解釈に私は感動をおぼえた。