建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅷーキリストの来臨への希望-1 来臨の遅れに関する譬

第八章 キリストの来臨への希望

キリスト来臨の遅れに関する譬
 すでにみたように、キリストの来臨の時に、眠りについた(死んだ)キリスト者の復活が起きるとパウロは語った。しかしこのキリストの来臨を遥かに遠い将来の出来事とみなし、自分の死のほうが確実に早いと想定して、来臨待望のテーマを意識から締め出してしまう、すなわち意識的に「キリストの来臨を忘れるという事態」は問題である。
 実際初代の教会、テサロニケ教会では、主の来臨のテーマを念頭におくことなく、あるいはそれを正しく認識することをしないで、すでに亡き教会員たちが滅びてしまったのではないかといった動揺が起きた(第一テサ四・一三以下)。これに対してパウロは主の切迫した来臨とその時における亡き教会員らの、生者に優先した復活と生き残った者たちとのキリストのもとへの移行について語った。
 パウロは《自分の生きている時期に、このキリストの来臨があると考えていた》(第一テサ四・一三以下「主の来臨のおりに生きていて、生き残っている、私たち」、第一コリ一五・五一、五二「私たちすべてが眠りにつくのではなぃ。…[来臨のおりに生き残っている]私たちは変容させられるであろう」)。パウロ以後の時期においても、キリストの来臨は遅れていた。しかし教会は《来臨の遅延》に直面しても大混乱に陥ることはけしてなかった(A・シュヴァイッアーの予想に反して)。共観福音書の成立の時期においては(七〇~九〇年代)キリストの来臨の遅延はいわば前提とされて、マタイとルカは《譬の形で》キリスト者にキリストの来臨・再臨に対して待機せよ、と勧告し続けた。

 マタイ伝から三つの譬を取り上げたい。
 「賢い乙女と愚かな乙女がランプをもって花婿を迎える譬」においては(マタイ二五・一以下)「婚礼の宴に花婿が《手間取っている》」とある(二五・五)。原語クロニゾーは、来ない、ぐずぐずしている、手間取る、遅れる、の意味。他にルカ一二・四五、ヘブル一〇・三六「来たるべき方は遅れることはない」など。花婿の到着の遅延は《キリストの来臨の遅れ》を比喩的に表現したもので、ここで初めて来臨の遅れのテーマが登場している。イエスの再臨は人が考えている以上にまだ長く待ち望まなければならないとの意味、ルツ、注解。実際花婿の到着は「夜中」であった(二五・六、「すると《夜中に》叫ぶ声がした。『見よ、花婿だ。迎えに出なさい』」)。この花婚の到着をどのようにして待つかに関して、賢い乙女らは別に容器に入れた油を《準備して》花婿を待った、すなわち備えをして主の来臨を待望することがポイントになっている。特に五節の、花婿の到着が相当に遅れて、乙女たちが全員眠ってしまったことは重要で、花婿すなわち主の来臨が《全く予測できない状況で起こる》ことを印象づけている、ルツ、注解。他方、容器にいれた油を準備していなかった愚かな乙女たちは、ランプが消えそうになったので、油を店に買いに行っている間に「花婿が着いたので、用意のできていた賢い乙女たちは花婚と共に結婚の宴会場に入り、戸は閉められた」(二五・一〇)。後になって愚かな女性たちがもどってきて、ご主人さま、ご主人さま、入れてくださいと言った。ところが主人は言った「アーメン、私は言う『私はあなたがたを知らない』(二五・一二)。ここでの「主人」はむろん花婚ではなく、世界審判者、人の子を指している(二四・二七、三〇、三一、三九、四四)。譬の結びではこう述べられている、「だから目をさましていなさい。あなたがたは(人の子の来臨の)その日もその時刻も知らないからだ」(二五・一三)。この箇所の意味は明らかでである、人の子の来臨は《いつでも》ありうるし、救いへの戸はいっでも《閉じられうる》のであルカら、初めから手もとに油を持っているべきである。すなわちこの譬では《勧告》のほかに《警告のモチーフ》も導入されている。救いから締め出される動機づけがである。勧告部分では主の来臨に信仰と信仰の業をもって来臨への備えをなせ、と言っている。
 「タラントの譬」では(マタイ二五・一四以下)、ある人(主人)が旅行に出かける時、僕たち三人に、力に応じて、それぞれ五タラント(五年分の年収額、二五〇〇万?)、ニタラント、一タラントを預けて《主人の不在中に》そのタラントをいかして働かせるようにした。すなわち主人の旅行による不在中、キリストの昇天と来臨の間の時期、中間時は、教会共同体、キリスト者が託されたタラントをいかして働かせる教会の活動、伝道活動の期間である。「《主人が帰って来た時》」、ここは原文では「キュリオス・主が来た時」で「主の来臨」を意味している。「帰って来た」は再臨の意味をこめた意訳、以下も同じ(もっともモルトマンは「再臨」という言い方は、「主の不在」を前提としている。しかしこの不在の時期においては「聖霊の臨在」があるのだから、けして主は不在ではない。それゆえ「来臨」との言い方がふさわしい。「再臨」との言い方はよくないと主張している)。この主人は「かなり日がたってから帰って来た」とある (一九節前半、塚本訳)。直訳では「長い時がたった後に」。主の来臨はすぐには実現しないが、にもかからずしばらくすれば確実にあることを、マタイは強調している。「主人は僕たちと貸し借りを清算した」(一九節後半)。来臨の時はここではキリスト者が主に託されたタラントを不在中に有効に働かせたかどうかを、キリストが判定され、審かれる重大な時である。不在中タラントをよく働かせた者は、「善き忠実な僕」とほめられるが(二四節「主の喜びに入りなさい」)、タラントを「土の中に埋めていた者」は「怠け者で、悪い僕よ」と厳しく非難され「外の暗闇に放り出される」(三〇節)すなわち救いから締め出される、と警告されている。
 「善い僕と悪い僕の譬」(マタイ二四・四五~五一)でも来臨の遅延が取り上げられている。この譬でも、主人の不在中、すなわち中間時におけるキリスト者の行動が眼目である。
 「主人が召使たちの上に立てて、時間時間に彼らに食事を与えさせるようにした僕のうちで、いったいどんな僕が信頼にたる賢い者であろうか。《主人が帰って来た時》、言いつけどおりになしているのを主人に見い出される僕こそ何と幸いなことか。アーメン、私は言う、主人は彼に全財産を管理させるであろう。しかしある悪い僕が『主人は手間取っている』と心の中で考えて、仲間をなぐり始めて、酔つぱらいと一緒になって飲食しているとすれば、彼が《予期もしない日、考えてもいない時刻に主人が帰って来て》、彼を八つ裂きにして、偽善者と同じ目にあわせるであろう」(ルツ訳、四八節「主人は手間取っている」も来臨の遅れの意味)。
 これと並行記事となっているのが、「目をさまして主人の帰りを待機している僕の譬」である。

ルカ一二・三五~三八
 「あなたがたの裾をからげて、ランプに灯をともしていなさい。あなたがたは、婚礼の宴から《主人が帰って来る》のを待つ人々のようでありなさい。《主人が帰って来て》戸をたたくとすぐに開けられるためである。《主人が帰って来た時に目をさましているのを見い出される僕たちはなんと幸いなことか》。アーメン、私は言う、主人は裾をからげて僕たちを食卓につかせ、そばに来て給仕してくださるであろう。《第二夜回り、第三夜回り》だとしても、《主人が帰って来た時》、このようにしている[目をさましている]のを見い出されるとしたら、その人々はなんと幸いなことか」(ボォッホ訳)。
 「裾をからげる」は、旅に出かける人の旅支度、あるいは仕事をする人が作業に取りかかる支度を指しているが、過越の祭りの夜もこの象徴的行動「裾をからげる」をとった、「食べる時には、裾をからげて、足に靴をはき、手に杖をもって、急いで食べなければならない。それはヤハウェのための過越なのである」出エジ一二・一一(ボォッホ、注解)。「ランプの灯をともす」は、夜の時間帯における重要な客の訪問、主人の帰宅が想定されていて、緊迫感があって異様である。夜は安息の時として、からげた裾をおろし、灯は弱くする時とはみなされていないからだ。出エジ一二・四二によれば、過越の夜は代々にわたってすべてのイスラエルの子らがヤハウェのために《寝ずの番をする》夜である。 ユダヤ教の過越にしても他の救済史的出来事も《夜に起こる》のである。またユダヤ教において人々は《真夜中に到来するメシア》を待望していたという、ボォッホ。この譬でも深夜における主人の帰還が焦点である。主人の不在は中間時を想定しているが、「一〇人の乙女たちの譬」のように、花婿の到着が遅れるからといって眠ることはここでは許されていない。僕たちには定められた仕事時間がないので、全員が寝ずの番をして緊張して主人の帰宅に備えていなければならないからだ。主人は友人か親戚の婚礼でかなり遠くに出かけたが(そこは泊りがけの距離の所ではない、主人は外泊する必要がないからだ)、とにかく彼はもどってきて戸をたたく。この主人はキリストを、旅はキリストの復活と昇天という不在、僕たちの待つ行為は、キリスト者のキリスト来臨への待望、主人の予期せぬ刻限の帰宅は、予期せぬキリストの来臨・再臨を示唆している。三七節の、主人が帰って来た時、目をさましているのを見い出される僕たちはなんと幸いであることか、がこの譬の中心ポイント。三七節後半においては、主人と僕たちの役割が逆転する。主人が僕たちを食卓で給仕をする、キリスト来臨における《メシア的な祝宴》である。
 三八節における「第二夜回り、第三夜回り」は注目すべき時間設定である。当時へブライ人はローマ人の支配の影響もあって、夜の時間(夕六時~翌朝六時の一二時間)を四つに区分していた、マルコ一三・三五「あなたがたは家の主人がいつ帰って来るか、《夕方か、夜中か、一番鶏か、夜明けか》知らないのだから」。主人の招かれた婚礼は第一夜回りのころ行なわれたようだ。だとすれば、第二夜回りは《夜中》午後一一時ころ、第三夜回りは《一番鶏》午前二時ころということになる。したがって主人のもどる時刻は常識で考えられる以上に遅いことになる。すなわちキリストの来臨もそのように遅延する、とルカは考えているようだ。この状況でこの譬が呼びかけているのは、裾をからげてランプに灯をともせ、すなわちたえずキリストの来臨を念頭において、来臨に向けて緊張して待機をせよ、ということにある。
 この点では、初代のキリスト者と現代のキリスト者とは《同一の立場に立たされている》。年代記(クロノロジー)的な一九〇〇年の期間は消滅するからだ。キリストの来臨の遅れの譬を読む私たちは「一九〇〇年も来臨はなかったのだから、これからも当分あるまい」との判断をこの主の来臨待望に《持ち込むことはできない》。なぜならそれは、主の来臨というすぐれて《終末論的出来事に年代記的思考を持ち込んで、年代記的思考でもって終末論を切り裂いている》からだ。主の来臨というテーマは、年代記的に歴史の流れを考えている私たちの思考を、逆に切り裂くのだ。
 「生ける者と死せる者とを審くためのイエス・キリストの再臨は、一つの喜びの音信なのである。キリスト者はこのような将来を『頭をあげて』望み見ることを許されている、また望み見るべきなのである」(バルト「教義学要綱」一九四七、井上良雄訳、ここの『頭をあげて』は周知のように「ハイデルベルク信仰問答」第五二問の答「頭をあげて待ち望む」からバルトは引用している)。