建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅷーキリストの来臨への希望-2 日本における来臨待望①内村鑑三

日本の教会におけるキリストの来臨への待望の実例

内村鑑三、中田重治の再臨論
 ヨーロツパで第一次大戦が行なわれていた最中、日本の教会においては、一九一八(大正七)年一月いわゆる再臨運動が起きた。無教会の内村鑑三、ホーリネス教団の創立者・中田重治(一八七〇~一九三九)、木村清松(一八七八~一九五八)がその推進者であった。束京、関西を含めて全国的に講演会、伝道集会が開かれた。このうち内村の再臨論については、個人誌「聖書乃研究」およびこの運動での講演集、単行本「キリスト再臨問題講演集」(一九一八・大正七、全集、第二四巻所収)によって知ることができる。
 「パウロの説くところの《甦り》とは、身体の復活なることは『葬られ』云々の語[第一コリント一五・四、キリストの埋葬]に徴して明白である。<霊的復活にあらずして肉体の復活である>(強調、内村)。
…しかるに多くのキリスト者は今日はたしてこの事を信ずるや否や。近代におけるキリスト教歴史の大家レーキ教授の復活論に曰く『そもそも復活の信仰の起源はマグダラのマリアがキリストの墓に香物を献げんとしておもむきたる時その墓の空虚なるを発見したるに始まる。しかるにマリアはヒステリー症の婦人にして粗忽のあまり墓を誤って空虚な墓を見舞ったのである』と。はたしてしからばキリスト教はもと一病婦の錯誤の上に築かれたものに外ならないのである[ルナンの「イエス伝」と同類の見解]。学者の説おおむねかくのごとし。…パウロヨハネやべテロの説きたるキリスト教の根本教義は《肉体の復活》にあったのである。<アリマタヤのヨセフの献げし墓の空虚なりし事を信ぜずしてキリスト教の信者と称する事はできないのである>」(「キリストの復活と再臨」一九一八、全集第二四巻、強調<>内村、《》筆者。引用は適宜ひら仮名に変えた)。また内村は再臨運動への反対論者(内村は海老名弾正らを想定している)に対して、ドイツの教理史の碩学A・フォン・ハルナックの見解をつきつけた、
 「初代のキリスト信者は福音と再臨とを同一視せり。キリストの再臨を離れて福音あるなし。しかして彼らはこの信仰の変更せられん事に大反対を表せり。ゆえにもし現時の学者にして再臨説中より一、二の真理を抽出し、しかして再臨その事を信ぜざらんか。これ初代の信仰を蔑視するものにほかならず。単純なる初代の信者にとりてはかくのごとく重大なる問題は他に存ぜざりしなり」(フォン・ハルナック)。
 そして内村はキリストの復活の中に私たちの《罪の赦し》の証しを見ている、
 「パウロの論じたるごとく、復活は罪の赦しに関する唯一の確実なる証明である。何となれば罪の証拠は死にあり。ゆえにもし罪を赦されなば必らず死したる体は復活せざるべからず。しかるにキリストは復活したまえり。我らもまた彼に倣いて[ならいて]復活せしめらると、これ初代信者の信仰であった。しかして復活を信ずる者にとりて再臨は難問題ではない、復活昇天せるキリストの再来はもっとも信じやすき真理である」(前掲評論)。
 内村は、聖書に基づいて再臨を説いたが、他方で再臨論の《脱線》については警戒している。その脱線とは、第一に、何年何月何日にキリストが再臨するといった類いの解釈、内村はこれを否定した(「余がキリスト再臨について信ぜざる事共」、前掲書)。
 第二に、千年王国説(キリアスムス)を黙示録のとおりには受け入れない、と内村はいう。
 「黙示録二〇・六『彼ら(信者)は神とキリストの祭司となりキリストと共に千年の間王たるべし』とある記者の言葉を文字そのままに解することはできない。…信者がキリストと共にある年限の間王たるべしと云うは、再びこの地に現われてその政権を握ることであるか、すこぶる疑問である。再臨その事が超現世的事実である。その結果として現世そのままの統治が行なわれようとは思えない」。

 内村と同様、宗教改革後のルタ一派カルヴィン派双方は、「前千年王国説」の黙示録二〇・六に基づく《復活した信仰者らがキリストと共に千年間支配するとの部分》を「ユダヤ人的教説」「ユダヤ人的夢」として「排撃」した(「アウグスブルク信仰告白」第一七条、一五三〇、「第二スイス信条」第一一条、一五六六。モルトマン「神の到来」から引用)。さてイギリスのD・ホイットビー(一六三八~一七二六) は「後千年王国説」を主張して、教会がますます盛んになって全世界が悔い改めるところまで発展して教会が勝利を得て、千年期となり《その千年期の後にキリストが再臨する》と説いた。これは歴史的千年王国説と同じ立場である、それによれば、千年王国は、例えば、キリストの昇天から始まる(アウグスティヌス千年王国をキリスト昇天から再臨までの教会の時とみなしたという)、あるいはローマ皇帝コンスタンティヌス帯の三二四年(覇権確立の年)から始まる、《その千年王国の後に》キリストの再臨があると解釈された(モルトマン、前掲書)。他方米国の福音派根本主義者・ファンダメンタルにおいては「前千年王国説」が受け入れられてきた。「前千年王国説」は、黙示録二〇章に依拠する。この立場は、まずキリストの再臨があって、その後に千年王国が実現する(千年王国の《前》に再臨がある)とみる。ここで問題となっている、黙示録二〇章は次のとおり、
 「また私は一人の天使が底なしの淵の鍵と大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。そして彼は龍、原初の蛇、すなわち悪魔またサタンを捕らえ、かつ千年間しばった。…その後それは短期間解放されることになっている。…また私はイエスの証言と神の言葉とのゆえに首をはねられた者たちの魂を見た。また獣もその像[皇帝]も礼拝せず、かつ額に、その手に印を受けなかった者たちがいた。そして彼らは生き返り、かつキリストと共に千年間支配した。残りの死者たちは千年が終るまで生き返らなかった。これが第一の復活である。第一の復活にあずかる者は幸いであり、また聖である。これらに対し、第二の死は力を持たない。彼らは神とキリストの祭司となり、かつ彼と共に千年間支配するであろう[内付、ルター・カルヴィン両派が問題とした箇所]。そして千年が終った時、サタンはその獄から解放され、地の四隅にいる諸国民、ゴクとマゴクを惑わし、彼らを戦いに召集するために出て来よう。彼らの数は海の砂のようである。…彼らは聖徒たちの陣営と愛されている都を包囲した。すると火が天から下り、彼らを焼きつくした。また彼らを惑わす悪魔は火と硫黄との池へと投げ落とされた。…また私は死者たちが、大きい者も小さい者も座の前に立っているのを見た。…そして死者たちは書物の中にしるされていることにより、彼らのわざに基づいて審かれた。…また死と硫黄とは火の池に投げ込まれた。火の池、このものが第二の死である」(黙示録二〇・一~一四、佐竹明訳)。
 第三の脱線として、内村は「神癒」を否定した。神癒は共に再臨運動をした中田重治のホーリネス教団が強調した宗教的な癒しの行為で、内村はこれに反対した。「医術は悪魔の発見なりと唱え医療は不信の罪なりと称するは余の同意するあたわざる所である。…疾病を癒さんと努むる近世医術はその原理において決して神の聖意に戻る[もとる]ものでない」(前掲評論)。
 キリスト来臨への待望について内村はこう述べている、
 「[キリスト再臨の]その日その時はただ天父のみこれを知りたもう。天の使者らも何人も知る者はない[マタイ二四・三六、四二、二五・一三、行伝一・七]。しかして知らざるがさいわいである。知らざるがゆえにいそしみて待ち望むのである。…余がいま特に祈求[もと]めてやまざるものは、忍んで待ち望むの心である。これさえあれば余は墓に下りて《千年万年余の救主の再臨》とこれに伴う《身体の復活》を待つことができる」(前掲「キリストの復活と再臨」、強調筆者)。