国家と宗教
戦責告白の問題 95年5月、敗戦50周年を迎えたドイツのカトリックとプロテスタントの教会の代表は合同で声明「言葉」を出した。しかし日キ教団は何の罪責告白も出さなかった。日キ教団は旧約聖書、哀歌5:7の言葉を拒否したのだ。「私たちの父母たちは…
2002-30(2002/8/11) 辻宣道牧師の問題提起 キリスト者の罪責告白の問題 辻宣道牧師は(1988~92年まで日基教団議長) その著書「ホーリネス弾圧と私たち」(1992)の中で、戦時下ホーリネスの弾圧における問題点を取り上げている (弾圧事件は1…
2002-28(20027/28) 信教の自由1 勝田文相の発言 柏木義円 日本のキリスト者においては、憲法の言う「信教の自由」をただ内面におけるものと把握し、この自由が外面における宗教活動、信教の自由の行使の自由、すなわち布教、集会・礼拝、言論、出版…
1999-18(1999/5/9) キリシタン弾圧・高木仙右術門(二) 明治政府の弾圧。この三ヵ月後、明治政府が成立、しかし明治政府もキリシタン禁制の高札をかかげ、神道を国教化を目指した(一八六八・慶応四年三月)。翌四月、浦上の戸主一八〇名が九州鎮撫…
1999-17(1999/5/2) キリシタン弾圧 高木仙右衛門(一) 先日長崎にいってきた。一泊二日の短期間であったので、特に幕末、明治初期の「キリシタン弾圧の遺蹟」にしぼることにした。 大浦天主堂は一八六四年にフランス人神父プチジャンらによって建て…
1999-6(1999/2/7) 国家神道の問題(三教会同) 士師2:12 「かつてエジプトの地から彼らを導き出された先祖たちの神、主を捨てて、ほかの神々すなわち周囲にある国民の神々に従い、それにひざまずいて、主の怒りを引き起こした」。 1912・明治…
1996-35(1996/12/29) 忠実な僕、湯浅次郎(民権運動とキリスト教4) マタイ25:14~21 湯浅治郎のこと。湯浅治郎(1850~1932)は、群馬県の安中町の醤油・味噌醸造販売業の家に生まれた。13才のころ数年間、町から三里離れた新井村…
1996-29(1996/11/17) 自由民権運動とキリスト教 3 マタイ18:31以下 「自由民権の思想を支える思想が、リベラル・デモクラシーよりはむしろナショナル・デモクラシーに近いものをもっていたことは、自由民権思想に私的な市民的価値に対して公的…
1996-27(1996/11/3) 自由民権運動とキリスト教 2 ルカ4:18 指導的なキリスト者らが自由民権運動をどうみていたをみたい。彼らの自由民権運動との関わり方は、二つが考えられる。第一に、キリスト教の「自由」についての理解(新約聖書では「自由…
1996-25-2(1996/10/20) 自由民権運動とキリスト教 1 ガラテア5:1 自由民権運動とは、 1874・明治7年、 土佐の板垣退助、 後藤象二郎らが愛国公党を組織して「民選議員設立建白書」を政府に提出したことに始まる。明治政府は、周知のように…
1996-25(1996/10/20) 明治維新とキリスト教 3 ガラテヤ5:1 1875・明治8年、 教部省は各宗(仏教、後の教派神道)の官長に対して「信教の自由を保障する旨の口達」を発した。「一教法家は宗教の自由を得て行政上の保護を受くる以上は、よく朝…
1996-23(1996/10/6) 明治維新とキリスト教(2) エペソ2:20 日本キリスト公会が横浜に設立された、1872・明治5年からの10年間は、 まだまだ日本全体が動乱の時期であった。 維新政府の宗教政策である、神道の国教化は着々と布石が置かれ…
週報なしー48 日清、日露戦争に対するキリスト者の態度(1) イザヤ1:4~9 1894(明治37)年8月、 日本は朝鮮の利権・支配権をめぐって日清戦争を起したが、教会の大勢がこの戦争においては「戦争協力」の役割を果した。 戦争が勃発した直後の…
週報なしー47 日露戦争とキリスト者(二) マタイ26:52 他方、もう一つの立場、 日露戦争に対するキリスト教の「非戦論 もごく少数であったが影響力をもった。日清戦争で主戦論の立場をとった柏木義円、内村鑑三。それに前述の木下尚江.である。 柏…
週報なしー46 朝鮮植民地伝道の問題 宗教者の戦争責任のテーマで加害者の側面が強く出てくるのは、やはり朝鮮、中国における植民地伝道である。これについては中濃教篤「天皇制国家と植民地伝道」1976が先駆的研究である。 日本の統治下にあった朝鮮(…
週報なしー45 内村・不敬事件 出エジ20:1~5 (-) 明治期以来、日本の教会が国家神道のもとで神社参拝問題にどのような対応、闘い、抵抗、挫折をしたかに光を当ててくれる一つの視点がある。それは日本の統治下にあった(1910~45年)朝鮮の…
週報なしー44 (四)日清、日露戦争に対するキリスト者の態度1 日清戦争前夜 キリスト教会の戦争責任のデーマは、明治期以後起きた戦争にキリスト者がどのような関わりをしたか、の問題をふまえることが不可欠である。ここでは、内村不敬事件に対するキリ…
1996-22(1996/9/29) 明治維新とキリスト教1 イザヤ32:15 日本の教会史を特に「プロテスタント教会と天皇制」の視点から学んでみたい。キリスj教が日本という異質の政治的社会的体制、精神的風土と出会い、入っていく場合、日本人の心に根をお…
週報なしー49 タイトル:妬む神 テキスト:申命記6:14,15 パンフ「宗教者の戦争責任」において力を入れて書いた一つが「戦争責任としての神社問題」すなわち国家神道のもとでのキリスト者の「神社参拝、天皇崇拝」の問題であった(二章一、四)。キ…