2018-05-06から1日間の記事一覧
1996-26(1996/10/27) 隠された行為 1 マタイ6:1~6 1~6「人々によって注目されるために、あなたがたの義を人々の前で行なわないように、注意しなさい。そうでないと、あなたがたはあなたがたの天の父のもとで、いかなるほうびも受けられない…
1996-25-2(1996/10/20) 自由民権運動とキリスト教 1 ガラテア5:1 自由民権運動とは、 1874・明治7年、 土佐の板垣退助、 後藤象二郎らが愛国公党を組織して「民選議員設立建白書」を政府に提出したことに始まる。明治政府は、周知のように…
1996-25(1996/10/20) 明治維新とキリスト教 3 ガラテヤ5:1 1875・明治8年、 教部省は各宗(仏教、後の教派神道)の官長に対して「信教の自由を保障する旨の口達」を発した。「一教法家は宗教の自由を得て行政上の保護を受くる以上は、よく朝…
1996-23(1996/10/6) 明治維新とキリスト教(2) エペソ2:20 日本キリスト公会が横浜に設立された、1872・明治5年からの10年間は、 まだまだ日本全体が動乱の時期であった。 維新政府の宗教政策である、神道の国教化は着々と布石が置かれ…
週報なしー48 日清、日露戦争に対するキリスト者の態度(1) イザヤ1:4~9 1894(明治37)年8月、 日本は朝鮮の利権・支配権をめぐって日清戦争を起したが、教会の大勢がこの戦争においては「戦争協力」の役割を果した。 戦争が勃発した直後の…
週報なしー47 日露戦争とキリスト者(二) マタイ26:52 他方、もう一つの立場、 日露戦争に対するキリスト教の「非戦論 もごく少数であったが影響力をもった。日清戦争で主戦論の立場をとった柏木義円、内村鑑三。それに前述の木下尚江.である。 柏…
週報なしー46 朝鮮植民地伝道の問題 宗教者の戦争責任のテーマで加害者の側面が強く出てくるのは、やはり朝鮮、中国における植民地伝道である。これについては中濃教篤「天皇制国家と植民地伝道」1976が先駆的研究である。 日本の統治下にあった朝鮮(…
週報なしー45 内村・不敬事件 出エジ20:1~5 (-) 明治期以来、日本の教会が国家神道のもとで神社参拝問題にどのような対応、闘い、抵抗、挫折をしたかに光を当ててくれる一つの視点がある。それは日本の統治下にあった(1910~45年)朝鮮の…
週報なしー44 (四)日清、日露戦争に対するキリスト者の態度1 日清戦争前夜 キリスト教会の戦争責任のデーマは、明治期以後起きた戦争にキリスト者がどのような関わりをしたか、の問題をふまえることが不可欠である。ここでは、内村不敬事件に対するキリ…
1996-22(1996/9/29) 明治維新とキリスト教1 イザヤ32:15 日本の教会史を特に「プロテスタント教会と天皇制」の視点から学んでみたい。キリスj教が日本という異質の政治的社会的体制、精神的風土と出会い、入っていく場合、日本人の心に根をお…
1996-20(1996/9/15) 辛苦の中で 哀歌3:21~29 哀歌は預言者エレミヤのものではないが、エレミヤが活動を断った直後の、バビロニアによるエルサレム崩壊(前587)の状況におけるエルサレムの人々の苦悩について歌っている。「哀歌」とは嘆き…