建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅷーキリストの来臨への希望-3&4 カール・バルトの見解/マラナタ

カール・バルトの見解
 キリストの来臨に本格的に取り組んだのは(内村鑑三や中田重治の再臨論、藤井武「砂漠はサフランのごとく」、モルトマン「イエス・キリストの道」「神の到来」と共に)カール・バルトの「教会教義学」IV/3、七四節(一九五九)である。キリスト者の復活への希望は、当然の帰結として、主の来臨のテーマがぼやけてしまった状況では、けして真剣なテーマとはなりえないのだ。主の来臨の時に死人たちの復活と生き残る者たちの存在の変容が起こるのであるから、一方の来臨の出来事を視野からはずして、他方の死者の復活・生き残る者たちの変容の出来事だけに関心を集中するわけにはいかないからだ。「どのようにしてその希望をいだくか」のポイントからみても、キリストの来臨の テーマを度外視できないのだ。
 バルトは「いつの日にあなたがたの主が来られるか、あなたがたにはわからないからだ」(マタイ二四・四二)を引用しつつこう語る、
 「イエス・キリストの新しい到来は、時間一般の終りと共に、<それ以前に>死んだ人々のよみがえりと共に、その時に生きているキリスト者の時間的な実存の《終結》をもたらす。しかしこの終結は彼らの死では<ない>であろう。…ところでイエス・キリストのかの最後の出現の時は誰にもわからないし、その時が自分の生きている間に来るかどうかも誰にもわからないので、《自分の終りがあの形でくるかこの形でくるか[自分の死の形で来るかキリストの来臨の形でくるか]、したがって必然的に自分の死が自分の終りの形になるかどうかも誰にもわからない》。古代教会は『使徒信条』第二項の終りで『主はかしこより来たりて、生ける者と死せる者とを審きたまわん』と告白し次のように考えた、すなわちイエス・キリストが完全な啓示において出現される時には、やがて復活する多くの死者たちと並んで、まだ生きている者自身も生きながらその終りを迎える者がいると。…《すべての人の前にある終りは、その者の死によっても来ることもあり<うるが>、しかしまたイエス・キリストが到来することによってもその終りが来ること》を洞察し理解することは、あらゆる限界のうちで最も苦しい限界、すなわち人間とキリスト者の実存との不可避的な終りに直面しても、希望の勝利を明らかにするために、善いことであるばかりでなく、不可欠でもある。…人は死という終りの形と、イエス・キリストご自身の到来と、彼の完全な啓示の出来事とが私たちに同じ終りをもたらし、同じ終りとなることとを比較、対照しなければならない。ところでこの終り自体[キリストの来臨における啓示の出来事]は目標でもあり、それ以上に終りのない初めであり、肉[Fleisch]の復活、永遠の光の中での永遠の生命なのであるが。終りは死という形でも起こり<うる>。終りはパウロにとっても彼の後に生きていたすべての人たち、キリスト者たちにとっても結果的にはこの形できた。私たちとってもこの形でくるかもしれない。…事実上、終りが私たちの死の形で私たちの前に立っているにしても、<希望において>この終りのほうを見やって、これに立ち向かって行く以外のことが人にできるのであろうか」(「教会教義学」」IV/3、七四節、希望における生活、井上訳参照、<>原著者の強調、《》筆者の強調)。「キリスト者は、イエス・キリストの到来に対して、無条件的に落胆せずに希望をいだくという自由をもっているのだ」(バルト、前掲書)。
 バルトは、私たちが迎える終りが死という形かもしれないが、その形のみではない。キリストの来臨の形での終りもある。だから私たちの終りが、自分の死の形で来るか自分の生きている間にキリストの来臨があってその形で来るかは(生き残る者たちの変容で終るか)誰にもわからないと主張して、現代の私たちに、自分たちがやがて迎える死と同じリアリティーをもって、この来臨を私たちに、いわば《引き寄せた》。これはバルトの大きな功績の一つであると私たちは考える。それにバルトの語り口がクールな神学的理論の調子でなく、むしろ語りかけてくるような説教・メッセージ調であるのも、私たちには感謝である。

マラナタ
 マラナタは「私たちの主よ、来たりませ」を意味するアラム語である。パウロは第一コリント一六・二二で、翻訳ぬきでアラム語ギリシャ文字でmaranathaとしるした。翻訳しなくても《当時の異邦人教会で》十分意味が通じたからだ。もっともこの言葉は、さまざまな読み方、解釈があるようだ。第一に、主の来臨を祈求する嘆願「私たちの主よ、来たりたまえ」。第二に、実現したイエスの到来に対する信仰告白「私たちの主は来たりたまえり」。第三に、礼拝(聖餐式)におけるイエスの臨在に関する言表「私たちの主はここにいましたもう」。このうちでむろん第一の解釈、すなわちマラナタは主の来臨を待望する教会の祈り、と解釈すべきだ(シュラーゲ、注解)。他方、ほぼ四〇年後、黙示録二二・二〇は、今度は「マラナタ」を省略し、その《意味だけ》を書いている「主イエスよ、来たりませ」と(ここでは「私たちの主よ」を「主イエスよ」に変えている)。
 「原始キリスト教会は、礼拝と追害の中で情熱的に祈った『マラナタ、主イエスよ、来たりませ、すぐにも来たりませ』と(第一コリント一六・二二、黙示録二二・二〇)」(モルトマン「イエス・キリストの道」)。ところがローマのコンスタンティヌス帝(帝位三〇六~三七、三一三年キリスト教を公認)の時期、帝国教会は、この世を保持する宗教であろうとして、国家の平和のための祈りを採用して、マラナタの祈りを放棄してしまったという。それゆえモルトマンは、来臨待望が力を失って、非宗教化された世界にもはや何も語らなくなったということは、キリスト教がブルジュア化(体制化)したしるしではなかったのか、と厳しく問いかけている。
 他方では、古代教会の「使徒信条」(後二七〇年以後)は主の来臨の条項を組み込んだ「主は、かしこより来たりて生ける者と死せる者とを審きたまわん」。また一六世紀ルター・カルヴィン両派による「ハイデルベルク信仰問答」も主の来臨を条項に組み入れた(問五二の答)、「私は、あらゆる患難や追害の中でも、天からこの審判者が来られるのを頭を上げて待ちかまえています。このお方は神の審判に対して、私のためにご自分を与えられ、私からあらゆる呪いを取り除いてくださいました」。このような事実は、古代の教会と宗教改革の教会とが、主の来臨への待望と「マラナタ」の祈りをないがしろにすることなく、いかに真剣に受けとめていたかの証拠である。
 さて私たちは、この祈りをパウロの述べるキリスト者の希望と結合したい。
 「私たちのふるさとは天にある。そこから救い主、主イエス・キリスト[が来られるの]を私たちは待ちこがれている。この方は私たちの卑しい体を変容させて、ご自分の栄光の体と《同じ姿》にしてくださるであろう」(ピリピ三・二〇~二一、ローマイヤー訳。「同じ姿・スムモルフオス」はキリストの栄光の体と同一の体をではなく、異質でありつつ類似した体を表現している用語)。この卑しい体の変容への希望のゆえに、本書もこの祈りをもって終りの言葉としたい。

 「マラナタ、私たちの主よ、来たりませ」(第一コリント一六・二二)。