建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

イエスの十字架と絶望Ⅱ(二)大祭司カヤパの審間

2002講壇(2002/2/10~2002/4/28)

エスの十字架と絶望Ⅱ(二)

エスへの大祭司カヤパの審間
 さてユダヤ教当局、最高法院でイエスが告発された中心ポイントは、大祭司カヤパの審問にあるように「あなたは讚美される方の子、メシアなのか」(マルコ一四:六一、マタイ二六:六三)、すなわちメシア詐称の嫌疑であった(周知のようにメシアのギリシャ語訳がキリスト。メシアはあぶらを注がれた者・受膏者で大祭司、預言者、宗教的存在ばかりでなく、政治的存在、ダビデら王もあぶらを注がれた)。メシアでない者がメシアだと偽って活動したことが瀆神罪に当たると告発されたのだ。この嫌疑の根拠となるイエスの言動には、イエスの《全権要求》の箇所がある。
 第一に「私は言う、誰でも人々の前で私を[主と]告自する者を、《人の子も神のみ使いたちの前で[弟子として]承認するであろう」(ルカ一二:八、ヴォッホ訳)。周知のように、ここでの「人の子」は後期ユダヤ教エチオピアエノク書、ダニエル書七章などに登場している「メシア称号」である。イエスは生前このメシア「人の子」をご自分と同一視されて、ご自分を神の代理人とみておられた(パンネンベルク「キリスト論細要」イエスの神性認識)。イエスの全権要求の第二の箇所は、ヨハネ一〇:二四~二六、三〇以下、
 「ユダヤ人らがイエスを取り囲んで言った『あなたがメシアであるのなら、そうだとはっきり言ってください』。イエスは答えられた『私はそうだと言ったのに、あなたがたは信じない。私が父の名で行なった業が私のことを証明している。しかしあなたがたは信じない。…《私と父とは一つである》』。…ユダヤ人らはまたもやイエスを《石打ちの刑》にしようと石を持ってきた。イエスは彼らに反論された『私は父による多くの善き業をして見せたが、そのうちのどの業のために私を石打ちの刑にしようとするのか』。ユダヤ人らは答えた『善い業のゆえに石打ちの刑にしようとするのではない。むしろ《神冒瀆》のためである。あなたは人間でありながら、自分を神としているからだ』。イエスは答えられた『…私が父の業をなしているなら、私を信じなくても、その業は信ぜよ。そうすれば、父が私の中に、私が父の中におることがあなたがたにわかるであろう」(シュナッケンブルク訳、強調引用者)。
 「あなたはメシアなのか」との大祭司の審問に対して、イエスは答えられた「私はそれである」(マルコ一四:六二)。これは絶対的な肯定の答である。他方「あなたがそうだと言っている」(マタイ二六:六四、塚本訳「そうだと言われるならご意見にまかせる」)の場合には、イエスは「回答を回避された」のではなく「決定的ではない肯定」である、プリンツラー「イエスの裁判」などの解釈。ほとんどの解釈は「イエスがメシアであると公言した」とみる、コンツェルマン、モルトマンなど。
 では自分をメシアと公言する者は、みな神をけがす瀆神罪に問われるのであろうか。これについては、自分をメシアと称えるだけでは、サンヘドリン・最高法院は死刑判決を出せないという見解がある、コンツェルマン(「共観福音書の受難報告における史実と神学」)。
 その根拠として引き合いに出されるのがバルコクバ(星の子の意味、後一三〇年ころ)で、彼はラビ・アキバにメシア王と讃えられたがユダヤ教当局から瀆神罪で告発されていないでは「なぜ」メシアと半ば公言されたイエスに大祭司カヤパは死刑判決を出せたのか(マルコ一四:六三、マタイ二六:六五)。
 結論は簡単である。大祭司は始めから公正な裁判をしたのではなく、イエスを瀆神罪で有罪にしようとの「予断をもって」審問にのぞみ、本来法的には有罪には相当しない、イエスのメシア告白のみで、瀆神罪に仕立て上げた、ということである。大祭司・最高法院にとっての「伝統的なユダヤ教のメシア像」と、イエスの姿は決定的にかけ離れていたからだ(プリンツラーなど)。「彼にはわれわれの見るべき姿も美しさもなく、われらの慕うべき容姿もなかった」(イザヤ五三:二)。聖戦を戦うダビデのような、シリアからの解放闘争の指導者ユダ・マカベウスのような勇士(旧約外典マカベア書)のおもかげもなく、抵抗もせずに無力な姿で補縛され、危急に際しては弟子の一人に裏切られ、他の弟子たちに見捨てられて、敵の暴力に引き渡されるイエスのあわれな姿と行動には「メシア的な輝き」が欠落しているようにみえた(プリンツラー)。最高法院は「イエスは神を冒瀆している。イエスは無力なのに、自らを神と同じ位置においたからだ」(モルトマン)とみたのだ。

ローマ帝国への叛乱指導者のポイント
 ユダヤ最高法院はイエスに死刑の判決を出した(マルコ一四:六四、並行)。ところが最高法院はイエスを総督ピラトに渡した。ユダヤの法では瀆神罪には石打ちの死刑が定められていた(ヨハネ一八:三二、行伝七:五四以下ステパノの殉教)。重大な宗教犯に対する裁判権と判決権とは最高法院が持っていた、しかしながら最高法院は死刑の執行権をもっていなかった「私たちには人を死刑に処する権限がない」(ヨハネ一八:三一)。死刑の執行権はローマの総督ピラトがもっていた。しかし総督は最高法院の判決をふまえた死刑の執行のみでは動かない。また宗教犯という告発も取り上げなかった。総督の管轄する裁判は、いわゆる「政治犯、反ローマ的な暴動の謀議、叛乱罪」に限定されていた。総督の審問の中心ポイントは「あなたはユダヤ人の王なのか」である(ヨハネ一八:三三、三七、マルコ一五:二、マタイ二七:一一)。「ユダヤ人の王」という表現は「イスラエルの王」のローマ的な言い回し。「メシア告白」ではいまだ「宗教犯」であって総督はその告発を取り上げないが、自分を「ユダヤ人の王」と称した者があるとすれば、総督はその告発を取り上げざるをえない。ユダヤ教当局は、この微妙なニュアンスの違いを把握していた。このポイントをルカ二三:一~二が伝えている「最高法院は、イエスをピラトの前に引いていって『この人は民衆を惑わし、カイザルに税金を納めることを禁じ、また《自分がキリスト(メシア)すなわち王である》と言っているのを確かめました』と告発し始めた」。宗教的なメシアを政治的な王へと敷衍・拡大したのだ。しかし総督ピラトは直接イエスを審問して、そこに政治的に危険なものを見い出せなかった。むしろイエスの「王たる告白」に《特異な宗教性》を感じ取った。「私の国(バシレイア)はこの世のものではない」(ヨハネ一八:三六)というイエスの言葉にある「バシレイア」は「王国・王的支配」を意味している。このバシレイアが「この世のものではない」とはイエスのみ国は、霊的、宗教的な性格をもつもので(時間的に「現在の世」に対する「来るべき世」の意味ではなく、空間的に地下の世界でも、地上でもない、天上の世界に属すとの意味合い、パレットの「ヨハネ伝注解」)。
 この世的な手段、武器をもって叛乱を起こし権力に抵抗して戦うという事柄と無縁であるとの意味である。ピラトの審問「あなたはユダヤ人の王なのか」に対するイエスの回答は、ここでも「私が王だと言っているのは、あなただ」とある(ヨハネ一八:三七、マルコ一五:二、マタイ二七:一一)。これも審問に対する「間接的な肯定」である (ブルトマン「注解」など)。しかしながらピラトはこの回答によってもイエスを「反ローマ的な反乱扇動者ではない」と判定した、「私はこの人に何の罪も見い出せない」(ヨハネ一八:三八、一九:二、四、ルカ二三:四)。むしろ「無害な宗教的夢想家」と判断したようだ(プリンツラー)。そこでピラトはイエスを釈放しようとした(ヨハネ一九:一二)。
 にもかかわらずピラトはユダヤ教当局者らの脅しに屈した。「もしあなたがこの人を赦すならば、あなたはカイザルの友ではない。自分を王とする者は誰でもカイザルに反抗する者だ」(ヨハネ一九:一三)。もしイエスを釈放したら、ピラトをカイザルに直訴すると当局者らはピラトを脅したのだ(へロデ大王の長男ユダヤの領主アケラオも彼らの直訴で追放処分となったこと、ピラトが総督としてエルサレムに入場した当時ローマ軍の軍旗をおろさせず、皇帝の像の徽章を携行してユダヤ人の激しい抵抗にあったことをピラト自身も自覚していたろう)。それゆえこの脅しは有効であった。ピラトは自分の地位の安泰のほうをとって、イエスを見捨てたのだ。
 ピラトによるイエスへの「死刑判決の宣告」は明記されていないが、死刑にするためにイエスを部下らに「引き渡した」(一九:一六)行動が、死刑判決の言い換えと解釈されている。十字架刑は、叛乱奴隷や国家に反逆した者、その扇動者に課せられた極刑であった。
 「イエスのメシア要求(告白)は、政治的にみればきわめて危険なものであった。イエスの罪状書き(「ユダヤ人の王」マタイ二七:三七、並行)は政治的犯罪を明記している。イエスのメシア要求は、ローマの支配に直接抵触するような犯罪であった。すなわちそのメシア要求は、ローマの法廷によって断罪されなければならない謀反を意味していた。ユリウス法典によれば、王たろうとする要求は叛乱の原因となるかぎり、死に値すると宣告された」(モルトマン「イエス・キリストの道」)。
 他方、ユダヤ教当局・最高法院にとっては、イエスの十字架刑は不可欠のものであった。瀆神者としてイエスを「木に架ける」ことで、イエスを「神に呪われた者」とすることが、彼らの意図であったからだ。「木に架けられた者は神から呪われた者である」(申命二一:二三)。