内村・藤井武の来世研究
2000-28(2000/8/6)
内村・藤井武の来世研究
日本のキリスト者の場合のキリス者の復活理解
キリスト者は「主の祈り」のたびに、最後のくだり「我は、体のよみがえり、永遠の生命を信ず」と祈ってきた。そして漠然とではあっても「自分たちの生命は死によって終るのではない」と考えてきた。しかし大部分のキリスト者は「キリストの復活」については信じていても、他方「自分たちの復活」についてはあまりリアルには受け取っていないようだ。これが《現代の》キリスト者の大きな特徴の一つとなっていると感じられる。自分の《老後》については、年金、健康、仕事、住居のことなど、心を砕いても、死後のことは、いわば思考停止にしているようだ。
80年ほど前、藤井武は日本における「来世観の希薄さ」について次のように述べた、「わが国にありてはことに《来世の観念》が希薄である。何ゆえに来世問題はかく現代において軽んぜらるるのであるか。思うにその主要なる原因は、一方においてはこれを《近世の唯物主義の思想》に帰すべく、他方においては『永世』を[死後・来世の]時の問題として認めず、ただ質の問題[死を人生を充実させる契機とするテーマ]としてのみ扱うところの一種の《哲学思想》にこれを求むべきであろう。わが国の現世主義はこれらの原因の他になお、《儒教、武士道、および一派の仏教の感化》と、またある一派の仏教の伝えし浅薄なる来世観に対する反動とによりて醸成せられし、旧来の国民的性格に基づくところが多いと思う」(「沙漠はサフランの如く」1924、全集第三巻、引用は適宜ひら仮名に変えた、強調、引用者)。
私たちは、「囚われ人の希望」であれ「ギリシャの希望」であれ、その希望像がどのような特徴をもっているを把握することは、むろん重要であるが、それだけでは不十分だと考えた。《その希望によってその人はどのように生きたか、その希望はその人にどのように体験されたのか》、に焦点を当てることを不可欠だとみてきた。「肉となった希望」(ゴルヴィッアー)のポイントである。
そこで聖書は「キリスト者の復活についてどのように述べているか」を問う前に、キリスト者の復活への希望が《どのように体験されたか》を取り上げたい。その場合、日本におけるキリスト者の先達ら例をみたい。「日本において」とは、欧米諸国のような「一見キリスト教的な生死観」によるのではなく、他の宗教、仏教、神道などの生死観の強い影響下にある国において、という意味である。先達らの例として典型的なものを一、二あげれば十分で、網羅的に列挙する必要はないと考える。
内村鑑三の場合
内村鑑三の娘ルツ子の葬儀と埋葬の折りの内村の行動の例をみたい。
1900(明治45)年1月12日、娘ルツ子が一八才で病死し、その告別式が翌13日に行なわれた。その式で内村は集まった人々にこう「謝辞」を述べた。
「…彼女は既にこの世においてなすべき事をなし終りて父の国に帰ったのであります。彼女は最も幸福なる婦人であります。私どもは彼女のために喜びます。
ゆえに今日のこの式を私どもは彼女の葬式と見なさないのであります。今日のこの式はこれルツ子の結婚式であります。今日はこれ黙示録に示してある所の小羊の婚姻の筵[むしろ]であります[黙示録21:9「来なさい、小羊の妻なる花嫁を見せよう」]。ルツ子は今日潔くして光ある細布[ほそきぬ]即ち聖徒の義をきせられまして、キリストの所に嫁入りするのであります。ゆえに私どもは彼女の棺を蔽いまするに彼女の有する最上の衣類をもってしました。今日はこれルツ子の晴れの祝儀[いわい]の日であります。
世には良縁を得たりとて喜ぶ親たちがあります。しかしながらいずれの良縁か天国にまさる良縁がありましょうか。娘をキリストのところに嫁して彼女の両親は最も安心であります。私どもは今よりルツ子の身の上について何も心配する必要がないのであります。かかる次第でありますれば、皆様もどうぞ私どもについて御心配くださらぬよう、また眠りしルツ子の事について御歎きくださらぬよう、ひとえに願います」(鈴木範久 「内村鑑三日録 八」、引用では原文の漢字を適宜ひらが名に変えた)。
ここには世の親のように若くして病死したわが娘の死を歎く親の姿はみられない。
雑司ヶ谷の墓地で埋葬が行なわれた。埋葬の讚美歌、田島牧師の祈祷のあと、会衆の歌う讚美歌「千歳の岩よ我が身をかこめ…」のなかを、静かにルツ子の柩は穴の中におろされた。埋葬の時の出来事を、それ立ち合った矢内原忠雄はこう述べた。
「まず御遺族が土をかけられる事になりました 先生は一握りの土をつかんだ手を高く上げられて、肝高[かんだか]い声でいきなり『ルツ子さん万歳』と叫ばれました。全身雷で打たれた様に、私は打ちすくめられてしまいました。『これはただごとではない。キリスト教を信ずるという事は生やさしい事ではないぞ 一生懸命のものだぞ』そう叩き込まれたその時の印象が、私に初めてキリスト教の入り口を示してくれたのです」(鈴木範久、前掲書)。
内村の「謝辞」、埋葬におけるあの叫びは、内村が「キリスト者の復活への希望」を真にリアルに把握し、血肉化していたことを如実に示している。