建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

平和研究(大学講座レジメ)1  はじめに

 2008年12月

はじめに 

「平和について考える、学習する」という場合、そのテーマがこれまで取り上げられてきたさまざまな問題をふまえる必要がある。このテーマは、私の場合、歴史学者家永三郎氏の著書『戦争責任』(初版1985、15刷1993)を何度も読むことであった。 

 その本によって私は多くのことを教えられたが、第一に、「戦争責任」という場合、国家が犯した戦争犯罪とは区別される形で、国家に対しては「被害者」でありながら、同時に国家の戦争遂行によって被害をうけた「元植民地の諸民族」朝鮮、満州中国東北部)などの住民に対して、また日本の国民に対して報道、評論、教育、文学、映画、仏教、キリスト教の教団の指導者、学者、宗教家などは、国民一般よりも「はるかに重い戦争責任、加害者責任」があると考えられる。 

 4年前、小泉純一郎元首相は靖国神社を公式に参拝し、中国・韓国などから激しい批判が起きた。その批判に対して、小泉元首相は、国家のために戦死した者たちを追悼するのは、個人的にも首相としても信教の自由の行使だと反論した。

小泉元首相の発言はおかしい。

第一に、「靖国神社」が戦死した者のみをまつる侵略戦争推進の神社であり、それ以外の人はまつられていないこと。またA級戦犯東上英機もまつられたこと。

第二に、1991年には当時の中曽根康弘元首相が首相として靖国神社を参拝して、首相の公式参拝は公人の宗教活動を禁止した、憲法違反であると住民による「岩手靖国神社訴訟」を起こされ、敗訴していることなど。

第三に、1910-45年まで35年間にわたって神社参拝を強制し、信教の自由を朝鮮にも、国内にも認めなかった日本の国家の首相が、第三者的に「信教の自由云々」と言うのはおかしい。15年戦争においては、アジヤの2千万もの民衆が、310万の日本人が死んだ。日本の国は「戦争をしかけた側」の国であって、「日本の兵士の死者に対する追悼しか」考えていない行動は、どうみてもおかしい。

 この小泉元首相の発言に関する報道をみて、ドイツの(西ドイツの)ウイリー・ブラント元首相の行動とはずいぶん違うと思った。

 ブラント元首相は38年前の、1970年春、戦後初めてポーランドワルシャワを平和条約を結ぶために訪問したとき、そこにある無名戦士の墓を訪れ、大雨が降りしきる中、墓の前に膝まずき、大声をあげて泣きながら、第二次大戦中ドイツの国家がなした、1939年ポーランド進駐以後の行為を謝罪し・全世界の人々に衝撃を与えた。

 1993年ドイツの元大統領ワイツゼッカーは、ドイツが犯した戦争犯罪を網羅する戦争責任告白文書「荒野の40年」を全世界に発表した。ドイツの政治的指導者たちはドイツが戦争をしかけた加害者であったことを少しも忘れなかった点は印象的である。600万のユダヤ人のホロコーストなどなど。

 小泉元首相の靖国参拝に話をもどすと、どれだけ多くのアジアの人々が死んだか思い、戦争を仕掛けた側の国の後の指導者としてアジヤ国々戦争による死者たち、南京虐殺の犠牲者たち、朝鮮人強制連行・従軍慰安婦などなどに言及・謝罪すべきであった。信教の自由というなら戦時下、日本政府は韓国、朝鮮において「靖国神社参拝」を強制して彼らの信教の自由を奪った事実について発言すべてきであった。 

 私は1995年に「宗教者の戦争責任」(119ページ)を書いた。 

本講義では、以上を踏まえて以下のテーマを取り上げることとする

1.15年戦争において、靖国神社はどのような機能を果たしたか (レポート課題)

2.神社問題 

3.ピョンヤンにおける富田満の神社参拝説得工作 

4.キリスト者の戦争責任の懺悔・告白