建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

ロマ書、執筆の動機   ローマ1:8~17

1997-1(1997/1/5)

執筆の動機   ローマ1:8~17 

 ローマ人への手紙を少しづつ学んでいきたい。
 「ローマ人」とは「ローマにある教会」のことである。この手紙が書かれた年代は、パウロがコリントに滞在していた時期、後55年頃だという(ボルンカム「パウロ」)。帝国の都ローマには当時、約四万人のユダヤ人が住んでいたというが(松木治三郎「注解」)、ローマにある教会がどのようなものであったかは、明らかではない。スエトニュウスの「皇帝列伝」によれば、皇帝クラウディウスの命令でローマ在住のユダヤ人はローマから追放された(49年ころ)。皇帝の死54年にはこの追放令は撤回されたようだ。その追放の理由は騒動が「クレストスの扇動によって」(スエトニュウス)起きたからだ。この「クレストス」は明らかに「キリスト教徒」をさす。行伝18:2はこうしるす「パウロはそこ(コリント)で、アクラというポント生まれのユダヤ人とその妻プリスキラとに出会った。クラウディオ帝がすべてのユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したため、彼らは近ごろイタリアから出てきたのである」。クラウディウス帝のユダヤ人追放は「キリスト教使信によってローマのユダヤ人たちの間で起きた騒ぎをきっかけとして起きた可能性がある」(ボルンカム)。
 8~17「まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストをとおして私の神に感謝する。全世界にあなたがたの信仰《の姿勢》が告げ知らされたからだ。私が御子に関する福音に私の霊をもって仕えていることの証人は神であるからだ。私は絶えずあなたがたのことを思い起し、いつも私の祈りの折りに、神の御心によって、いつかはきっとあなたがたのもとに行くことができるようにと懇願している。私はあなたがたに会えるようにと熱望している。私があなたがたを強くするために、いくぶんでも霊の恵みをあなたがたに分け与えることができるためである。すなわち私はあなたがたの間であなたがたと私との信仰をとおして、互いに慰めあうためである。兄弟たちよ、私があなたがたのもとに行くことをしばしば企てたが、しかし今日に至るまで妨げられてきたこと、それがこれまで他の異邦人たちの間でそうであったように、あなたがたの間でも、いくぶんかの実を得るためであることを、あなたがたに隠しておきたくない。私はギリシャ人にも未開人にも、知恵のある人にも、無知な人にも義務を負っている。それゆえ、私に関しては、ローマにあるあなたがたにも福音を説教する用意ををしてきた。
 というのは、私は福音を恥と恩わないからだ。福音はユダヤ人をはじめギリシャ人にも信じる者すべてにとって、救いに至らせる神の力であるからだ。この福音に神の義は啓示され、信仰から信仰へといたらせるからだ。『信仰による義人は生きるであろう』と書いてあるように」(ケーゼマン訳)。
 1~7節のあいさつの部分を後回しにして、8節以下から始めたい。
 先のクラウディウス皇帝のユダヤ人追放令から、6年ほど後にこの手紙は書かれたことになるが、パウロは他の手紙とは違って宛先を「ローマにある教会」とは言わないで「ローマにある、神に愛され召された、すべての聖徒たち」としている(7節)。ローマのキリスト者全員を宛先にしたことが、そこにはまだ「統一された教会」が存在しなかったからか、ローマの教会が「いくつかの家庭集会的共同体への総称」なのか、は明らかではない。使徒行伝の18:2を根拠にすれば、パウロはアクラとプリスキラからローマの教会・キリスト者たちの状態を知つていたはずである。ただし、パウロにとってローマのキリスト者集団は、伝道したことことも滞在したことも、親しく交流したこともなかった。そこにおのずからこの手紙の執筆理由が重要となってくる。
 ローマのキリスト者集団についてパウロは「神に感謝する」と述べている。それは彼らの「信仰」すなわち「信仰にのっとったキリスト者のありよう・信仰の姿勢」が「全世界に告げ知らされたからだ」という、8節。ローマのキリスト者集団の「信仰の姿勢が全世界に告げ知らされた」は、具体的に何を指しているかは、はっきりしない。帝都ローマに現に教会が存在していること(松木)、「キリストへの信仰告白」がすでになされていること(ミヘル)、「イエスは生きておられる、彼は世界の中心都市にもおれれるのだ」(バルト)ということかもしれない。
 パウロの手紙執筆の動機は、10、11節において明らかとなる。それは、彼がローマのキリスト者訪問を切望していた点である「いつかはきっとあなたがたのもとにいける」「あなたがたに会えるよう熱望している」「あなたがたの間でもいくぶんかの実をえるため」。その訪問は、使徒としてその教会との本来的な交流すなわち「霊の賜物・恵みを分け与えて」彼らを「強めること」。教会の形成強化ばかりではなく、この信仰の交わりは信仰の本質へと到達させる。信仰・キリスト者の強化とは決して個人主義的ではなく、共同体形成的に機能するからだ。すなわち信仰を強められた者たちは他の信仰者たちを「慰める」務めをもつ。したがってパウロは「あなたがたのもとであなたがたと私の互いの信仰をとおして共に慰められる」と述べたのだ。「互いの信仰」というのは、個人の信仰ではなく、共同体的な信仰とその機能、慰めをも意味している。
 13節でパウロはローマのキリスト者訪問の企てが妨げられてきたという。妨げたのはサタン(第一テサ2:18)ではなく、例えばクラウディウス皇帝のユダヤ人追放令などによる影響も考えられる。さらにパウロはローマ訪問の目的がキリスト者との交流ばかりでなく、新しい回心者の獲得のためであるという、「これまで異邦人の間でそうしたように、あなたがたの間でもいくぶんかの実を得るためである」。15節も同様。ここではローマのキリスト者集団は「異邦人の間でそうであったように」と異邦人キリスト者の延長で考えられている。実際、ローマのキリスト者はアクラとプリスキラのようなユダヤキリスト者(むろんギリシャ語を話すへレニストのユダヤ人)よりは、大多数は異邦人キリスト者であったようだ(ミヘル)。
 14節の「ギリシャ人・へレネ」はギリシャ語を話しその教養を身につけた人のことでローマ人も含まれるから民族的な意味はない。「未開人・バルバロイ」はその逆で、現地語しか話さないで教養的にも、ギリシャローマ文化に背を向けた人。次の「知恵のある人と無知な人の対比」も同様。パウロは「異邦人の使徒」として(5節)すべての非ユダヤ人、異邦人に福音宣教の義務があるという。 この言葉は重要である。ローマ帝国の東半分の伝道をすでに終えたパウロは 今やその西半分を射程において述べている感じがするからだ。パウロは新たなる世界伝道に着手しようとの決意がうかがえる。それはさしあたりローマ伝道であり、15節でその決意がしるされている。
 16節以下。「私は福音を恥とは思わないからだ」における「恥じる、恥と思う」はマルコ8:38の「私と私の言葉を恥じる者に対しては、人の子もまた父の栄光のうちに聖なるみ使いたちと来る時に、その者を恥じるであろう」と関連し、信仰告白の状況の用語である。すなわち 「恥と思わない・恥じない」は「確信をもって信じ告白する」という意味の言い換えである。
 16節後半「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも信じる者すべてに、救いに至らせる神の力であるからだ」。福音は単なる「言葉」ではなく「神の力」であるとパウロはいう、現在形。福音はここでは決して語られた説教とは同一視できない。福音はギリシャローマ文化圏における奇跡的行為ではないし、他方ユダヤ教圈における歴史を支配する神の行為自体でもない。むしろ神の終末論的な力そのものである。すなわち「神の力」とは福音が人間に《救いを創造する》という点で、神の力といわれるのである。「救い」という言葉は「滅び」(ピリピ1:28)の反対語である。福音はそれが使徒たちによって語られ宣教された人々を滅び(神との関わりの断たれた状況)から助け出して、神との正しい関わりの中にすえる、これが「救い」である。
 17節。「神の義は福音の中に啓示され、信仰から信仰へと至らせるからだ」。ここでのキーワードは「神の義」である。この「神の義」の再発見がルターの宗教改革の出発点であったことはよく知られている。「神の義」は神の所有しておられる義・正しさということであるが、この義は罪ある人間を裁くために発動されるものではない。むしろ罪深い人間に神から与えられる義、神からの義、不義なる人間を義とする、義を与えるような義である。義は不義なる人間を義とする恵み、すなわち神との関わりへと導く恵みを意味する。
 よく知られた「信仰から信仰へ」は必ずしも意味は明らかではない。従来、旧約聖書の信仰から新約聖書の信仰へとか、「口で告白する信仰から服従へ」(アウグスチィヌス)、信仰の確信、明澄さへの絶えざる成長(ルター、カルヴァンら)。ミヘルは福音は信仰の基礎と目標をつくると解釈し「信仰の服従から」(ガラ3・2)「信仰の服従へ」(5節)と解釈する。ケーゼマンは「新しい世界の次元へ」とみなし「神の義の啓示は、福音と結びつけられているのであるから、つねに信仰の領域でのみ、現実のものとなる」と解釈する。
 17節の引用はハバクク2:4からの引用。「信仰による義人は生きるであろう、義人は信仰から生きるであろう」。しかし正確な引用ではない。70人訳では「しかし私の義人は私への真実(ピスチス)から生きるであろう」となっているから。しかし旧約聖書ユダヤ教では、ピスティス・信仰は「実践」と理解されてきた。パウロの場合、神の義と信仰との結合は、イエス・キリストを信じる信仰による神の義を意味していた。手紙全体においてこのテーマが展開される。