建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

ロマ書、パウロの希望  ロマ15:22~33

1998-20(1998/5/24)

パウロの希望  ロマ15:22~33

 「そのためにあなたがたのもとに行くことを私はしばしば妨げられてきた。しかし今はこの地方にもはや活動の余地がない。すでに長年私はあなたがたのもとに行きたいと熱望してきた。私がスペインに旅するとき、その道すがら、あなたがたに会い、まず幾分か私の期待が満たされたら、あなたがたに随伴されてあそこへと行きたいとの希望を抱いている。しかし今私は聖徒に仕えるために、エルサレムに行く。マケドニアとアカヤとがエルサレムにある聖徒のうちの貧しい者たちのために交わりの行動を起こすことを決めたからだ。彼らがそう決めたのは、エルサレルムの聖徒に負い目があるからだ。異邦人らがエルサレムの聖徒に霊的に関与したとすれば、彼らにはエルサレムの聖徒に肉のものをもって仕える負い目があるからだ。私はこれをすませて、この実を確かに手渡して後に、あなたがたのもとに立ち寄って、スペインに向うつもりだ。私は知っている、私があなたがたのもとに行く時には、私はキリストの祝福に満たされて行くであろうと。
 兄弟たちよ、主イエス・キリストによって、御霊の愛によって、私はあなたがたに勧告する、私のためにあなたがたが神に祈ることで私と共に戦ってほしい。私がユダヤにある不服従から救われ、エルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるために。さらに神の御心によって平安のうちにあなたがたのもとに行き、あなたがたと共に私が憩うことができるようにと。どうか平和の神があなたがたすべてと共にあるように」
 22節の「そのため」は、19節の、パウロローマ帝国東半分の伝道活動してきたことを受けて、パウロのローマ行きが「妨げられてきた」という。1:13以下参照。しかしながら、「しかし今やこの東半分の地域には活動の余地がない」という、22節前半。パウロが帝国西半分の福音宣教の地として考えていたのは、スペイン・イスパニアであった。そのスペイン行きの出発点として(「道すがら・途上で、あなたがたに会い」24節)また根提地として考えたのがローマ教会であった。
 24節の「私の期待が満たされるなら」はスペインにおける伝道のための必要な援助を得ること、「あなたがたに随伴されて」も、礼拝におけるキリス者集団による派遣、さらに最初の通過地点まで随伴して見送ること、行伝20~38などを意味している。言い換えると、スペイン伝道のための母教会的な役割をローマ教会にパウロは期待していた。これがパウロの希望である。
 25節でパウロエルサレム教会にいくという。それは「エルサレム教会のキリスト者に仕えるためである」。26節によれば、マケドニアとアカヤの諸教会が「エルサレムにある聖徒のうちの貧しい人々のために交わりの行動を起こす決心をした」という。使徒会議の決議にも異邦人キリスト者に「貧しい人々をかえりみる」ことがうたわれていた、ガラ2:10。「交わりの行動」は他のキリスト者を支えるための「献金」(28節「この実」)である、第二コリ8:4、9:1、12以下。視点を換えると、当時のエルサレム教会の主流となっていたのは、ヤコブであり、その信仰理解は異邦人キリスト者にも「信仰の他に割礼を要求する」反パウロ的な内容であって、しかもヤコブ派は使者を諸教会に遣わして、パウロとはまっこうから対立する行動をしていた(ガラテヤ、ピリピ教会など)。教会はユダヤ人教会と異邦人教会に分裂する危機の中にあったといえる。
 他方パウロエルサレム教会と他のすべての教会との関係をこうみた、他の教会のキリスト者すべて・異邦人キリスト者は、エルサレムの聖徒たち・キリスト者の霊的なもの、福音、福音宣教に与ったから、彼らに負い目・借りがある、27節。したがって異邦人キリスト者エルサレム教会のキリスト者・聖徒たちに、肉的なもの・献金をもって仕えることで、この負い目に応えるべきだ、エルサレム教会は他の異邦人の諸教会、世界教会の母教会である、というのがパウロの見解である。与えるー受け取るは、霊のものー肉のものを媒介としたキリスト者の対外的交わりの実現であるばかりではない。この助けは、第ニコリ8:9の、キリストの恵みに合応じたものである。
 28節のパウロが、異邦人キリスト者献金エルサレム教会のユダヤキリスト者にたずさえていくとの箇所は、霊的なもの、福音宣教を与えたエルサレム教会が霊的に他の世界教会と結ばれ、同時にこの世界教会の奉仕、肉のもの・献金は、母教会を支えるものその結びつきを示す。霊的に結ばれのみならず、肉的にも、両者は結ばれる。さらにこの結合をとおして、信仰理解の点で決定的に立場を異にする両者の分裂の危機は乗り越えされる。
 31節以下で、パウロは、自分のためにローマの教会が神に析ることで「私と共に戦ってほしい」と訴えている。というのは、パウロは「勝利の教会」ではなく「戦闘の教会」(「私と共に戦ってほしい」)の中に今なおいるからだ。パウロは訴えているのは、第一に外的迫害「ユダヤの不服従パウロを攻撃し迫害するユダヤ人、ユダヤキリスト者ら(ヤコブ派)から救われること、第二に、パウロがもたらす異邦人キリスト者献金「私の奉仕」がエルサレムの母教会で受け入れられること。当時ユダヤ教の指導者らは、異邦人からのあらゆる捧げものを受け取らないと決定していたが(66年)このユダヤ教の動向にエルサレムユダヤキリスト者がどう反応するかの点で、異邦人からの献金がすんなりと受け入れられない心配もあったようだ。第三に、新しいパウロの企て、スペイン伝道のために、ローマのキリスト者との親密な交わりが形成されて、パウロのスペイン行きを「神の御心による」との信仰認識に立って、パウロを支えてほしいということ。