建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

ペテロへの顕現3  ヨハネ21:15~19

2000-14(2000/4/30)

ペテロへの顕現3  ヨハネ21:15~19

 「彼らが食事を終えた時、イエスはシモン・ペテロに言われた『ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に私を愛するか』。彼は答えた『はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです』。イエスは彼に言われた『私の羊の番をしなさい』。再び二度目イエスは彼に言われた『ヨハネの子、シモンよ、あなたは私を愛するか』。彼は答えた『はい主よ、私があなたを愛していることはあなたがご存じです』。イエスは言われた『私の羊の番をしなさい』。三度目にイエスはいわれた『ヨハネの子シモンよ、私を愛するか』。ペテロは三度もイエスが私を愛するかと言われたので悲しくなって答えた『主よ、あなたはすべてをご存じです 私があなたを愛していることはあなたがご存じです』。イエスは言われた『私の羊の番をしなさい』。アーメン、アーメン、私は言う、あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の欲するところに行った。しかし年をとると、自分の両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、自分の欲していないところに引かれていくであろう。イエスがこのように、言われたのは、ペテロがどんな死に方をして神の栄光をあらわさなければならないかを暗示されたのだ。こう言われた後ペテロに言われた『私に随行しなさい』」シュナッケンブルク訳。
 15~18節は、復活頭現の物語の中で最も美しい箇所。ここではペテロに焦点が当てられている。多くの注解者はイエスのこの「三度の問いかけ」は、イエスを三度否認したペテロの立ち直り・回復を指しているとみなし、ペテロによるイエス否認への懺悔が語られていた、と解釈するが、これは方向を誤ったものだ、イエスの言葉にはペテロへの赦しは語られていないからだ、ブルトマンの注解。三度の反復は「祭儀的くりかえし」とブルトマンはみている。「愛する」という語もアガペーの動詞形が、三度イエスの質問に用いられ、またペテロの答には三度ともブイリアの動詞形が使われている。イエスの質問にペテロはただイエスを愛する事実のみを誓っている。ペテロの答に対して、イエスは言われた「私の羊の番をしなさい」すなわち教会の指導の職務の委託をされた、15節。他方ここには真の意味での復活顕現がある。ペテロに教会指導の任務が託されたからだ。これはむろん教会におけるペテロの人間的な権威を高めるものではなかった。マタイ16:17~19、ルカ22:32。この21:15も含めて3ヶ所ともにペテロのみが名ざしで呼ばれている。ペテロへの委託があくまでも教会指導の委託である点は、注目すべきだ。この点にペテロへの委託の特殊性がある。これは古い伝承に由来する。
   言い換えると、マタイ28:19、ルカ24:47以下、ヨハネ20:21にあるような、弟子・使徒たちへの世界伝道への派遣、これについてはペテロは復活した方からは何の委託も与えられてはいない。
 18節はよく知られている。ここでは比喩が前提とされている。「若いときには人は欲するところに自由に行くが、年をとると人は自分の欲していないところ(死・墓)に引いて行かれねばならない」(ブルトマン)。この比喩をもじって、ここでは語られている。「自分で帯をしめて」は一般に「旅立ち」の用意。「他の人に帯を締められて」は明らかに拘束・束縛された状態における強制的な出発を意味する。
 「両手を伸ばして」は、老人の無力さよりも「両手をしばられて」を意味する。シュナッケンブルクの注解は「イエスがここでペテロの十宇架の死を予言された、とはいっていない」と解釈しているが、より具体的には「十字架の横木にしばられて」と解釈してもよいであろう。「連行される」は「引かれていく」つまり処刑場へと引かれていく、ととれる。ゴルヴィッツァーの捕虜体験記のタイトル。
 19節の「どんな死に方をして神の栄光をあらわす」は直接「殉教」を意味する。「死をとおして神を讃美する(栄光をあらわす)」というのは、殉教者に対して与えられるもの。クレメンスの手紙5:4「ペテロは、幾多の苦難を忍び耐え、こうして証をたてたうえで、彼にふさわしい栄光の場所へとおもむいた」と彼の殉教を述べている。ポリカプスの殉教19:2「ポリカプスは全能の父なる神に栄光を帰した」。
 次の「私に随順しなさい」は、イエスへの一般的な随順(マタイ4:19など)ではなく、殉教をとおしてイエスにつき従うこと。イエスの歩まれた十宇架への道をたどること、を意味している、ブルトマン注解。
 客観的真理の「召命」は、実験や計算でもできるが、主体的真理の召命は「その真理のために血が流されることによって」なされる、とキルケゴールはかたったが、そのとおりである。ペテロはイエスによって「岩・ペテロ」 と名づけられ、この「ペテロ・岩」の上に私の教会をたてると言われたが(マタイ16章)、ペテロの流した血の上に教会はたてられた。殉教は教会をうみ育てる「教会の種である」テリトリアヌス。テリトリアヌスはまた「使徒たちは彼らの血を流してその教えを広めた」と語った。さらにオリゲネスの見解「ペテロはローマにおいて逆さに十字架にかけられた」は、「クオ・ヴァデス」などにも取り上げられたが、歴史的価値はないという(クルマン)。「ペテロ」を書いたクルマンはペテロの墓がローマにあるという。