建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

大いなる晩餐会の譬  ルカ14:15~24

1999-10(1999/3/7)

大いなる晩餐会の譬  ルカ14:15~24

 「イエスと共に食卓についていた者の一人が、(これを聞いて)イエスに言った『神の国でパンを食べる人はなんと幸いでしょう』。イエスはその人に言われた、
 『ある人が大晩餐会を催して、多くの人を招いた。そして宴会の時刻になったので、一人の僕を招待した人々に遣わして言わせた、《すでに用意ができていますので》、おいでください。するとすべての人が同時に行けないと弁解し始めた。最初の人は<畑を買ったので見にいかなくてはならない。申しわけないが失礼したい>。別の人は言った<五対の牛を買ったので、調べにいくところだ、申しわけないが失礼したい>。もう一人は言つた<妻をもらったので、行けない>。僕はもどってきてこのことを主人に報告した。
   主人は怒って僕に言った<急いで行って、町の広場や小道へ行って赤貧の人、身障者、盲目の人、足のなえた人をここに連れてきなさい>。すると僕は言つた<ご主人、あなたが指示されたとおりしました。でもまだ席があいてます>。そこで主人は僕に言った、<大通りや垣根のところへ行って、ぜひとも人々に来てもらって、我が家をいっばいになるようにしなさい』。
 私はあなたがたに言う、招かれていた人々で《私の晩餐》を味わう者は一人もないだろう」
 並行記事22:1~14。
 15節。「神の国でパンを食べる」は、神によって用意された晩餐をイメージさせる、イザヤ25:6「万軍の主はこの山ですべての民のために祝宴をもうけられる」、黙示録19:9「幸いなるかな、小羊の祝宴に招かれた者たち」など。
 18~20節。二度にわたる招待(16節と17節で僕を遣わし時間だと告げさせた)はオリエントの決まった習慣であったという。
 ここで晩餐会への招待を断る人々はみな「イスラエルにおける社会的なエリート」である(ボッフォ)、「町の参事たち」(エレミアス)、「畑を買った人」、この人は決して庶民ではなく相当の財産家である。「五対の牛を買った」は、家畜として10頭の牛を買ったのではない、一対の牛が1日かかって耕す土地の広さが基準とされ(ほぼ9ヘクタール)、ここの「5対の牛」とはしたがって45ヘクタールの士地を入手したのこと(エレミアス)。とにかくこの人は大地主である。ルタ一はこの「牛」を「教皇権力の政治的圧迫」と解した。さらに「妻をもらった人」は言い換えると、新婚の夫、晩餐には妻は招かれないので、彼は新妻を一人にしておきたくなかったのだ。ここをルタ一は「地上的事柄に繋がれていること」とみた。
 彼らは最初招待を受け入れたのに、用意がととのたこの時点で招待を断るというのは、不可解であり無礼である。しかも断りの理由をみると「あえて断るほどのものはない」。ではなぜこの時点で断ったのか。招かれた者たちは招いた《主人を軽蔑していた》からと解釈することはできる(レンクシュトルフ)。
 もっとうがった解釈がある、エレミアスによればイエスはこの記事で「タルムード」(律法解釈書)にある「富める取税人バル・マヤン」の物語を採用されたという。ある時マヤンは町の参事たちのために晩餐会を催すことにして彼らを招待した。町の参事・重鎮たちとの付き合いをとおして、彼も重鎮のお仲間として受け入れてもらいたかったのだ。金持になったマヤンにとって欠けていたのは名誉だけなのだ。しかし招待した町の参事らは一人も来なかった。彼らはみな申し合わせたようにこの金持の取税人に背を向けて、見え透いた口実で招待を断ったのだ。そこでマヤンは「怒って」食物が無駄にならないように赤貧の人、身障者らを連れて来させてご馳走をふるまった。この行為はマヤンが町の参事たちに頼ることも、関わることもないこと、絶交を示すためのものであった。このマヤンが死んだ時この町の人々はマヤンの「あの善行」のゆえに彼の立派な葬儀に参列した。
 この譬の「僕」(17、21、22、23節)の存在に着目した解釈がある。この「主人」(21、22、23節)は神ご自身であり、僕はイエスであるとの解釈である。17節の「晩餐の時刻になった」は、イエスの到来という《決定的な時の到来》を告げる。そして晩餐は「主の晩餐」(イザヤ25:6)である。招かれたのはイエスラエルの民や指導者らである。彼らが招待を断ったのは、彼らがどれほど敬虔深いにせよ、彼らが「この世に巻き込まれている」のを示している。ルカ13:34以下「ああエルサレムエルサレム、雌鶏がその離を翼の下に集めるように、何度私はあなたの子供たちを集めようとしたことか。だがあなたがたはそれを好まなかった」、「イスラエルの頑なさ」である。
 21~22節。主人は「怒った」。招待客が「キリストへの追順の優先性をないがしろにしたからだ」(ボッフオ)。彼らに対してはまことに厳しい言葉が吐かれる、24節「最初に招待した人たちで《私の晩餐》を味わう者は一人もいないであろう」。そして主人は、さらに2度にわたって他の人々を招待することにした。これはいわば《救済史における神の招きの大いなる転換》である。第一の招待は「町の広場や大通りにいる人々」で《町の中にいる身障者たち》、つまり「赤貧の人(プトーコス)、身障者、盲目、足なえの人」(21節)である。これは事実上いわゆる「町の乞食」で、通常晩餐には招待されない人ある。マタイ10:6「イスラエルの失われた羊」、ルカ5:32「私が来たのは義人ではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」。
 しかしまだ空席があったので(22節)、主人は今度はわくを広げて《町の外部と接する場所》すなわち「大通りや垣根のところ」(23節)にいる「人々」を招くように命じた。ここで示されているのは、旅行者つまり「異邦人」である。「イエスの約束自体・招きは異邦人全体をも包含している」(レンクシュトルフ)。
 15節ではある人(パリサイ人?)がのんきそうに「神の国での食事」について自明のごとくに発言したが、イエスの招きに真に応答するのは、自明のことではなく、大きなテーマである。そしてその譬にあるように「この世に巻き込まれている人は」その招きを拒否するであろう。したがって「この世において」その招きにに応答できるのは(1)神のゆえにすべてを放棄する人か(アブラハム、信仰的英雄)、(2)この世の事柄を片方の手で行い、もう一つの手を神のために残しておく人(ルター)か、どちらかである。(3)招きにふさわしいいかなる資格もない人、神の恵みにすがることをわきまえ(「罪と罰」のマルメラードフ)、それを習慣化している人である。