建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

哀歌における希望  哀歌3章

2001-4(2001/1/28)

哀歌における希望  哀歌3章

 出口のない絶望の中で人はどのように希望をもつことができるのか。 このポイントについて、 詩篇から離れるが哀歌3章を取り上げたい。「哀歌 はエレミヤのものではないが、エレミヤが活動を中止した直後、 バビロニア軍によるエルサレム陥落 (前587) 時点での人々の苦悩が語られている 語り口は詩篇の嘆きの歌によく似ている(前500年ころに成立)。
 「私は彼の憤激のむちによって、苦しみを知つた人間である。
  彼はわが肉と皮を衰えさせ、わが骨を砕き、
  苦さと辛苦をもって私を囲み、
  ずっと昔に死んだ者のように、私を暗やみに住まわせた。
  私が叫び呼んだが、彼は私の祈りを聞かれなかった。
  あなたが私の魂から平安を取り去られたので
  私は幸福を忘れた。私は考えた、
  わが支えは失せ、ヤハウエへのわが望みもついえ去った、と」(哀歌3:1、4~6、17~18、ワイザ一訳)。                               次の21節以下では驚くべき告白が飛び出してくる、
 「しかし私は《次のこと》を心に思い起す。
  ヤハウエの慈しみは絶えることがなく、
  その憐れみはつきることがないことを。
  《それゆえ》私は望みをいだく。
  ヤハウエの憐れみは、朝ごとに新しく、
  彼の真実は偉大である。わが魂は語る、
  『ヤハウエは私の分け前である』と。
  《それゆえ》私はヤハウエに希望をいだく。
  ヤハウエはご自分に希望をいだく者、
  ご自分を探し求める者に、恵み深い。
  ヤハウエの助けに、黙して望みをいだくことは、善いことだ。                 人が若い時にくびきを負うことは、善いことだ。
  ヤハウエが彼にくびきを負わせる時、
  彼がただひとり座って黙すようにせよ。
  彼の口をちりにつけよ。
  《おそら》まだ希望がある」(3:21~29)。
 用語的には「私は望みをいだく」(21節)「私はヤハウエに望みをいだく」(24)「黙して望みをいだく」(26)は、イッヘール、「ヤハウエに望みをいだく」(25節)はキーヴァー、「まだ望みがある」(29)はティクヴァ一。
 ここでは希望の根拠が、二つ示されている。一つは22節「ヤハウエの慈しみは絶えることがない」。歌い手は、長い救済史において示された、苦しむ人々への神の憐れみを「思い起こした」(21節)。彼は神による出エジプトシナイ山での恵みの契約に依拠したのだ。今ここでエルサレム崩壊という国家的社会的危機に直面し、人間的、共同体的身体的苦悩とうめきの極限状況の中でも、神の慈しみ、憐れみはなお絶えることがない。むしろそれどころか「朝ごとに新しく」生きた現実となっている(23節)。彼はこのことを確信できた。そしてこれが彼の希望の根拠となった「それゆえ私は望みをいだく」(21節)。2章および3章前半にしるされている「ヤハウエの怒りの日」(2:22)は、永違に続くものではなく、神の怒りの彼方に、神の不滅の慈しみを確信することによって希望をいだいた、この希望の形はヨブの希望の形にきわめて近いものといえる。
 さてもう一つの希望の根拠は、22節「ヤハウエは私の分け前である。《それゆえ》私はヤハウエに希望をいだく」。「ヤハウエは私の分け前」は、イスラエルがカナンの地に入って土地を取得した時、各氏族に土地を分割した。その折り、レビ族だけは、祭儀にたずさわっていたので他の生産活動ができないので、土地の割り当てがなく、その代わりに「ヤハウエが彼の嗣業」(申命10:9)「ヤハウエがあなたの分け前、嗣業である」(民数18:20)にさかのぼる表現である。祭壇にささげられた神への供え物という物質穀物、動物、食物がレビ族の収入とされたのだ。「ヤハウエは私の分け前」は、やがて神への供え物を分け前としてもらうという考えから離れて、精神化されて、「神を避け所とする」という思想と結びついた。さらにには「外的な生活環境の妨害によっても失われることのないヤハウエと共なる生」と解釈された(ラート)。
 哀歌の歌い手はこの信仰伝統を引き継いでいた。だからエルサレム崩壊という国家的社会的人間的、信仰的危機のなかでも、「ヤハウエは私の分け前」すなわち歌い手の「ヤハゥェと共にある人生」は傷つけられず破壊されずに存立していた。「それゆえ」彼はヤハウエに希望をいだくことができた。