建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅱ.旧約聖書における絶望と希望-1 アブラハムの試練

第二章 旧約聖書における絶望と希望
アブラハムの試練
 アブラハムに待望の子イサクが生まれた(創世二一章、「イサク」という名は子の誕生の予告の時、こんな高齢の夫婦に子など生まれるはずがないとの、アブラハムの「笑い」に由来している、意味も「笑い」)。彼はすでに九〇歳を過ぎていた。その子が一〇歳くらいになった時、アブラハムはこれまで一度も出会ったことのないような辛い体験、試練にあわされた。
 「神はアブラハムを試みて言われた『あなたの息子、あなたが愛してきたひとり息子、イサクを連れてモリアの地に行き、私が示す山でイサクを燔祭として献げなさい』」(創世二二・二、フォン・ラート訳)。 ここでの「燔祭として献げる」というのは、神へ動物犠牲を献げる儀式のことで、羊などを殺してそれをまるごと火で焼きその芳しい煙を神に供物として捧げること。したがって「イサクを燔祭として献げよ」ということは、イサクを殺して神に献げる恐ろしい命令を神が与えられたことになる。「しかしアブラハムにとってイサクは神の約束の賜物であって、イサクには神がアブラハムに与えた祝福のすべてが含まれている」(フォン・ラート「説教-瞑想」)。ところが神は今やこの命令をもってこれまでのアブラハムへの約束の成就と祝福を否定しようとされている。「神がご自身の業の敵対者として人間のもとに立ち、かつあまりに深くその姿を隠されたのだ」(フォン・ラート)。このような状況を聖書は「試練」と呼ぶ(二二・一)。試練とは、その人間が通常以上の苦悩を体験するということだけではない。その人間の従来の信仰の危機、それまで信じていた神の存在が動揺すること、すなわち「神がそのままでは見分けがつかなくなる」ことである(カール・バルト「キリストの証人ヨブ」)。旧約聖書はこの体験を「神がみ顔を隠される」(イザヤ八章)、「神に見捨てられる」体験と呼んだ(イザヤ四九・一四、詩篇二二・一、四三・二、マタイ二七・四五など)。「私たちにとって神の恵みの太陽が蝕となり、神の近さと慰め、守り、神への希望が消え失せようとする時、かかる厳しい試練の中で神は私たちの信仰を吟味しようとしておられることを知るべきである。しかも、かかる試練を終らせることができるのも神のみである」(フォン・ラート、前掲書)。
 「アブラハムは朝早く起きて、ろばに鞍を置き、二人の若者と子イサクを連れて、また燔祭の薪を割り、立って神が示されたところに出かけた」(二二・三)。試練に出会ったヨブと比べて、アブラハムにはヨブのようなプロメテウス的な反抗(アイスキュロス「縛られたプロメテウス」参照)が起きていない点は私たちの目をひく。むしろここには、彼が故郷を出発した時の(創世一二・四「アブラハムヤハウェの言葉どおりに出で立った」) 「沈黙の神服従」のトーンが響いていて、彼が神の命令どおり目的地に出発した行動がクールなタッチでしるされていて印象的である。
 さて一行が目的地に着くと(「モリアの地」がどこかは明らかでない)、アブラハムはイサクと二人だけで当の場所に登っていった。イサクは彼にたずねた「父よ、火(たね火)と薪はありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」(二二・八)。彼は答えた「子よ、神御自ら燔祭の小羊を備えてくださるであろう」。アブラハムの答は、言い逃れではないにせよ、あいまいなものである。彼は神が「イサク以外の小羊を備えてくださる」とほんとうに信じていて、その答をしたのかもしれない。あるいは、イサクを神に献げよう(殺そう)と考えていたが、それをイサクに悟られまいとしてあの答をしたのかもしれない。あるいはイサクの質問に答えられるのは、彼自身ではなく神ご自身のみであること、これから何が起こるのか自分でもわからない、ということをあの答で告げようとしたかもしれない。いずれにしても、アブラハムのあの答はイサクへのこまやかな愛情から出たものではあっても、けして「希望を予感したものではない」(フォン・ラート)。
 キルケゴールがこの箇所を手がかりにして、アブラハムの試練について考察し、彼がどのような気持で目的地に向ったかを分析したことはよく知られている(「畏れとおののき」 一八四三、桝田啓三郎訳)。
 「アブラハムはあきらめの無限の運動をなし、そしてイサクを捨てる。…しかしその後で、彼はあらゆる瞬間に信仰の運動を行なう。すなわち彼は言う、そのこと(自分の手で犠牲として献げられてイサクが死ぬこと)はきっと起こらないだろう。もし起こるとしても、主は背理的な力によって新しいイサクを私に与えたもうであろう」(キルケゴール、前掲書)。キルケゴールはこの試練が族長だけに課せられたもの、それゆえ後の他の人々には耐えられない、例外的なものであることをきちんと把握している。しかし彼の解釈は、いくつかの点で問題となる。
 一つは、目的地に向うアブラハムの気持を明るく、希望を予感したものとみなしすぎている点である。アブラハムが二つの運動、一方ではイサクをあきらめ、他方では新しいイサクを再び与えられると考えていたとキルケゴールはみるが、神による「試練」とは、それまで自分なりにわかっていた神がわからなくなる「神の蝕」(マルチン・ブーバー)の中に置かれることであって、そこには「希望の予感」すなわち「主は新しいイサクを与えてくださる」といった余地は入りこめないはずだ。ここでのアブラハムはやはり決定的な「神の消滅点」を見た、すなわち、イサクの断念しかできなかったのではないか。キルケゴールは「信仰の逆説性」を主張し、またそれにこだわっているが、イサクの断念と神による新しいイサクの贈与との「逆説」は、アブラハムには成立しないのではないか。
 新約聖書へブル一一章もアブラハムがその時点でイサクを「全面的に断念した」と解釈している。「試練を受けた時、信仰によってアブラハムはイサクを《献げた》。彼は約束されていたひとり子を《断念したのだ》。その子については『イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれるだろう』(創世二一・一)と言われていた。しかしアブラハムは神が死人の中から人をよみがえらせる力があると考えた。それゆえ彼は《イサクを(復活の)比喩として取りもどしたのだ》」(一一・一七~一九、ミヘル訳)。ここでの「献げた」は「hat dargebracht」ミヘル訳、「断念した」はルターも、ミヘルも共に「dahingab」すなわち「犠牲にした、捨てた、断念した」と訳した。「イサクを献げる」行為を「イサクを断念する」行為と解釈しているのだ。一九節「イサクを復活の比喩として取りもどした」においては、イサクの「復活」が「比喩として」ふまえられている。「イサクの断念」は「神が死人を再びよみがえらせる力がある」ことに関連づけられて「イサクの死」(実際の死でなく)「比喩的死」を意味している。アブラハムにとって「イサクを取りもどした」は「イサクを死から取りもどした」という意味である。しかしイサクは現実に死んだわけではないから、その死も「比喩的な死」である。それゆえへブル書は「(「復活の」、この語は原文にないが、ミヘルもこの語を補っている)比喩としてイサクを取りもどした」としるした。イサクの「取りもどし」は「復活の比喩」すなわち「死人から復活した者として、もう一度イサクを取りもどした」こと、言い換えると、イサクの断念は「他方における神による新しいイサクの授与」(キルケゴール)をいささかも、含んでいないで、むしろイサクの死のみを意味していた。イサク断念の時点ではアブラハムはいささかも「イサクの新たな取りもどし」を信じていなかったし、信じることができなかった、と私たちは考える。それゆえキルケゴールの「イサク断念とイサクの新しい受け取りなおしとの逆説的把握」には反対したい。
 キルケゴールの解釈の第二の問題点は、 アブラハムがどのような気持でモリアの地に向かい、当の場所に近づいたのかについて比類なき心理的洞察をキルケゴールはしたが、創世記二二章の記事は、アブラハムの内面の思いなど全くしるしていない点である。むしろこの記事は、神の約束(イサクの誕生と子孫の増大、一五章)を受けた人物がその恵みにふさわしいかどうか、約束の賜物、イサクを真に自分の自由にならない《賜物》として把握しているか、イサクを自分の自由になる《所有物》としてはいないか、神からその賜物の返却を求められられれば、神にお返しする用意があるかどうかを、その人物が厳しく吟味され、試された、その場合、吟味される当人の気持など少しも考慮に入れない、としるしている。この点で、この記事内容は「倫理的、内在的」ではなく、いわば「超越的」である。アブラハムの旅立ちにしても(一二章)、ここでも(二二章)、この記事の語り手は「アブラハムの心に去来したすべてを取るに足りない事柄として無視している。しかも他方では彼の沈黙のままの神服従を忘れがたい簡潔さをもって描いている」(フォン・ラート「説教-瞑想」)。
 さて、当の場所においてアブラハムが祭壇を築き、薪を並べその子を縛って祭壇の薪の上にのせ、刃物を取ってその子を殺そうとした時、神のみ使いが介入してきて言った「わらべに手をかけてはならない。また彼に何もしてはならない。あなたが神を畏れ、あなたの子あなたのひとり子をさえ私のために惜しまないのを、私は今知った」(創世二二・九~一二)。アブラハムが目をあげてみると、やぶに角をかけている一頭の雄羊がいた。彼はそれを捕らえて、その子の代わりに燔祭として献げた(二二・一三)。
 イサクが再び神によってもどされた時、アブラハムが《喜びの声》をあげたとはしるされていない。これも「一切の感傷的な手立てとは全くかけ離れた、古代の作品の偉大さを示すものである」(フォン・ラート)。
 キルケゴールの解釈の第三の問題点として、先に言及したように、アブラハムはモリアの地に向った時、キルケゴールの解釈したように、一方でイサクを断念し他方ではイサクの受け取りなおしを考えていたとは、私は考えない。むしろ子に問いかけられて返答した彼の言葉にみられるように(二二・八「神自からが燔祭の小羊をそなえてくださる」)、私たちは《アブラハムはあの命令によって深い絶望に陥った》と考える。しかし《絶望しつつ神の命令を無視することなく、絶望しながらも彼は神に服従した》と解釈したい。アブラハムのイサク奉献は《絶望者の神服従》であった。この行動は、空前絶後のものであって、比較しうるのはゲッセマネイエス・キリストのみであったろうと思える。
 私は一八歳ころはじめてキルケゴールの「畏れとおののき」を読んでそこで展開されていた「倫理的なものの目的論的中断」という見解がそのころの私の苦悩を支えてくれた。それ以来、ずっとアブラハムのことも考えてきた。そして自分なりに彼のイサク奉献を先のように解釈していた。四〇代になって、ブリ
ジストン美術館でのエルミタージュ絵画展で、一七世紀オランダの画家レンブラントの描いた「アブラハムによる犠牲」(一六三五)という、障子一枚ぐらいある絵をみてぎょっとした。この絵には神のみ使いが介入する瞬間(先の二二・九以下)がみごとに表現されていた。み使いに押し止められてアブラハムの右手からナイフがとり落とされ落下中で、彼の眼差しは《不可解なこと》に触れた者のもので、静かにもの問いたげであるが《喜びの表情はない》。そして私を釘づけにしたのは、彼の目尻と頬にある二すじの涙のあとであった。この物問いたげな眼差しと頬の涙のあと、によって、レンブラントは、アブラハムの感謝、神の触、試練の中で絶望しつつ自分ではわからなくなり信じられなくなってしまった神に服従したアブラハムが、もう一度試練の彼方に神の備えたもう希望をいだくことができた、そのことへの感謝を絵で表現したのだと私は考えた。神の与えたもう試練の中で絶望した者に、神はその試練を終らせて、その者に再び希望を与えてくださるのである。その意味で、神はアブラハムにとって、また絶望の体験のある私たちにとっても「あなたは絶望した者の救い主」でありたもう(旧約聖書外典ユディト書九・一一)。