建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅰ.囚われ人の希望ー12 実存の変貌ーソルジェニーツィンの場合

ソルジェニーツィンの場合
 財産と魂の関係
 ソルジェニーツィンは、囚人になってはじめて「財産と魂の関係」を認識できたと語っている。護送される囚人がその途中で見かける、平穏な生活を送っている人々を見て、その話すのを聞いて、どのように感じたかについて述べている。
 彼は護送の途中、二人の監視と共にある乗り換え駅の待合室で列車を待っているが、手錠をはめられていないので、人々は彼が囚人だとは気づかない。人々の会話が聞こえてくる。-どこそこでは夫が妻を殴るとか、どこそこでは姑が嫁と折り合いが悪いとか、うちのアパートのお隣さんが靴の泥をよく落とさないとか、そんな話が聞こえてくる。そのうち彼はうんざりして虫酸が走る。死に直面した人がその時はじめて人生の意義を悟るのと同じように、囚人になってこれまでの生活、人生から根こぎにされ、人生の《ある種の終り》を体験したことで、人生において何が重要かを彼は把握したのだ。彼には人生の物事の真の尺度、人間の無意識的な、あらゆる弱点や欲望がじつにはっきり見えてくる。
「靴の泥を落とさなかったことがどうだというのか、姑がどうだというのか。人生のすべての謎をお望みなら私がさっそくあなたがたにぶちまけてさしあげようか。はかないもの《財産や地位を追い求めてはいけない》。そうしたものは何十年も神経をすりへらして、やっと手に入れるものだが、一夜で没収されてしまうものだ。生活に超然とした態度で生きなさい。不幸におびえててはならない、幸福を思い焦がれてはいけない。結局のところ、辛いことは一生続くものではないし、一から十まで善いことずくめといこともないからだ。凍えること、飢えと渇きに苦しめられることがないならば、それでよしとするのだ。いったい誰を羡むことがあろう。目を覚まして、心をきれいにしなさい。そしてあなたを愛し、好意を寄せてくれる人々を、何より大切にすることだ」(「収容所群島」第二部第四章「島から島へ」)。
 私はここを読んでショックを受け感動もした。心のどこかで幸福イコール物質的な豊かさと考えていた自分を恥じた。読みたい本が読め、聴きたい音楽が聴け、愛する家族とささやかな生活ができれば、それで十分だと考えるようになった。また希望は所有の対立的で、所有とは共存しがたいとの、マルセルの言葉に同意した。

実存の変貌
 彼は収容所に入れられた最初のうちは、なるべく一般作業(野外の肉体作業)を避けようとしたが、うまくいかなかったという。しかし六年目に、特権囚から追放されて政治囚の収容所に引きもどされた時点からそういう考え方を捨てて、雑役夫となり、やや熟練を要する石工となった。石工は雑役より安定しており、しかも特権囚のように当局に対して卑劣に立ち回る必要がなかったからだという。「卑劣な立ち回り」は「もっとも本質的なものを考える妨げとなる」とに感じられたからだ。この「本質的なもの」とは先に言及した「詩作」のためであった。
 「最初のうちは自信がなく、不安だった。…肉体作業に向かない、頭でっかちな私たちには、みんなと同じ作業をしていても、 他の連中よりずっと辛いのだった。 しかし私は意識的にどん底に落ちて、そこにある共通の、硬くて石ころの多い底辺をしっかり自分の足で踏みしめた時から、私の人生にもっとも重要な時期が始まり、その間に私の人格は完成されていったのである」(第五部、第五章「石の下の詩と真実」)。
 一九世紀ロシアの囚人ドストエフスキーらには「呪われた離反者の意識」「自分の罪に対する無条件の自覚」があった。それに比べてソルジェニーツィン旧ソ連の政治囚の場合には「無実の意識」「何百万人にふりかかった災難という意識」しかなかったという。この意識こそ収容所で驚くほど自殺が少ない原因であると彼は分析している。
 「もしこの何百万にものぼる無力で哀れな存在が、それでもなお自らの生命を断たなかったとすれば、それは彼らの中に何らかの敗北を知らない感情があったことを意味している。それは何らかの強力な思想でもある。これはすべての人々に共通な《自分達は潔白である》という自覚であった」 (第四部第一章「向上」)。
 このような自分は潔白であるとの自覚から、将来の釈放の日まで生き抜こうとする決意が生まれる。しかしこの時点で、彼らは「重大な分岐点、魂の分岐点」にたどりついたという。
 「この道は左右に分かれ、一方は上にあがり、他方は下にくだるのである。そして右に行けば生命を失い、左に行けば良心を失うのだ」。「右に行けば生命を失う」、これは囚人達がたとえ命の危険にさらされても、良心に恥じない、断固として自分に忠実に生きる道であった。もちろん大部分の人がこの道を選んだのではない。かといってごく少数の人でもないのだ。この道を選んだ人もたくさんいた。
 「監獄が人を根底から変えることは、何世紀も前から知られている。わが国ではいつもドストエフスキーを引き合いに出している。たとえば革命前ルチュネツキーは書いている 『闇は人を光に対してより敏感にする。強いられた無為は、人間の中に生命、活動、労働に対する渇望を起こさせる。静寂は人間をしてその自我を、置かれた環境を、自分の過去と現在を深く考えさせ、その将来をも考えさせるのである』」。
 他方で「左に行けば良心を失う」、これはどんな犠牲を払っても他人を犠牲にしても、断固として生き残ろうとする道である。卑屈に立ち回って自分が生き残ることのみを追い求め、少しでも楽な作業、少しでも大きなパンと濃いスープを得ようとして他者を踏みつけにしていく。しかしながらこの道にも実は重大な難局が待ち構えている。その難局とはこうである「生きるためには本当の生活を生きることができないとしたら、なぜそれまでして生きのびる必要があるのか、と私は心に疑問を感じ始めていた」。そしてこの道の背後にあるのは、《結果が重要である》との哲学であり、この哲学はソ連の社会に定着したものだと、彼は述べている。それゆえ「魂の分かれ道」は《結果が重要である》という哲学と《本質が重要である》という哲学との分岐点である、と言い換えられる。「人間理解の高みからは、手にとるようにわかる-重要なのは結果ではないことが。いや《結果》ではなく、その《精神》なのだ。何をしたかでなく、いかにしたかなのだ。何が達成されたかではなく、どんな犠牲を払ってやったかなのである」。
 彼はこう考えた、もし結果が重要なら、一般作業を避けるために、頭をさげ、機嫌をとり、卑劣な行為までして特権囚の地位を維持しなければならない。これに対してもし本質が重要なのなら、もはや一般作業を受け入れなければならない。あなたが脅しも恐れもなくなり、報酬を追求しなくなった時、あなたは主人たちの看守の目にもっとも危険な人物として映るのである。なぜならあなたを攻める方法がなくなったからだ。
 ガーリャという政治囚の娘は、特権囚である看護婦をしていたが、それが医療のためではなく、自分の生活を楽にしているに過ぎないと知つて、意地をはって一般作業(屋外の肉体労働)に移り、それが精神的な救いをもたらしたと、彼女は告白したという。
 ソルジェニーツィンの実存の変貌が起きるのはこの時点からだと彼は述べている。
 「もしあなたが一度でも《どんな犠牲をはらっても生き残る》という目的を拒否して、落ち着いた純朴な人々の歩む道に踏み入れるならば、その自由を奪われた状態は、あなたのこれまでの性格を驚くほど変えてしまうのである」。それまで心には、悪意、憎悪、焦りがあったが、それとは「正反対の感情」が芽生えてくる。以前には他者を容赦なく批判したのに、今では「理解力のある柔和さ」をもつに至る。自分の弱さを知つて他者の弱さを理解するようになり、また他者の強さを正当に認め、見習うようになる。さらに「自制心」が身につく。吉報にも喜ばず、不幸にも動じなくなる。
 「以前はひからびていたあなたの魂が苦悩を体験して潤うのである。…まだ同胞を愛するようになっていなくても、自分に近しい者は、自由を奪われたあなたの周囲にいる精神的に近しい者は愛するようになる。われわれの中の多くの者が認めていることだが、ほかならぬこの自由を奪われている時に、われわれは初めて真の友情を知つたのである」。このあたりで彼は自分のこれまでの生活をふり返り、見直した。これはドストエフスキーの場合とよく似ている。確かに自分は無実で投獄された。国家の前で、法律の前では、自分は後悔することは何もない。だが良心の前ではどうか、他の人々の前ではどうか…。
 ソルジェニーツィンは収容所の外科の病室に横たわっていた時、 囚人の医師コルンフェリドと二人きりで語り合う機会をもっことができた。この医師は、ユダヤ教からキリスト教に改宗した人で、そのきっかけはある老人の囚人仲間のおかげであったという。トルストイの「戦争と平和」の主人公ピエールが、ナポレオン軍の捕虜仲間、敬虔な農夫のプラトン・カタラーエフと出会って強烈な影響をうけたのと同様に。 医師は改宗のいきさつを話した後にこう語った、
 「この地上の生活では《どんな罰も理由なく下されることはない》と私は確信するようになりましたよ。そりゃわれわれの犯した悪とは一見無関係にその罰が下るように見えることもありますがね。しかし自分の人生を顧みて深く考えてみると、必ず罰の対象となった罪を見い出すことができるのです」。この言葉を聞いて彼は「思わずぎくりと身を震わせた」という。
 医師の見方は、むろん銃殺されたり残酷な罰を受けた人々に対する当局のやりかたを正当化するものでは断じてない。他方では処罰された人々の罪責を明らかにするものでもけしてない。むしろ「罪のない人こそ、誰よりも処罰されているのだ」。
 「この医師の言葉には、とにかく何か刺すようなものがあり、私自身としてはそれにまったく賛成である。多くの人もそれに賛成するであろう。監禁生活が七年目になると、私は自分の半生を振り返ってみて、何のために自分はこんな罰を-監獄とおまけに悪性腫瘍(ガン)まで-受けているかを了解した」(「群島」第四部第一章「向上」、ここでの「七年目の監獄生活」とは、政治囚のみの特別収容所にいた時期、彼が三四歳のころと思われる)。
 ソルジェニーツィンは病床にあった時に一つの詩を書いた。それはいわば彼のクレドー(信仰告白)とも呼べるものである。

 ああ、いつの間に私はきれいさっぱり
 善意の種子を浪費してしまったのか
 私とて少年時代は<あなたの>教会の
 明るい歌声の中で過ごしてきたのに!

 難解な書物のきらめく記述は
 高慢な私の頭脳をつらぬきながら
 世界の神秘をあかし
 この世の運命を蝋のごとく自由に曲げるかと思われた

 血潮は沸き立ちその渦という渦は
 私の前で色とりどりに輝いてみえた
 やがて 轟音もたてず わが胸の中で
 信仰の城塞は静かに崩れた

 しかし生と死の間をさまよい
 転びつつその端にしがみつきながら
 私は感謝の念に胸を震わせて
 すぎし日々を見つめている

 わが人生の曲折の隅々を照らしたのは
 おのれの理解や希望でなく
 《至高の意味》の穏やかな輝きなのだ
 それが明らかになったのは後のことだけれど

 そして今や私に返された器で
 生ける水を汲み上げながら
 宇宙の神よ! 私は信じている!
 あなたを拒んだ私のそばにあなたが存在したことを

 ソルジェニーツィンキリスト者であったかどうかは、この詩からは必ずしも明らかではない。ドストエフスキーの作品に印象的に登場している、キリストという用語は一言も言及されていない。紀元後三世紀の「使徒信条」をめやすにすれば、ソルジェニーツィンの詩における「神」はあまりにユニテリアン的(イエスの神性を排除して唯一の神のみを信じる立場)である。しかしながら彼がソ連の世界観、哲学から転身して一度は「崩れた信仰の城塞」を立てなおして「信仰」の、宗教の世界に帰ったことだけは確認できる。彼は宗教についてこう語っている。
 「善悪を分ける境界線が通っているのは、国家の間でも、階級の間でも、政党の間でもなく、一人一人の心の中、すべての人々の心の中なのである。…それは悪につかった心の中でも、善の小さな根拠地を囲んでいるし、最も善良な心の中にも、根絶されない悪の住みかがあるのだ。それ以来私は世界のあらゆる宗教の真理を理解した。それらの宗教は人間の中にある悪と闘っているのだ。悪をこの世から追放することはできないが、人間の一人一人の中でその領域を狭めることはできるのだ」(「群島」第四部「魂と有刺鉄線」第一章「向上」)。「イワン・デニソヴィチの一日」にほんのちょっとだけ出てくる、政治囚アリョーシャはプロテスタントのバプテスト派の信者でその信仰のゆえにぶちこまれたのだが、「自由が何です?あなたは監獄にいることを、かえって喜ぶべきなんです。ここにいれば、魂について考える時があるじゃありませんか!」と語っている。「収容所生活」という刑罰がまったくダメージとはなっていないで、むしろこの収容所生活を超越していることが、この発言からわかる。国家権力はけしてこういう信仰者を撲減はできない。神の言葉よりも、国家権力の言葉を受け入れる宗教指導者層は、国家秩序(ソ連邦・束欧)の崩壊とともに、消滅してしまうだろう。先のアリーシャはロシア正教の僧らが「ぶちこまれないのはしっかりした信仰をもっていないからですよ」と語っている。他方国家の追害、弾圧にも屈することのない信仰者集団は、いわば「教会の種」の存在であって「その種、その岩の上に」新しい教会、信仰共同体が芽生えるはずである。
 ソルジェニーツィンはじっくり自己吟味したのちに、自分たちを苦しめている当局側の人々と同じ弱さが自分の中にあるのを発見した。国家の高級官僚たちの無神経さや死刑執行人らの残酷さについて聞かされるたびに「私は大尉の肩章をつけていた自分のこと、戦火に包まれていた束プロイセンを進撃していた私の中隊のことを思い出して、こう自分に言い聞かせた『それにしても<われわれ>がそれよりましだったといえるのか』」。そしてついに彼は驚くべき結論を引き出した、
 「監獄よ、おまえに祝福あれ!私の人生におまえがあったことを感謝する!」

 私はこの言葉を読んで、第二イザヤの預言の言葉を想起した。彼は前五四〇年ころ捕囚の地バビロニアで捕囚の民にこう語った、
    「見よ、私(神)はあなたを練った。
  しかし銀のようにではなく、
  むしろ苦しみの炉であなたを試みた」(イザヤ四八・一〇)
 「銀を練る」とは銀の精錬のこと、神は捕囚という「苦しみの炉」をその民に課すことによって民を鍛練なさったといっている。民はこの苦しみをくぐりぬけて「鍛えられ」不純物を取り除き、精錬、すなわち実存の変貌をとげていく。パウロはこの関連を別の用語で、いわば希望の弁証法について語った、
 「患難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望をつくり出すことを私たちは知つているからだ。しかも希望は恥をかかされない」(ロマ五・三~四)。