建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅱ-旧約聖書における絶望と希望-8 第二イザヤ

第二イザヤ
 第二イザヤとは、イザヤ書四〇~五五章を書いた無名の預言者で、通常第二イザヤと呼ばれている。彼は、第一イザヤよりもほぼ一五〇年後、かつバビロニアの捕囚の地で活動をした。預言者エゼキエルのほぼ二〇年後、前五五〇~五三八年ごろバビロニアの捕囚の地で活動した。
 バビロニア帝国をめぐる政治的な情勢は大きな転回点を迎えていた。ネブガドネザル王の死後(前五六二年)、バビロニアは急速に衰えた。かわって台頭してきたのがペルシャのクロス王である。クロスはメデア(北部メソポタミヤの王国)を征服し(前五五〇年ころ)、次にリュデア(トルコにあった王国、その最後の王クロイソスについて、ヘロドトスの「歴史」が詳細に伝えている。クロスとクロイソスのやりとりも言及されている)をも征服した(前五三九)。第二イザヤの預言活動はクロス王の一連の征服事業と結びついている。バビロニアの捕囚の民は、クロス王によって祖国への帰還を許され、かつエルサレム神殿の再建の命令を受けた(前五三八年、エズラ書一~二章)。六〇年にわたるバビロン捕囚が終ることになったのだ。第二イザヤの希望として「クロスのテーマ」を取り上げたい。

クロス王のテーマ 
 捕囚はすでに四〇数年も続いていた。かってエレミヤは「あなたがたの子孫には希望がある」と語ったが(エレミヤ三一・一七)、父母たちはその地で死んで、時代はその息子娘、孫たちの代に移っていた。捕囚の人々の苦しみ、あがき、うめきはいくつかの箇所にしるされている。
 「イスラエルよ、 なにゆえあなたは言うのか。
  私の道はヤハウェの前に隠され、
  私の訴えはわが神の前を過ぎ去る、と」(イザヤ四〇・二七)。
 「しかしシオン(イスラエルの捕囚の民)は言った、
  ヤハウェは私を捨てた、ヤハウェは私を忘れられたのだ、と」(四九・一四)。
 このような神のみ手がわからなくなったとの苦悩とは別に、もう一つの疑問、葛藤が人々の間に拡がった。「捕囚の身になった点からみて、結局のところ、イスラエルの神ヤハウェよりも、バビロニアの神々のほうがはるかに力があるのではないか」という疑問である。「第二イザヤは、いったい誰が世界史を支配しているのか、という問いをきわめて鋭く提出した。そして彼の答え方はまったく驚くに値するもので《未来のことを前もって語らせる存在が世界史の支配者である》と言ったのだ」(ラート「旧約聖書神学」第二巻)。
 第二イザヤはバビロンの神々とイスラエルの神とを対比させて、こう語る、
 「ヤハウェは言われる、
  あなたがた(バビロンの神々)は訴えを出せ、あなたの証拠を出せ、
  進み出て、起ころうとすることを告げよ。
  《先のこと》が何であったかを告げよ。
  そうすれば、われわれはそれに心をとめ、注目しよう。
  《来たるべきこと》をわれわれに聞かせよ。
  《その後に来たるべきこと》を告げよ。
  そうすれば、あなたがたが神々であることを認めよう」 (四一 ・二一~二二)。
 ここでは法廷における、何が真実であるかをめぐる訴訟の語り口で、バビロンの神々に対して、イスラエルの神ヤハウェが論争を挑んでいる。「先のこと-来たるべきこと」の対比は、国際政治的な文脈でペルシャの王クロスによる征服事件と関連して語られている。その場合「先のこと」はクロスのリュデア征服を(前五四七)、「来たるべきこと」はクロスによるバビロン征服を(実現は前五三七)を指している。そして第二イザヤがこの預言をしたのは、この事件の間の時期であった(前五四七~五三七)。ここでは「来たるべきことをわれわれに告げよ」つまり未来の事件を前もって告げる者、予告能力をもつ者こそ、世界史の真の支配者、神である、またイスラエルの神ヤハウェがバビロンの神々に対して圧倒的に優越しているのもこの点である、と述べられている。
 「見よ、《先のこと》はすでに起こった。
  《新しいこと》を私は告げる。
  それが出現する前に、私はあなたがたに聞かせよう」(四二・九)。
 ここの「新しいこと」は、すでに言及した「来たるべきこと」と同じで、バビロン征服を指しているが、 この時点ではいまだ実現されていない。
 さて第二イザヤはクロス王についてこう語っている。
 「私はヤハウェ、義をもってあなた(クロス)を召し、
  あなたの手をつかんであなたを守り、あなたを民の契約とし、
  諸国民の光とした。
  こうして目の見えない者の目を開かせ、
  囚われ人を獄屋から、暗きに座す者を牢から出させる」(四二・六~七)
 「ヤハウエは言われる、
  クロスについては、彼はわが牧者、わが意志をみななし遂げる、という。
  ヤハウエは、その《受膏者・メシア》クロスにこう言われた、
  私は彼の右手をつかみ、 諸国民を彼の前に屈伏させ、
  王たちの剣を解き、彼の前に扉を開かせる」(四四・二八~四五・一)。
 「わが僕ヤコブのために、わが選びしイスラエルのために、
  私はあなた(クロス)の名を呼んだ。
  あなたは私を知らないが、私はあなたを指名した(四五・四)。
  私は義をもって彼(クロス)を起こし、彼の道をすべて平らにする。
  彼はわが町を建て、わが捕囚の民を解放する。
  値のためでも報酬のためでもなく」(四五・一三)。
 ここではクロス王は「神の牧者」(四四・二八)「神の受膏者」(四五・一、受膏者はメシアのこと) 「諸国民の光」(四二・六)「捕囚の民の解放者」(四五・一三)と呼ばれている。
 第二イザヤの目は、クロスによってすでに巻き起こっている世界史的な政治的軍事的な変動、メディア、リュデア征服に惹きつけられ、巻き起こされたうねりが今やバビロンにまで迫ろうとしているのを見て取っている。現在の閉ざされた捕囚の状態、永続化固定化していているような捕囚の厚い壁を外からうがつような変化が起きたと映ったのだ。バビロニアの支配体制は今やクロスによって鎚 (つち) が打ち込まれている。第二イザヤの視線はクロスがなし遂げた征服事件の一つ一つにびたりと当てられ、吸い寄せられ、白熱化した目でそれを追っていく。その政治的軍事的な激変が、自分たちの捕囚の運命にも大きな変化、解放をもたらすようにみえるからだ。第二イザヤの希望の形の一つは、この世界史的激動への希望である。その激動が自分たち「捕囚の民を解放する」可能性を秘めていて、彼ら捕囚の民の心に灯をともすからだ。
 マルクス主義哲学者、古在由重の「戦中日記」(出版一九四七年ころ「著作集」所収)は、クロスのテーマと関連している、と私たちは考えた。政治犯として(治安維持法違反)病気保釈中であった古在氏は、一九四四~四五年の項で、ヨーロッパ戦線における連合軍のシシリア島上陸、束部戦線におけるソ連軍の反撃、ドイツ軍のイタリアからの撤退などの状況を、新聞のわずかな報道を手がかりにして戦況全体を分析している。そしてドイツの敗北と日本の終局的敗北を正確に読み取っている。古在氏はこのような世界史的な激動の中に、自分たち政治犯の解放の遠くないのを確信している。これは第二イザヤの希望像である。この希望像がグローバルな、世界史的視点と関連するのも、両者に共通している。しかしながら、これだけでは第二イザヤは歴史哲学者となってしまおう。
 第二イザヤの預言を読んでみると、二つの点で彼は政治的な領域を突き抜けている。
 一つは、彼は世界史の真の支配者がクロス王なのか、イスラエルの神ヤハウェなのかという問いを提起して、新しい歴史的な変動の主動者はヤハウェであって、クロスは神の単なる「器」にすぎないと回答している。ラートはこのポイントについて述べている、
 「イスラエルのみならず、全世界の注目をクロスに向けさせるのは、ヤハウェご自身である。ヤハウェがクロスを『起こした』のであり(四一・二、四五・一三)、彼に語りかけ、その手をとり、その名を呼んだ(四二・六、四五・五)。…今や世界の統治者としてクロスがヤハウェの意志を行なう(四四・二八)。しかしヤハウェのこの世界史的な歴史計画の真の対象はイスラエルであり、そうでありつづける。彼らのためにクロスには世界帝国が備えられたのである。バビロンを征服して、捕囚の人々を故国に帰らせるのは、クロスであるからだ」。
 第二イザヤが政治的な領域を突き抜けている、もう一つは、クロスのテーマは四五章を頂点にして四八章(前半)をもって終わっている点である。これはクロスに託された使命が政治的解放に限定されているためである。第二イザヤの目は、クロスを超えてその背後にいます神ヤハウェに向けられる。「第二イザヤは歴史哲学者ではなく、むしろ歴史神学者である」(マルチン・ブーバー)。

新しい出エジプト
 第二イザヤは、「先のこと-新しいこと」の対比を先の国際政治的な文脈ばかりでなく、救済史の文脈でも語っている。この文脈では「先のこと」は、クロスのリュデア征服ではなく、かつての「出エジプト」、荒野の放浪という神の解放の出来事を指している。他方「新しいこと」は《捕囚からの解放と故国への帰還》を意味している。この解放を実現するのはクロスではなく、ヤハウェである。「真の救済の出来事は捕囚の人々の脱出と帰還であり、その民に同伴なさるヤハウェご自身のである」(フォン・ラート)。
 「新しい出エジプト」については次のように語られている、
 「ヤハウェはこう言われた、
  《先のこと》を思い出してはならない。
  《いにしえのこと》を心にかけてはならない。
  見よ、私は《新しいこと》をなす」(四三・一八~一九)。
 「《先のこと》を私はずっと以前に告げた。
  それを私の口から出して知らせた。
  私はそれをにわかに、それを実現した(四八・三)。
  今や《新しいこと》を、私はあなたに知らせよう。
  あなたがまだ知らない隠されたことを。
  今それは成る。以前からではない」(四八・六~七)。
 ここでは「先のこと」すなわち「出エジプト」という解放の事件が想起されて、その出来事が神による「予告一実現の形」をとったとされ、かつイスラエルはその救いの体験者、証人であるという(四四・八)。そして過去の救いの出来事「古い出エジプト」の生起の仕方が踏襲されて、今や「新しい出エジプト」が告げられる。それゆえ古い出エジプトの出来事は「新しいこと」すなわちバビロン捕囚からの解放(四五・一三「わが捕囚の民の解放」)「新しい出エジプト」にとって「予型」となる。捕囚という現在の苦しい状況にこの「予型」という考えが導入されると、捕囚は古い出エジプトの出来事と同じ生起の仕方「予告一実現」に組み込まれ、捕囚のただ中での「新しいこと」捕囚からの解放の「予告」は「予告-実現の形」を踏襲するのであるから、その解放の出来事が《近く必ず起こる》との、解放へのときめきをますます増幅させるものとなる。
 第二イザヤは、捕因からの解放の出来事が、三つの点で「出エジプト」よりまさっているとみている。 第一に、かって「出エジプト」では人々は《急いで》脱出しなければならなかったが(出エジ一二・一一)、これに対して捕囚からの解放ではその必要はない。
 「あなたがたは急いで出るにはおよばない。逃げ去ることもない。
  ヤハウェはあなたがたに先立ち、
  イスラエルの神はあなたがたのしんがり(一番うしろの者)となられるからだ」(五二・一二)。
 第二の、まさる点は、かっての「荒野の放浪」においては、水や食物の不足が深刻な問題となったが、ここではそのような苦労はない。
 「彼らは飢えることも、渇くこともない。…
  彼らを憐れむ方が彼らに伴い、彼らを泉のほとりに導かれるからだ」(四九・一)。
 第三の、まさっている点。かつての出エジプトでは、追撃してきたエジプトのパロの軍勢は紅海に沈んで滅ぼされ、これを見たモーセイスラエルの民は「勝利の歌」を歌った(出エジ一五章)。この解放事件においては「ヤハウェご自身の帰還」として高らかに「喜びの声」があがる。
 「天よ、歌え。地よ、歓呼せよ。山々よ、喜びをもって歌え。
  ヤハウェはその民を慰め、その苦しみを隣れまれたからだ」(四九・一三)
 「平和を告げ、よきおとずれをもたらし、救いを告げ、
  シオンに向かって、あなたの神は王となられた、と語る《喜びの使者》の足は、
  山々の上にあって何んと美しいことか。
  聞け、あなたの見張り人は、声をあげて共に歓呼している。
  彼らは目と目をあわせて、《ヤハウェの帰還》を見るからだ。
  エルサレムの廃墟よ、声を放って共に歓喜せよ。
  ヤハウェはその民を憐れみ、エルサレムを贖われたからだ」(五二・七~一〇)。
 ここにある 「喜びの使者」 は神の救いの接近を告げる希望の使者でもある。

 他の箇所では「希望」という用語はこう用いられている。
 「島々(海沿いの国々の人々)は、私を《待ち望み・キーヴァー》、
  わが腕を《待つ・イッへール》」(五一・四)
 ここでは希望の根拠は、ヤハウェの救いの行為である。
 「こうしてあなたは知るであろう、私がヤハウェであり、
  私を《待ち望む者》は恥を受けないことを」(四九・二三)。
 「ヤハウェを《待ち望む者》は力を得、
  鷲のように翼をはる。
  走ってもうまず、歩むとも疲れない」(四〇・三一)。
 このように、第二イザヤは希望を、この世において与えられている「原理」(マルクス主義?)とか、人間実存の「実存論的なもの」(ハイデッガー?)とかではなく、使者(預言者)をとおして神から発せられる言葉で告知される「神の行為に依拠して生きること」としてのみ理解している。