建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅱ-旧約聖書における絶望と希望-3 預言者エリア

預言者エリア
 エリアは、 その預言活動が自分や弟子らによって文書として残された記述預言者ではないが、イスラエルにおける最初の預言者である。エリアの活動の時期は、前八六九~八五〇年ころ(北王国のアハブ王のころ)。彼の活動は、列王紀上一七~一九章、二一章、下一章に述べられている。
 出エジプトをして、カナンの地に定住したイスラエルは、ダビデ王(在位前一〇〇〇~九五〇年ころ) によって大きな王国をつくったが、その息子ソロモン王の時期に、イスラエルヤハウェ宗教は、土着の「カナン宗教」の強い影響をうけて、特にその豊稜の神々「バアール宗教」とのシンクレティズム・宗教混清の危機にさらされた。政治的にもソロモン王の死後、北王国イスラエルと南王国ユダに分裂した(前九二二)。このバアール宗教との混清した「バアール化したヤハウェ信仰」(関根正雄)と対決し、本来のヤハウェ信仰を捨てたり、バアール崇拝を採用する王の宗教政策を批判し続けて、王や民衆に「ヤハウェに帰れ」と主張したのが、イスラエル預言者たちであった。彼らの活動は宗教的領域に限定されるものではなく、政治的な権力への依拠を偶像崇拝すなわちヤハウェへの背信とみなすなど(イザヤ、エレミヤなど)政治的領域にも及んだ。
 エリアはヨルダン川東側のギレアデの出身で、イスラエルの正統的なヤハウェ信仰のもつ排他性(シンクレティズムの排除) の伝統を受け継いだと思われる。当時の北王国ではヤハウェ信仰は先のバアール宗教との宗教混清を起こしていた。北王国のオムリ王(アハブ王の父、王位八七六~八六九)が新たにつくった首都サマリアにはヤハウェの神殿はなく、バアールの神殿が建てられた(列王上一六・三二)。
 「オムリは王国強化のために隣国との同盟政策を試みたが、次の王アハブの妻イゼベルをとおしてツロ(西隣のフェニキア都市国家)との政治的経済的な結合が緊密となった。この王妃はツロの王女であったからだ。イゼベルは個人的に故郷のフェニキアの祭儀形態を固持したばかりでなく、北王国においてもこのバアールの祭儀の組織とその預言者たちを支持した。『エリアはアハブ王にいった、バアールの預言者四五〇人、アシラの預言者四〇〇人、イゼベルの食卓で食事をする者たちをカルメル山に集めなさい』(列王上一八・一九)。首都以外の地域では人々はまだヤハウェを礼拝していたが、宮廷や都市の上層階級はバアール崇拝をおこなった。したがって地方において見出された真正なヤハウェ崇拝は、完全に守勢に追いやられた。ヤハウェ祭儀がこのように鋭い脅威にさらされたこの時期に、エリアは登場した」(フォン・ラート「旧約聖書神学」第二巻)。
 エリアはただ一人でカルメル山で四〇〇人のバアールの預言者たちと対決して、一頭の牛を切り裂いて薪の上に乗せて、この薪に火をつけることができるのは、ヤハウェなのかバアールなのか、を民衆の前で明らかにしようとした。その結果ヤハウェの火が下って薪を焼き尽くした。民衆は 「ヤハウェこそ神である」と言ってひれ伏した。エリアはバアールの預言者らを捕らえさせて、殺させた(列王上一八章)。この一件を知つた王妃イゼベルは怒りエリアを殺させようとした。エリアは彼女を恐れて南西部の町ベエルシバに逃れていった。
 「それからエリア自身は荒野に入り、さらに一日の道のりを歩き続けた。彼は一本のえにしだの木の下にきて座り、自分の生命が絶えるのを願っていった『主よ、もう十分です。私の生命をとってください。私は先祖にまさる者ではありません』。彼はえにしだの木の下で横になって眠った」(列王上一九・四~五)。
 神の預言者が《絶望して自分の死を神に願ったもの》として、私たちはこの箇所を見過ごすことはできない。絶望して死を願う箇所は数少ないがほかにもある。ヨブ七・一五~一六「わが魂は息の止まることを願い、わが多くの苦しみよりもむしろ、死を選ぶ。長く生きることを私は望まない」。もう一つは、旧約聖書外典トビト三・六「私にとって死は生命にまさる。避けがたい災いにあって生きるより、むしろ死が望ましい」(トビトは落下した鳥の糞によって失明し、他人の施しを受ける身になったのをいたく嘆いた)。
 エリアの絶望の原因をラートはこう見ている、
「エリアが見い出した、このようなヤハウェ信仰の終結にこそ、彼の絶望の真の根拠がある。この預言者が自殺まで駆り立てられ困り果て諦めたということ、これは極端な範例的な形をとっている。なぜなら預言者は神の口と腕とによるほかは、開示されるものを知らないからである。いったいこの預言者のように弱りはてた者がいるであろうか」(前掲書)。

残りの者
 この後エリアは神の山ホレブ、シナイ山に着いて、その山頂でこう神に訴えた、イスラエルの人々は神の契約を捨て、その祭壇をこわし神の預言者たちを殺し、最後の一人である自分の生命まで取ろうとしている、と。これに対してエリアは神の「静かな細い声」を聞いた。
 「私はイスラエルに七〇〇〇人を残す。これは皆、バアールにひざまづかず、口づけしない者である」(列王上一九・一二以下)。自分がヤハウェ信仰者の最後の一人だと訴えたエリアに、神は答えられた。否、イスラエルはまだ終ってはいない、ヤハウェの前には「七〇〇〇人の残れる者」が存在している、この「残れる者」から新しいイスラエルが成長すると。エリアにとっては「この残りの者の存在が《希望のしるし》となったのだ」(フォン・ラート)。