建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

イザヤの召命(2) イザヤ6:6~7

1996-9(1996/6/19)

イザヤの召命(2) イザヤ6:6~7 

 6:6~7「その時セラフィムの一人が、その手に燃える炭火を持って私のもとに飛んできた。その炭は祭壇から火ばしで持つてきたものであった。彼はそれを私の口に触れて言った。『これがあなたの唇に触れたとき、あなたの咎は除かれ、あなたの罪はおおわれた』」。
 この箇所では、明らかに「罪の赦し」が主題となっているが、通常の罪の赦しとは方法が異なっている。通常の罪のゆるしは「血はその中の生命をとおして贖いをする」(レビ17.11)。「贖いは通常の場合、動物による代理的死によって行なわれる。…贖いを行なうのは究極的にはヤハウエである」(レビ16章、フオン・ラート)。
 しかしここでは動物犠牲の「血は流されない」。その代わりに、祭壇からとられた「燃える炭」が言及されている。民数31:21以下には「すべて火に耐える物は、火の中を通さなければならない。そうすれば、清くなるであろう」とある。これを根拠にして、「火と同様に燃える炭も清める力を持っている」とされる(カイザー)。祭壇の火は罪をきよめる。ここではセラフィムが「燃える炭をイザヤの口に触れると《咎・アヴォン》が除かれ、《罪・ハッター》がおおわれた」とある。「咎が除かれ」は咎・罪責の消去されること、また「おおわれる」の訳語は、ルタ一訳、協会訳が「赦された、和解された」。関根、カイザーが直訳で「おおわれた」。申命21:8「血を流した咎をおおってください」、詩32:1「その咎を赦され、その罪をおおわれた者は幸いだ」ロマ4:7、詩85:2「あなたは彼らの罪をすべておおわれた」、第一ペテロ4:8「愛は多くの罪をおおう」など。「おおわれるとは、罪がこの仕方で神の前に隠されることではなく、むしろ罪責ある者が自分の違反行為のゆえに避けえない帰結・罰からずっと守られることを意味する」(カイザー)との解釈は、罪自体が赦されるかどうかについて、あいまいさが残る。セラフィムは「あなたの咎は除かれた」と告げた、決して罰を免れたとは言つていない。むしろ「罪はあばかれると消えず、《おおわれると癒される》ことは、神の恵みの働き」であるとの注解のほうがよい(関根)。旧約聖書には、このような罪の赦しの例はない(カイザー)。
 8~9前段「その時、私は主の言われるのを聞いた『私は誰を遣わそうか、誰が私たちのために行くだろう』。そこで私は言った『私がここにいます。私をお遣わしください』。すると主が言われた『行け、この民に語りなさい』」。
 1~7節におけるイザヤの見神、罪の赦し体験が、8、9節の召命とどうつながるかのポイントであるが、見神体験をとおしてイザヤは、自分と民の「汚れ」を知り、かつ罪の赦しも体験した。その体験はそれまでのイザヤの存在、人生の終局の自覚であったにちがいない。「私は減びる」(5節)。 しかし、そればかりではなく「あなたの罪はおおわれた」(7節)との贖罪体験は文字どおり、イザヤの「再生」を意味した。過去の人生が終息し、現在の生と断絶される。神によって全く新たにされた存在、イザヤに、神の派遣の声が聞こえたのは、きわめて自然ななりゆきである。「私は誰を派遣しようか」という神の声に、「私をお遣わしください」と応答したのは、当然にも、真実にも響く。「私をお遣わしください」は、主の召命を拒んだエレミアなどに比べて(1:6)、きわめて男性的、イザヤ的である。真に再生した人間のみが発する言葉である。

 さて次にイザヤの活動が政治問題そのものに関わる箇所をいくつか取り上げたい。
 7:1~6「ウジアの子、ヨタムの子である、ユダの王アハズの時、スリアの王レジンとレマリアの子、イスラエルの王ぺカがエルサレムに攻めのぼってきた。アハズは彼らと戦争できなかった。おりしも『アラム(シリア)がエフライムに集結している』とダビデの家に告げられた。それで、王の心と民の心は嵐を前にした林の木が揺れ動くように動いた。その時、主はイザヤに言われた『あなたとあなたの子シェアル・ヤシュブは出ていって布さらしのそばの大路にそう上の池の水道の端で、アハズに会い、彼に言いなさい、気をつけて、静かにふるまいなさい。恐れてはならない。二つのくすぶっている燃え差しがくすぶり、レジンとアラムとレマリアの子の怒りに、あなたの心を弱くしてはならない。アラムがあなたに対して悪を計っているからである。私たちはユダに侵入して、これを脅し私たちのために攻略して、そこにタベエルの子を王として立てよう』」。
 ここは「シリア・エフライム戦争」を述べたものである。イザヤの前期の代表的な活動である。1節にあるように、前734年、シリア王レジンと北王国イスラエルの王ペカは「反アッシリア同盟」を結び、ユダの王アハズを誘ったが、アハズはそれに参加しなかった。それでレジンとペカの連合軍がエルサレムに侵攻した。列王下16:5以下。
 1節の後半を協会訳は「勝つことができなかった」とするが、関根訳は「アハズはこれを迎え撃つことができなかった」、カイザ一訳も「アハズは彼らと戦争できなかった」。アハズには迎撃体勢がとれなかったことを意味するが、問題はもっともっと深いところにある。つまり政治的軍事的ばかりでなく、信仰的問題ーーアハズがヤハウエに真に従うかどうかが浮き彫りになっていく。
 2節の後半「王の心と民の心は、嵐を前にした林の木が揺れ動くように動揺した」は、その時点におけるエルサレムの状況、王も民も神に信頼することはどこかにふつとんでいる姿を示している。
 3節にあるイザヤの息子の名「ジュアル・ヤシュブ」は象徴的で、その意味は「残りの者は帰る」。「残りの者」とは戦乱で絶減を免れた民族の残存者のこと。「帰る」は神に立ち帰ること(ツインメリ)、悔い改め(関根)。残りの者が神に立ち帰るとは民の将来の希望を示す(ツンメリ)。
 イザヤがアハズ王に主の言葉として語ったのは「気をつけて、静かにしなさい。恐れてはならない」であった(4節)。「恐れてはならない」は5節にある「レジンとペカの侵攻に心を弱くしてはならない」と同様、政治的宗教的意味を持つ。宗教的には真に神を恐れよ、神のみを信頼せよ、を間接的に示唆し、それゆえに、軍事的な侵攻者たちを恐れるなとの勧告である。
 「静かにふるまう、静かであれ」も、特別な内容を持ち、ここでのポイントである。ここをどう解釈すべきか。まず9節「あなたがたは信じないならば、立つことができない」との関連がある。アハズはこの動揺で一つの行動をとった。
 「そこでアハズは使者をアッシリアの王テグテトピレセルに遣わして言わせた『私はあなたの僕、あなたの子です。シリアの王とイスラエルの王が私を攻め囲んでいます。どうぞのぼってきて、彼らの手から私を救い出してください』」(列王下16:7以下)。そして実際テグレトピレセルはイスラエル王国に侵攻して領土の重要な地域を占領した(列王下15:29)。
 9節の「信仰は、自己救済を離れること、自分たちの政治的軍事的な関与によって神の働く場をふさがないこと」を意味している(フォン・ラート)。
 ここの「静かであれ」も全く同じ意味である。すなわち「何もしないでじっとしておれ」非軍事的行動をとれということではなく、また落ち着いて恐れず戦闘せよということでもない。ここでは政治的意味と信仰的意味とが結合している。「静かであれ は信仰的に「神を恐れ、信頼すること」である。この次元を忘れ切り捨てたアハズのアッシリアへの援軍依頼は、イザヤの勧告を無視した主を恐れない不信仰そのもの行動である。その結果はあまりに重大で北王国は事実上壊滅に近い状況となった。アッシアへのアハズの依存は「自己救済の変形」にすぎないからである。
 国家の存亡の危機の中で「静かであれ」と語るイザヤの真意は、王と民を神の前に立たせ「神に信頼せよ」との呼び掛けであった(9節)。それは「静かにせよ」であって、神の歴史における活動を待てとの勧告であった。