建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

ユダヤ教における死人の復活2  ダニエル12:1~2

2000-21(2000/6/18)

ユダヤ教における死人の復活2  ダニエル12:1~2

 第三に、死人から復活した者たちの「存在樣式」はどのように述べられているのか。「そして賢者らを導いた者らは明るい大空のように輝き、多くの人々に正しい道に導いた者らは、いつまでも永遠に星のようになるであろう」(ダニエル12:3)。
 「その時、聖者たちと選民たちに《変貌》が起こり、日の光が彼らの上にとどまり、彼らは栄光と栄誉のなかにある」(エチオピア語エノク50:1)。
 復活させられた者の「変貌のテーマ」について自覚的に取り上げたのは、後一世紀後半に成立した「シリア語バルク黙示録」である。
 「あなたの日に生きる者はどういう形で生きるのでしょうか。またそののち彼らの姿はどういう形で残るのでしょうか。その時、今のようなこういう形をとり、この桎梏の肢体をまとうのでしょうか(シリア語バルク黙示録49:2以下)……その時、地は今受け入れてあずかっている死者をまちがいなく、返すであろう。私(神)が彼らをそれに引き渡したそのままの姿で、地は彼らを復活させるであろう。その時には、死んだ者が生き返り、去った者がもどってくるのだ」(50:2以下)。
 ここでは死者の普遍的復活を前提とし、変貌も罪人と義人双方に起こるものとされ、またこの変貌は復活後ただちに起こるものではない。「定められたその日が過ぎたのち、罪人とせられる者たちの姿、義人とせられる者たちの栄光が《変化する》であろう。今、不義を行なっている者たちの姿は、彼らが拷問に耐えられるように、今よりもっと悪くなるであろう。同様に、今私の律法に照らして義人とされている者たち、その生涯において叡知を獲得した者たち、その心に知恵の根を植えつけた者たちの栄光も《彼らの顔も変化して輝き、彼らの顔形は彼らの栄えの光に照らされて変わり》、彼らに約束された《死することなき世界》をわがものとして受け取るであろう。…今でこそ下積みとなっている者たちがその時には、自分(罪人)たちより上になり、栄誉を得て、互い(罪人と義人)の位置が逆転しているのを見る。一方は《天使の姿》に似る〔マルコ12:25のイエスの言葉「死人の中から復活する時には、めとることも嫁ぐこともなく、ちょうど天使のようである」を想起させる〕。他方は幻に驚く。…自分の行いによって救われた者、今律法を望みとし叡知を希望とし、知恵を堅固な土台とした人々には、定められた時に不思議が姿を見せるであろう。彼らは今彼らにとって《不可視の世界を見、今彼らの目に隠れている時を見る》であろう。もはや時は彼らを《老いさせない。彼らはその世界の高みに住み、天使に似た者となり、星と肩を並べ、自分の好きなように姿を変え、美から華麗へ、光から栄光の輝きへと変わり、彼らの眼前で楽園がおし広げられる》」(51:1~12)。

 原始キリスト教は、後期ユダヤ教の黙示思想(世の終末、最後の審判、死者の復活などの思想)における「切迫した人の子の来臨の待望」「世の終りの時に死人が復活するという待望」を引き継いだ(マルタの言葉「彼が最後の日に復活することは、私も知つています」ヨハネ11:24、さらにパウロの手紙、第一コリント15章)。ユダヤ教の内部ではパリサイ人が、復活という教理を信じていた「サドカイ人は復活も天使も霊もないといい、パリサイ人はこれらをみな受け入れていた」(行伝23:8)。ユダヤ教の律法をめぐってイエスはパリサイ人らと激しい論争をされた。またパウロユダヤ教と対決してこの律法・割礼からの解放として福音を宣教した。
 しかし他方で原始キリスト教、初代のキリスト者は後期ユダヤ教から「死人の復活」という教理を受け継いだ。「死人の復活」は初代のキリスト者の初歩的教理の一部とみなされた(へブル6:1以下)。宗教的な伝統を異にする異邦人教会も、後期ユダヤ教の黙示思想「死人の復活」という教理を引き継いだのだ。
 イエスの復活を理解しようとする場合、復活が科学的にみて可能かどうかをまず問うのではなく、復活という表象のもつこの宗教的歴史的文脈「死人の復活」をまずもってふまえなければならないイエスの復活は「死人の復活」と密接な関連の中で論議され信じられるべきだからだ。第一コリ15:12以下。「死人が復活しなければ、キリストも復活されなかったであろう」。