建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

実存の変貌2  ロマ5:3~4

2000-42(2000/11/19)

実存の変貌2  ロマ5:3~4

 それゆえ「魂の分かれ道」は《結果が重要である》という哲学と《本質が重要である》という哲学との分岐点である、と言い換えられる。
 「人間理解の高みからは、手にとるようにわかる一重要なのは結果ではないことが。いや、《結果》ではなく、その《精神》なのだ。何をしたかでなく、いかにしたかなのだ。何が達成されたかではなく、どんな犠牲を払ってやったかなのである」
 彼はこう考えた一もし結果が重要なら、一般作業を避けるために、頭をさげ、機嫌をとり、卑劣な行為までして特権囚の地位を維持しなければならない。これにたいしてもし本質が重要なのなら、もはや一般作業を受け入れなければならない。あなたが脅しも恐れもなくなり、報酬を追求しなくなった時、あなたは主人たちの看守の目にもっとも危険な人物として映るのである。なぜならあなたを攻める方法がなくなったからだ。
 ガーリャという政治囚の娘は、特権囚である看護婦をしていたが、それが医療のためではなく、自分の生活を楽にしているに過ぎないと知つて、意地をはって一般作業(屋外の肉体労働)に移り、それが精神的な救いをもたらしたと、彼女は告自したという。
 ソルジェニーツィンの実存の変貌が起きるのはこの時点からだと彼は述べている。「もしあなたが一度でも《どんな犠牲をはらっても生き残る》という目的を拒否して、落ち着いた純朴な人々の歩む道に踏み入れるならば、その自由を奪われた状態は、あなたのこれまでの性格を驚くほど変えてしまうのである」。
 それまで心には、惡意、憎悪、焦りがあったが、それとは「正反対の感情」が芽生えてくる。以前には敗者を容赦なく批判したのに、今では「理解力のある柔和さ」をもつに至る。自分の弱さを知つて他者の弱さを理解するようになり、また他者の強さを正当に認め見習うようになる。さらに「自制心」が身につく。吉報にはも喜ばず、不幸にも動じなくなる。一このあたりは使徒パウロの「患難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望をつくり出す」(ロマ五章)を想起させる。
 「以前はひからびていたあなたの魂が苦悩を体験して潤うのである。一まだ同胞を愛するようになっていなくても、自分に近しい者は、自由を奪われたあなたの周囲にいる精神的に近しい者は愛するようになる。われわれの中の多くの者が認めていることだが、ほかならぬこの自由を奪われている時に、われわれは初めて真の友情を知つたのである」。このあたりで彼は自分のこれまでの生活をふり返り、見直した。これはドストエフスキーの場合とよく似ている。確かに自分は無実で投獄された。国家の前で、法律の前では、自分は後悔することは何もない。だが良心の前ではどうか、他の人々の前ではどうか…。
 ソルジェニーツィンは収容所の外科の病室に横たわって時、囚人の医師コルンフェリドと二人きりで語り合う機会をもつことができた。この医師は、ユダヤ教からキリスト教に改宗した人で、そのきっかけはある老人の囚人仲間のおかげであったという。トルストイの「戦争と平和」の主人公ピエールが、ナポレオン軍の捕虜仲間、敬虔な農夫のプラトン・カタラーエフと出会って強烈な影響をうけたのと同様に。医師は改宗のいきさつを話した後にこう語った、
 「この地上の生活では《どんな罰も理由なく下されることはない》と私は確信するようになりましたよ。そりゃわれわれの犯した悪とは一見無関係にその罰が下るように見えることもありますがね。しかし自分の人生を顧みて深く考えてみると、必ず罰の対象となった罪を見いだすことができるのです」。この言葉を聞いて彼は「思わずぎくりと身を震わせた」という。
 医師の見方は、むろん銃殺されたり残酷な罰を受けた人々に対する当局のやりかたを正当化するものでは断じてない。他方では処罰された人々の罪責を明らかににするものでも決してない。むしろ「罪のない人こそ、誰よりも処罰されているのだ」。
 「この医師の言葉には、とにかく何か刺すようなものがあり、私自身としてはそれにまったく賛成である。多くの人もそれに賛成するであろう。監禁生活が七年目になると、私は自分の半生を振り返ってみて、何のために自分はこんな罰を一一監獄とおまけに悪性腫瘍(ガン)まで一一受けているかを了解した」(「群島」第四部 第一章「向上」)。ここでの「七年目の監獄生活」とは、政治囚のみの特別収容所にいた時期、彼が三四才のころと思われる。
 ソルジェニーツィンは病床にあった時に一つの詩を書いた。それはいわば彼のクレドー(信仰告白)とも呼べるものである。
 ああ、いつの間に私はきれいさっばり
 善意の種子を浪費してしまったのか
 私とて少年時代は《あなたの》教会の
 明るい歌声の中で過ごしてきたのに ! 

 難解な書物のきらめく記述は
 高慢な私の頭脳をつらぬきながら
 世界の神秘をあかし
 この世の運命を蝋のごとく自由に曲げるかと思われた

 血潮は沸き立ちその渦という渦は
 私の前で色とりどりに輝いてみえた
 やがて 轟音もたてず わが胸の中で
 信仰の城塞は静かに崩れた

 しかし 生と死の間をさまよい
 転びつつ その端にしがみつきながら
 私は感謝の念に胸を震わせて
 すぎし日々を見つめている

 わが人生の曲折の隅々を照らしたのは
 おのれの理解や希望でなく、
 《至高の意味》の穏やかな輝きなのだ
 それが明らかになったのは後のことだけれど

 そして今や私に返された器で
 生ける水を汲み上げながら
 宇宙の神よ!私は信じている!
 あなたを拒んだ私のそばにあなたが存在したことを

 ソルジェニーツィンキリスト者であったかどうかは、この詩からは必ずしも明らかではない。ドストエフスキーの作品に印象的に登場している、キリストという用語は一言も言及されていない。紀元後四世紀の「使徒信条」をめやすにすれば、ソルジェニーツィンの詩における「神」は汎神論的であり、かつあまりにユニテリアン的(イエスを排除して唯一の神のみを信じる立場)である。しかしながら彼がソ連の世界観、哲学から転身して一度は「崩れた信仰の城塞」を立てなおして「信仰」の、宗教の世界に帰ったことだけは確認できる。