建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

ヤコブへの顕現  第一コリント15:7

2001-25(2001/6/10)

ヤコブへの顕現  第一コリント15:7

 ハルナックは、次のテーゼを主張した「パウロはこの報告で、二つの定形伝承、一つはペテロと12人への顕現(5節)、もう一つはヤコブとすべての使徒たちへの顕現(7節)を関連づけた。ペテロへの個人的な顕現、他方のヤコブへの顕現とは原始教会における二つの党派の衝突を明らかにしている、顕現の優先はその党派の指導者のそれを指している」(「イエスの変容の歴史」1922、グラースからの引用)。しかしながらパウロの伝えるこの定形伝承(3~7節)から、ペテロとヤコブとの緊張を読み取ることはできない。
 むろん、パウロがこの伝承を引き継いだ33年ころから、パウロがこの手紙を書いた56年ころの20数年の間には、ハルナックが指摘したような衝突は起きていたようだ。エルサレムの原始教会において初めのうち、ペテロの優位は決定的である。それを権威づけたのは他でもなくこの復活伝承である「キリストはケパに現われ」5節。パウロの回心の3年後の最初のエルサレム教会訪間においても(36年ころ)、パウロが訪問した相手はペテロであり、主の兄弟ヤコブとの会見は二次的に言及されている。「それから3年後にエルサレムに上がってケパ(ペテロ)を訪ね、彼のもとに15日間滞在した。しかし使徒のうち主の兄弟ヤコブのほか会わなかった」(ガラテヤ1:18~19)。パウロはこの時期ペテロを教会の筆頭者と見ていた。しかしながら、12年後のエルサレム使徒会議においては、ペテロの優位には決定的な変化が起きている。ヤコブの位置がペテロを凌駕したのだ「柱と思われているヤコブとケパとヨハネは、私とバルナバに協力の握手をした」ガラ2:9。このヤコブの優位の理由は必ずしも明らかではないが、一つにはヤコブの律法遵守・特に割礼を厳しく守り、異邦人キリスト者との会食を避ける立場が、律法に対してより自由なペテロの立場よりも教会の中で支持された点、ペテロが伝道旅行のために教会を留守にしたことがあげられる、グラースの解釈。かくてアンティオキア教会でペテロに不名誉なスキャンダルが起きた「ケパ・ペテロは《ヤコブのもとからある人々》が来るまでは、異邦人キリスト者と食事を共にしていたが、彼らが来ると《割礼ある人々》(ヤコブ派のユダヤキリスト者)を恐れて異邦人キリスト者から引き下がって離れていった」(ガラ2:12)。ペテロのこの不甲斐ない行動はパウロによって批判された。
 パウロはこのようなことを熟知していたが、彼がハルナックのテーゼのように両者を関連づけたとは思えない。むしろパウロは伝承にしたがって年代順に証人を列挙してだけであろう。
 主の兄弟ヤコブは初めから新しい教団に所属していたのではなく、むしろ教団がすでに大きな集団を包括していた時、はじめてそれに所属したようだ。考えられるのは、ヤコブへの顕現は回心の意味を持つていなかった点だ。むしろ彼は教団に入って後に、あげられた自分の兄弟イエスを知つたのだ。行伝1:14「彼らはみな女たちとイエスの母マリアと彼の兄弟たちと心を一つにしてひたすら祈っていた」。家族がイエスの生前息子で兄を理解することなく、対立していた点は福音書のいくつかの箇所で明らかだ(マルコ3:31~35など)。「イエスの母と兄弟らが来て、人をやってイエスを呼ばせた、彼のまわりに群衆がすわっていて彼にいった『あのようにあなたの母と兄弟姉妹らが外であなたを探しています』。『誰が私の母、兄弟か』。イエスはまわりにすわった人々をみていわれた『ここに私の母、兄弟らがいる、神のみ心を行なう者こそ私の兄弟、姉妹、母である』」。ヨハネ19:25~27は母マリアを十字架のもとに立たせた。
 ヤコブについては、行伝12:17「このこと(へロデ・アグリッパ王の牢獄からのペテロの解放)をヤコブや兄弟たち[キリスト者]に知らせなさい」、15:13の、使徒会議でのヤコブの演説などに述べられている。これらの箇所は、すでに原始教会での彼の指導的役割を前提にしている。ヤコブが早い時点で最高の地位に到達したことは、回心の3年後のエルサレム訪問の際、パウロによって、ペテロにつぐ第二の地位の人間としてまた14年後(後48年)には第一地位の人間として述べられていることから明らかだ。(エルサレム教会の)「柱と思われているヤコブとケパとヨハネ」(ガラ1:9)。
 ヤコブへの復活顕現はパウロの回心前であるが、その顕現は復活祭の第一週のことでも、おそらく最初の月でもなかったと推定できる。その顕現を時間的に復活祭とパウロの回心の中間に設定しようとすることは、とにかく第一コリ15章とは矛盾しない。
 ヤコブへの顕現については、偽典へブル人福音書が述べている、コンツェルマン注解。「しかし主は、ヤコブのところに行って彼に姿を現した。主の杯を飲んでしまってから、主が眠っている者たちの間から復活するのを見るまでは、パンを食べないと誓っていたからだ。しばらくたって主は言われた『食事とパンを持つてきなさい』。そして主はパンをとり祝福して裂き、義人ヤコブに与えて言われた『わが兄弟よ、君のパンを食べなさい人の子は眠っている者たちの間から復活したのだから』」(へブル人福音書17、「新約聖書偽典」より)。