建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

Ⅳーイエスの十字架と絶望-3 イエスの十字架上の叫び②

旧約聖書学者クラウス・ヴエスタマンの解釈
 「神に見捨てられたという嘆きは、詩篇においては重い出口なき苦しみの表現である。詩篇の:嘆きの歌においては、 神へのこの訴えはしばしば私たちが世俗的な言葉で絶望、無意味さの深淵の経験と名づけていることを表現している。イエスが十字架でこれらの言葉を取り入れている場合(マルコ一五・三四)、イエスはそれによって自分の民族の多くの苦しむ人々の何千何百という苦しみの中に踏み入っているのである。このことをとおしてイエスは多くの苦しむ人々の中の、一人の苦しみを受けた者以外の何者でもなくなっている。イエスはこの嘆きの中で、自分の民族の多くの苦しむ人々の苦しみ、幾世代にわたる人々の苦しみが刻印されている苦しみの用語を取り入れたのである。この無意味さの中に浸透するその働きは、人類の苦しみのためにも起きたのだ。イエスの働きと苦しみは、名もなき多くの人々の苦しみの列につらなるものである」(「旧約聖書神学概要」 一九七八、村上伸訳、クラッパート「和解と解放」の邦訳版。彼の論文「アウシュヴィッツ以後のキリスト教神学におけるユダヤ人」より引用、ドイツ語版にはこの論文は入っていない)。

ハインリッヒ・フォーゲルの解釈
 「この世で最も望みなき場所はどこであろうか。病院の重患ベッドを考えるべきか、あるいは強制収容所の持問の柱、ガス室、あるいは死刑囚の独房、あるいはヒロシマの無数の犠牲者を考えるべきであろうか。どこが最も深い絶望の場所なのか、私にはわからない。しかし事実、この世で最も望みなき場所は、決して神を見捨てたことのない人間が神ご自身によって見捨てられて処刑台に架けられたところである。この場所はイエスの十字架である。それはこの世のあらゆる神の蝕とはちがった神の蝕であり、イエスはこの蝕から『わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか』と叫び声を上げられた。人間の将来がこの場所ほど全く失われたと思える場所も出来事も決して存在しない。人間のいかなる言葉をもってしても叙述できない、いかなる知識によっても決して到達できない驚異すべきことは、まさしくこの場所で、人間に、将来が、永遠の将来が開かれたことにある。この人間イエスは、神のみ子であり、したがって神ご自身であるが、自ら私たちの隣人となられた。この方は、私たち人間が自己を理解するのとはちがって、全人類の問いかけに耳を傾ける方である。自己の宗教性の無数の道で私たちは神を探し求めたが、自分自身の似姿にいきついただけであった。しかしイエスは私たちを探し求めて、私たちが絶対もうだめだ、終りだ、というところで私たちを見い出してくださった。この方に対して神は、アーメン、しかりと言われて、この方を死からよみがえらせたもうた。しかしこの方は生と死とにおいて私たちと関わろうと欲しておられたのであるから、私たちも[生と死において]この方と関わっている。かくしてこの方は私たちのために神の将来に至るドアとなられた」(チェコの神学誌「旅人の交わり」一九五九。ゴルヴィッツアー「曲がりくねった木-まっすぐな歩み」より引用)。

H・ゴルヴィッツアーの解釈
 「明らかにしなくてはならないのは、福音書に伝承されたイエスの十字架上での七つの言葉のいずれも、速記録に由来したものではないという点である。新約聖書の四つの受難物語は相異なった傾向を示している。…マルコ、マタイにおける、神に見捨てられたとの叫びは、けして史実的な報道を提供するものではないし、これら両福音書によっていやいやながらしるされたものではなく、史実的に忠実であろうとする義務のゆえにしるされたものである。たとえ彼らの師が、最後の瞬間まで大義に毅然としていた他の殉教者[ステパノの殉教など]とはちがって、内面的に打ち砕かれて全く絶望のうちに死んだことを伝えるのが苦痛であったとしてもである。ここでは史実的な報知ではなく、むしろ《神学的な報知》を得るべきである、すなわちこの箇所の解釈はただ、両福音書が最古の原始キリスト教ゴルゴタの出来事をどのように翻訳したか(H・ゲーゼ)を問うことができ、両福音書は受けた伝承から十字架でのイエスのこの言葉のみを次の世代に手渡そうとしたのであって、ルカ伝のように他のもの(おそらくマルコから受けて知っていたもの)によってすげ代えることはしていないことを、明らかにしようとしている。両福音書はイエスの死に《黙示文学的な表象》をまとわせた、すなわちイエスの大きな叫び[マタイ二七・五〇 「イエスは再び大声で叫ばれて」]は、黙示文学的な手法である。つまり当時のユダヤ教の黙示文学的な集団において考えられていたことだが、メシアは《大声を伴って》到来する[第一テサ四・一六参照]。
 最古の伝承はおそらく、ただイエスは異常な仕方で、言葉にならない大きな声をあげて死んだことだけを言っていたであろう、そしてより広範な伝承の過程ではじめて、この大きな叫びは、詩篇二二のあの節『わが神、わが神…』と結合された。あの節が初期の教会にとってイエスの死の理解に対して役立つものであったし、おそらくそのようにして、十字架の報告の特別のこの申し立てが成立し、さらにイエスの十字架の死を説明するものとなった(ルターは「キリストの苦難をこれほど明確に述べたものを他の詩篇のどこにも見い出せない」と述べた。H・ゲーゼ「詩篇二二篇と新約聖書」一九六八の論文)。
 さてここでは何が起きたかを考察しなければならない。…イエスが神に見捨てられたということは、事実、むろんここでは痛みをとおして引き起こされたイエスの主観的な感情が考えられているのではないにしても《不可能事であり、不可解な事柄》である。神と不可分のこの方が、ここでは神によって打たれ、見捨てられた神の僕(イザヤ五三章)として十字架に架けられた。この方は人間たちによってばかりでなく、この方なくしてはとうてい存在しえない方によっても、見捨てられた方として十字架に架けられたのだ。父はこのみ子なくしては、人間の神であることができないのであるが、その父がみ子を見捨てた。『真に彼はすべての者から見捨てられた』とルターは言った。神の真実がここ以上に鋭く、緊追して、考えられないほど痛烈に問いかけられたところはどこにもない。神の真実がここほど、かくも矛盾のもとに隠されたところはない。《地上において発せられる神へのあらゆる叫び、なぜという問い、私たち自身の叫び、疑問、嘆き、嘆願は、すべてこの方の叫びに引き寄せられ、まとめられ、また質的に凌駕されている》。私たちの苦悩はこの方のものである。しかしこの方の苦悩は私たちのものをはるかに超えている。なぜならこの方の苦難は肉体的なものばかりではなく、十字架刑の肉体的な苦悶をともなう死への恐ろしい不安ばかりではなく、これまでの神への確信とメシアとして派遺されているとの意識の挫折ばかりではないからだ。…カルヴィンはこのイエスの叫びを、古代教会が信仰告白で語った《キリストの地獄行き》と同一視した(「主は陰府に下り」。第一ペテロ三・一九、四・六「キリストは(死の)牢獄の中の諸霊をも訪れて宣教なさった」)。キリストの地獄行きは、もはや死とはかなさの究極性への大胆な異論の提起としてではなく、むしろ外面的な苦難《神から遠いところで見捨てられることの自己受容として考えられている》。…この絶望の叫びは、しかし破滅と誤りの絶望ではない、幻想であることが暴露された希望への絶望ではない。その叫びにとって絶望と信仰とは関連づけて考えられていた。《その叫びは信仰と服従において引き受けられた絶望である》。…後の教会の教説が新約聖書のキリスト論的言表をイエスの神性と人間性についての古代教会の教説の定形に組織化した時《すべてのパラドックス(逆説)のパラドックス(逆説)は、この(イエスの人性と神性との)二つの本性論ではけしてなく、むしろイエスのこの死に関してのものである。亀裂はイエスをつらぬいて走っている、神ご自身をつらぬいている。神ご自身が神によって見捨てられ、神がご自身を排斥しておられる》。これは思弁的なパラドックスではなく、むしろまったく特定のリアルな史実的な出来事、特定の史実的な人間の死が、この人間の声において、究極的なことが、神的な声を聞き、随順した人々によって、他のすべての不可解さを凌駕する不可解さで表現されているにちがいない。もっともそのことが明らかになったのは、後になって、パラドックスの克服から、復活した方の顕現からであったが。初期の教会に、ヨブ記の緊張をもう一度過度に緊張させ、《神に見捨てられた人間としての神、これを愛の出来事として、愛が現実には何であるかについての究極的な啓示として、この不可解さを考えるように命じたのは、まさしく復活祭である》(ゴルゴダ、「曲がりくねった木-まっすぐな歩み」 一九七〇)。
 ゴルヴィッツアーのこの解釈は、このテーマについて展開した解釈の中でもっとも鋭い、本格的なものであろう。「神ご自身が神によって見捨てられる」というこの解釈は、モルトマンが「十字架につけられた神」(一九七六)で展開した同類の解釈「子なる神が父なる神によって見捨てられた出来事という把握」よりも、六年も前にしるされたものである。ゴルヴィッツアーの「イエスのあの叫びが神への私たちの叫び、うめき、神義論的問いを吸い寄せ、包括する」との解釈には心から共鳴した。同じ体験を私たちもしたからだ。しかもさすがにゴルヴィッツアーは、このイエスの叫びを「神の愛の出来事」として正しく把握した。「ご自分のみ子を私たちすべての者のために(十字架・死に)引き渡されたお方・神」(ロマ八・三一)、これが彼の解釈でいう「愛の出来事」である。とにかくゴルヴィッツアーはイエスの絶望の叫びのもつ「衝撃」とまともに格闘しつつ解釈している。

マルチン・ヘンゲルの解釈
 イエスの十字架は第二次大戦で起きたところの、苦しみ、殺害された人々と連帯しその苦しみに踏み込んでいく、との解釈がある。
 「十字架はその当時人間の権利剥脱の極限の段階にあるものであったが、十字架につけられたメシアについての原始キリスト教の使信は、苦しみ、拷問されて殺害された人々の言いようのない苦しみに対して、神の愛に基づく『連帯』を示していた。ナザレのイエスにおいて神は実に人間の極限の悲慘と同一化されたのだ」(マルチン・ヘンゲルの解釈、クラッパート「和解と解放」)。

モルトマンの解釈
 「この叫びによって神についてのイエスの宣教全体が賭けられている。それゆえイエスが神に見捨てられたことをもって、結局イエスの神の神性とイエスの父の父性とが賭けられている」。したがってこの叫びは、父なる神への子なる神による渾身の問いかけ「あなたはどうして《あなたを》を見捨てられたのですか」となる(モルトマン「十字架につけられた神」一九七六)。十字架の時点ではこの問いにはいまだ神の回答が出されないままである。

 カール・バルトは、神の愛はイエスのこの叫びにおいても注がれていたという。
 「このみ子の父としての真実の啓示において、またみ子をヨルダン川のほとりで神が愛し、荒野においてもゲッセマネにおいても愛し、特にみ子が十字架において『私をお見捨てになったのですか』と問いたもう時にこそみ子を愛し、やがて声高く叫び声をあげて息絶えたもうた時にこそ愛されたその愛の啓示において、神はみ子を義とされた」(「教会教義学」和解論、五九節「父の判決」)。ここでバルトは、イエスの十字架のあの叫びをあげられた時にも、神の愛はいささかも失われず、むしろ強くイエスに注がれていたと見るのである。しかしバルトのこの解釈は、シュラーゲ、ローマイヤー、ゴルヴィッツアー、らがえぐり出そうとした、あの叫びの絶望的なファクターを欠落しているように感じられる。
 信仰者における神に見捨てられたとの、絶望の体験は、歴史的には旧約聖書における神がそのみ顔を隠される体験。アブラハムの試練(創世記二二章)、申命三一・一七、イザヤ八・一七、エレミア三六・二六、詩篇一三・一など)、「ヨブの体験」(ヨブ記)、「魂の闇夜」(一六世紀のカトリックの十字架のヨハネ)、「神は死せり」(ニーチェツァラツストラ」)、「神の日蝕」(マルチン・ブーバー)、「夜」(アウシュヴィッツの体験者エリ・ヴィーゼル)と表現された。私自身は「神のヴァニシングポイント・消滅点」と名づける。このような体験をした者はイエスのあの叫びに引き寄せられていき、自分と同じような体験をイエスもなされたことを認識する。かつすべての絶望体験も自分が神に見捨てられた体験もイエスの叫びの中に吸収されることによってカタルシスを味わう。それゆえ十字架のイエスの叫びのもつ「絶望、神に見捨てられること」の要素はけして除去されても薄められてもならない。