建司の書斎

「キリスト者の希望」、「愛を学ぶ」等の著者、故相澤建司の遺稿説教原稿・聖書研究など。

キリスト者の死後1  ルカ23:39~43

2000-27(2000/7/30)

キリスト者の死後1  ルカ23:39~43

 「磔にされた罪人の一人がイエスを冒瀆した『おまえはメシアではないのか。自分と私たちを救ってみよ』。するともう一人の者が彼をたしなめて言った『おまえは[この方と]同じ罰を受けていながら、それでも神をおそれないのか。私たちは自分の行為の報いを受けているから当然だが、この方は悪業は何ひとつしなかった』。それから彼は言った『イエスよ、あなたがあなたの王的支配と共にくる時、私のことを思い出してください』。それからイエスは言われた『アーメン、私はあなたに言う、今日、あなたは私と共にパラダスにいるであろう』」レンクストルフ訳。

 「中間状態のテーマ」を取り上げたい。キリスト者が死んだのち、復活させられるまでの間の時期が「中間状態」である。モルトマンはいう「今、死んだ者はどこにいるのかを問うならば、死者らはすでに復活と神の永遠の生命の新しい世界にいる、と答えなければならない」(「神の到来」1995)。日本においてすでに大正年間にこのテーマに精力的に取り組んだのが藤井武である。
 藤井武(1888~1930)は無教会主義者、内村鑑三の弟子。四年の役人生活をやめて後、内村の助手となり、1920・大正9年に独立、「旧約と新約」誌発行。彼の著書はほどんとこの誌に掲載されれた。「永遠の希望」(1920・大正9、全集第十一巻所収)、「沙漠はサフランの如く」(1924、全集第三巻所収)との両著は彼の復活・来世研究の代表作である。著作全体は死後「全集・十二巻」が1931・昭和6年に岩波より出版、1939再版。戦後1949年に「選集・一〇巻」が岩岡書店から、71年に「全集・一〇巻」 が岩波から出版された。生前出版されたものにはこの他に「聖書の結婚観」(1925)「イエスの生涯とその人格」(1927)「聖書より見たる日本」(1926)などがある。
 藤井は結婚生活10年にして喬子夫人に病没された(夫人29才、1922)。亡き妻との絆をうたいあげた長詩「こひつじ(羔)の婚姻」は、翌23年から死ぬ30年まで書き続けられ、後に全集におさめられた。今は亡き愛する者との絆のテーマが彼の晩年の著述の一つの中心であった。これは「来世研究」の背景になっているという印象をうける。
 先の著書によって《日本における終末論、復活・来世研究》は藤井武によって築かれ発展させられたという観がある。内村鑑三の「宗教問答」(1900)は「復活、永世、天国」について詳論しているが、読んでいて藤井のもののほうがテーマにより踏み込んで展開していると感じる。
 さて藤井の「沙漠はサフランの如く」(1924)で一番印象的であったのは「沙洲を超えて」の一、今日我と共にパラダイスに、二、生くるはキリスト、死ぬるは益なり、の15ページほどの部分であった。
 藤井はまず、テニスン(1809~1892、イギリスの詩人、亡きへの挽歌「イン・メモリアム」が有名)の辞世の詩「沙洲を超えて」を引用する、
 日没、明星、そして私を呼ぶ一つの明らかな声[聲]
  どうか《沙洲の歎き》がないように、私が海へ漕ぎでる時。
 薄明、晩鐘、そしてその後に暗み
  どうか《告別の悲しみ》がないように、私が乗り込む時。
 なぜなら時や場所などという私たちの小河から
  さし汐が私を遠く連れて往くにしても、                          私は《私の水先案内》にまのあたり遇うことを望んでいるのだもの、
  私が沙洲を超える とすぐに。
 この詩について、藤井は述べている
 「ここに現われている思想は、一つの確かな実験的真理として、無条件に共鳴を促すではないか。『沙洲を超えて』はたしかに霊魂の実験の聲だ。それはテニスンのものであると共に、また私のものだ。私自身の告白だ、讚美だ、祈りだ」。
 藤井はこの詩を解釈している、人生の日没、厳粛なる時だ。宵の明星。そして今、明らかに私の名を呼ぶ声が聞こえる。ああ召しの声だ、いよいよ時がきたのだ。もちろん大いなるさびしさを打ち消すわけにはいかない。にもかかわらず自分は悲しんでもらいたくない。それはお別れにはちがいないが、いわゆる告別の悲しみなるものは何としても自分にはふさわしくないのだ。なるほど私は今さし潮に引かれて時や場所に限定されたこの小流れからはかり知れぬ大洋の沖へ遠く連れていかれるだろう。《しかしその私の望みの鮮やかさ、楽しさ。私は今私の水先案内ー誰よりも慕わしい彼[キリスト]に、まのあたり遇おうとしているのではないか。何という明るい体験、何という望みに満ちた船出だろう》
 藤井は語る、イエスは死の前に垂れているとばりをあげてくれた、使徒らは沙洲のかなたなる未知の大海の光景をみごとにスケッチしてくれた。
 そして新約聖書の二つの箇所をあげている。一つはルカ23:43、もう一つはピリピ1:21以下である。
 ルカ23:43「今日、あなたは私と共にバラダイスにいるであろう」。パラダイスという言葉は、第二コリント12:4「この人はパラダイスにまで移された」、黙示録2:7にも出てくる。ユダヤ教の12族長の遺訓、レビ18:10では「祭司的メシアは天国の門を開く」として出てくる。バウアーのレキシコンでは、一、エデンの園、二、「超地上的な祝福の場所」を意味するとある。後期ユダヤ教のメシア待望によると、メシアが王的な祭司の務めをはたす場所、義人のいる所(レンクシュトルフの注解)、ルカ伝では死後イエスと共にいることができる場所をいっている。
 藤井は39節以下について解釈している、もう一人の罪人[熱心党員?]の、イエスへの願いのいじらしさ、彼の霊魂は今しきりに天国を慕う渇きに喘いでいる。弟子たちさえ捨てたイエスを彼は救い主として仰いだ[四二節「あなたの神的支配と共にあなたが到来する時」]。「今日」を藤井は、その罪人が息絶えるやいなや即刻ととる。フイッツマイヤーはイエスの死によってメシア的救いが成就するまさしくこの日、と解釈した。藤井は述べている、テニスンの言葉をもっていえば、「おまえが沙洲を超えるとすぐに」だ。おまえは私といっしょにいるだろう。おまえと一緒に、愛する者からこの言葉を聞くほど喜ばしい経験があるだろうか。死の国においてイエスは決して我らを一人寂しく捨ておかない。そこへ我らが移るとすぐ、我らはその輝かしい顔を見出すのだ。そしていつも彼と共に一緒にいることができるのだ。「さし潮が私を遠くへ連れていくにしても、私は私の水先案内にまのあたり遇うことができるのだ」テニスン
 キリスト者の死後のテーマについて、問題意識をもって取り組んだのはつい最近、1995年のモルトマンの「神の到来」であった。欧米でもこのテーマは従来あまり問題とはされなかった。その意味でも藤井武の来世研究は先駆的なもので、もっと取り上げられてよい。続